田中希実は東京五輪1500mで日本女子の歴史を創った photo by YUTAKA/AFLO

PLAYBACK! オリンピック名勝負ーーー蘇る記憶 第46回

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期となり、2021年夏に行なわれた第32回オリンピック競技大会・東京2020。無観客という異空間での開催となるなか、自分自身のために戦い抜いたアスリートたちの勇姿を振り返る。

 今回は陸上女子1500mで、日本五輪史上初出場で8位入賞を果たした22歳の田中希実だ。

【東京五輪までの成長過程】

 マラソンでは1991年東京世界選手権や翌92年のバルセロナ五輪からメダルを獲得している日本の女子長距離。トラック種目でも96年アトランタ五輪では5000mの志水見千子が4位、1万mは千葉真子が5位、川上優子が7位とダブル入賞を果たし、翌97年世界選手権では千葉が1万m銅メダル獲得と成果をあげていた。だが、その後、国内では圧倒的な力を見せた福士加代子や新谷仁美(現・積水化学)らが挑戦するも、トラック種目では8位入賞からも久しく遠かった。

 だが、2010年代中盤以降、その状況を打破する若手が成長し始めてきた機運のなか、頭角を現してきたのが田中希実だった(New Balance)。U20世界陸上選手権3000m優勝などジュニア期から活躍してきた田中は、シニアの世界大会デビューとなった2019年ドーハ世界陸上では5000mで予選を突破すると、3日後の決勝は14位ながら15分00秒01の日本歴代2位(当時)をマーク。その後に大きな期待がかかっていた。

 女子長距離はほぼ全員が高校卒業後、実業団や大学を競技拠点として、駅伝をメインに距離も伸ばして勝負しようとする傾向がある。だが田中は西脇工業高(兵庫)を2018年に卒業すると「自由に競技を続けたい」と同志社大に進学し、クラブチーム所属として競技を続ける"駅伝以外"の道を選び、2年目からは父・健智さんの指導を受けている。

 総じて、5000mで世界が見えてくると、1万mにも挑戦して世界への可能性を広げていくが、田中は中距離種目の800mや1500mに積極的に取り組んだ。世界の舞台で戦うためには、ラスト400mの走力が絶対的に必要不可欠であることを、世界選手権で実感したからだ。そのためにハードな練習だけではなく、10週連続でレースに出るというタフな取り組み、コロナ禍でようやく大会が開催され始めた2020年夏には非五輪種目の3000mで18年ぶり、1500mでは14年ぶりに日本記録を更新するなど確かな手ごたえをつかんでいた。

 ドーハ世界陸上の記録で東京五輪の参加標準記録をすでに突破。迎えた2020年12月の日本選手権・長距離で5000mを制して代表内定を勝ち取った。五輪代表の最終選考会となる翌2021年6月の日本選手権に向けては、3月から5月までの8週間で記録会を含めた10大会に出場し、800〜5000mを14レース走る挑戦もした。そして日本選手権も4日間で800m、1500m、5000mに出場。1500mは優勝してほかの2種目は3位と鉄人ぶりを見せた。

「父ともすごく喧嘩をしたりしながら、苦しい修羅場を何回も潜り抜けてきた」と本人は笑顔を見せていた。1500mでは五輪参加標準を突破できなかったが、複数の記録や順位をポイント換算して順位づけする世界ランキングで出場圏内に入り、2種目での五輪出場権を手に入れた。

【予選敗退も自己ベストで吹っきれる】

 田中が東京五輪で決勝進出と8位以内の入賞を狙っていたのは、5000mだった。だが競技初日の7月30日の予選では、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)が積極的に飛ばしてハイペース(1000m通過3分00秒)になった第1組では10位までが14分台という結果に対し、田中の第2組は1000mを3分03秒で入るスローな展開に。

 4800mまでは集団の中で順位での決勝進出条件(記録に関係なく組5位以内)をキープしていたが、ラスト200mで突き放されて6位。あえて後半勝負に徹した手応えのあるレースを展開し、記録も14分59秒93の自己ベストだったが、記録で決勝に進める5番手に0秒38届かず(各組の6位以下は記録順)、予選敗退となった。

 これまでの世界大会なら、確実に決勝進出を果たせていた記録での予選敗退。気持ちは落ち込んだが、逆に、心の中にスイッチも入った。

「私は、その時々で手応えを感じないと次へ進めない性格です。ドーハ世界陸上の決勝を走り、東京五輪の5000mが代表に一番近く、成績も残しやすいのではないかと思い、準備を進めてきました。

 だから、予選落ちは悔しいですが、一方で、実力で負けたというより運で負けたなという部分があって。もし璃梨佳ちゃんと同じ組で走って自分だけが落ちたらすごく悔しかったと思うけど、まったく展開が違う組で落ちたので、負けたという気持ちがあまりしなかった。それが1500mに気持を切り替えられた要因だったと思います」

 1500mは、ポイント制の世界ランキングで条件を満たしての出場。世界のトップレベルは3分台で、田中にとって、当初は「出られればいい」という種目だった。

「1500mは、2019年は4分11秒50がベストだったので、世界で戦うイメージはありませんでした。ただ、昨年(2020年)日本記録を出してからは参加標準記録が見えてきたし、世界ランキングで出場権を得られるかもしれないとわかって貪欲になりました。(同じ1500mに出場し予選敗退の)卜部蘭さんもずっと日本女子初の五輪出場を目指していて、ライバルとしても競い合っていたので負けたくないというのもありました」

 5000mが予選落ちで終わったあと、周囲の人たちに「1500mをもう1本、楽しんで走ってきて」と声をかけられた。だがそれを聞き、「そこは1本じゃなくて、2本、3本にしていこう」と思うようになった。「誰も期待していないからこそ5000m以上に思いきり自分をぶつけられて、逆に本領を発揮できるはず」という気持ちになったという。

【"やる気の塊"で1500mで快進撃】

 競技4日目の8月2日午前9時35分からの1500m予選。前の2組のトップが4分03秒台と4分05秒台で終えると、第3組の田中は最初からトップに立ち、前の組を3秒以上上回るラップタイムで800mまで集団を引っ張る、攻めの走りをした。そこからほかの選手に被せられたが2〜3番手で粘り、最後は着順(組5着以内)で準決勝進出となる4位になり、記録も4分02秒33の日本記録を出した。

 迎えた準決勝は、「中学生の頃のように、気迫を最初から最後までまとわせた、"やる気の塊"のようなレースをしたい」と臨んだ。100m通過時にスッと2番手に上がると、400m通過後は先頭に立ち、800mは2分09秒1で通過。そこから5位まで下げたが、「ラスト100mはいつ抜かれるかと怖かったが、自分も止まっているが前の選手も止まっていたから最後まで抜く努力をしようと思って走った」と、着順での決勝進出となる5位を死守。記録も日本人未到の4分突破を果たす3分59秒19だった。

「五輪直前の7月に4分04秒台を出していたので『たぶん、自己新を出せば準決勝に行ける』と思っていたけど、自己新でも『まだいける』と思えたのが準決勝につながったと思います。

 大会前から父と『決勝に行くには"4分ギリ"が必要』と話していたので、準決勝で3分台を出さなきゃいけないとわかっていた。だから初めての3分台もメッチャびっくりしたわけではなく、ただただ全力疾走した結果という感じで実感はなかったです」

 2日後の決勝は、5000m、1万mと合わせた3冠を狙うシファン・ハッサン(オランダ)が200m過ぎから先頭に立ち、800mを2分07秒0とハイペースの展開にした。そのなかで1000mまで5番手だった田中は、激しいスパート合戦で粘りを見せて3分59秒95で8位入賞を果たした。

「途中では5位くらいはいけると思ったんですけど、どんどん抜かれたので甘くなかったですね。ゴールした時は何位だかわからなかったので、8位で名前が出たのでホッとしました。でも、ラスト400mだけでこんなに差がつくんだ、という悔しさもあって、今度はもっと真ん中以上でゴールしたいという、新しい気持ちが湧いてきました。

 ただ、決勝でさらにタイムを伸ばせたら、『いつでも3分台は出せる』という実感を得ることができたと思うので......。『決勝にさえ残れたら、あとはボロボロでもいい』と父と話していたけど、いざ決勝に残って『日本人初の決勝で日本中のみんなが見てくださるだろうな』と考えたら、どうでもいい走りをしてはダメだと思い直し、『最低限入賞はしなければ』と緊張もしました。準決勝のように伸び伸び走るという部分は少し薄れていたかもしれないのが、心残りでした」

【パリ五輪ではさらなる上のステージへ】

 こう話す田中だが、初めての五輪で得たものは大きかった。

「五輪自体が夢で、そのうえ1500mで出場するなんて、2018年は日本選手権でも予選落ちしていたくらいなので、夢にも思っていませんでした。でも去年くらいから意識するようになり、大きな舞台になると自分でも気持ち悪いくらいに気持ちが上がり、人格が変わったんじゃないかなと思うほどです。普段の私は物事を前向きにとらえられないすごくネガティブな性格で、後ろ向きのことばかり考えているけど、こういう大会になると物事を前向きにとらえやすくなる。(決勝進出を果たせたのは)本当に五輪という空気感に助けられたと思います。

 将来的に一度はマラソンを走ってみたいのですが、私はけっこう頭が固いところもあって、陸上といえば中学生で初めて出会ったトラックというイメージがあるし、そこでもっともっと記録を伸ばしたいというのがある。実業団で毎年駅伝に出て、またリセットしてというのを繰り返していたらトラックを追及しきれなくて遠回りになり、その部分を取り残したままマラソンの方に移行していくようになるんじゃないかなと思います」

 世界に通用しなかった日本女子中距離の歴史を見事に刻んでみせた田中の躍動だった。

 田中は、翌2022年には800m、1500m、5000mと日本女子では史上初の3種目でのオレゴン世界陸上出場を果たし、2023年のブダペスト世界陸上では5000mの予選で日本新記録(14分37秒98)、決勝では日本勢26年ぶりの同種目8位入賞を果たした。その間、プロ選手となり、ケニア合宿をはじめ海外のトップレベルの大会にも足繁く参加するようになり、世界のトップシーンでの存在感を増していった。

 現在、パリ五輪に向かう田中にとって、東京五輪は、自らの意志で選んだトラックへの挑戦の夢を、さらに大きく掻き立てるものでもあった。