ヤクルトの奥川恭伸が6月14日のオリックス戦(京セラ)で2年ぶりの一軍登板を果たし、980日ぶりの勝利を挙げた。試合では武岡龍世と長岡秀樹が二遊間を守り、6回裏には大西広樹が奥川からバトンを引き継ぎマウンドに上がった。2019年のドラフト同期の4人が揃って一軍の試合に出場するのは初めてのことだった。


2019年ドラフト入団の(前列左から)長岡秀樹、奥川恭伸、郄津臣吾監督、吉田大喜、武岡龍世、(後列左から)杉山晃基、大西広樹 photo by Sankei Visual

【ファーム時代は思い出したくない】

 奥川、武岡、長岡の3人は高卒で、大西は大卒。彼らは2020年1月7日、二軍の戸田球場での新人合同自主トレで、プロ野球人生を本格的にスタートさせた。この日、奥川は目覚まし時計を6時半にセットし、そこから10分おきに鳴るようにして、起床したのは6時50分だった。今と比較すれば、4人の顔には幼さが残り、体の線も細かった。奥川が懐かしそうに当時を振り返る。

「ですよね。その頃の写真を(リハビリ期間中に)こういう時もあったなと思いながらチラッチラッと見ていました。みんなプロに入って最初なので心細いし、同級生3人で行動することが多かったですね」

 休日には奥川、長岡、武岡の3人で、新宿に出かけたこともあった。奥川は人の多さに圧倒され、「新宿はもういいです」と笑った日が懐かしい。

 以来、彼らはそれぞれの成長曲線を描き、プロの厚い壁を乗り越え、今こうして一軍の舞台で輝いている。

 長岡は、新人合同自主トレの初日から4年以上の歳月が流れたことについてこう話した。

「僕にとってはすごく濃い時間でしたね。ファーム時代は思い出したくないくらい、つらくて、きつくて、暑くて......思い返せば長い時間でした。でも、その時間がなかったら今の自分はないので、やっぱりあっという間だったかな」

 長岡は3年目のシーズン開幕戦でスタメンに抜擢されると、思いきりのいいスイングと試合を重ねることに成長する守備で、ゴールデングラブ賞にも輝いた。

 しかし昨年は「やっぱり打つのが一番好きなんで(笑)」という打撃で、「何をやってもうまくいかないし、どうすればいいのかわからなかった」というほど苦しんだ。大きな試練にぶち当たるなかでも忘れなかったのは、はい上がってやろうという気持ちだった。

「高校時代は全然有名じゃなかったですし、同期入団の選手たちはみんな日本代表に入ったりしていて......そういう人たちに負けたくないっていう気持ちはありました」

 今シーズンも早出練習は欠かさず、試合前練習でもチームメニューを消化後、練習時間ギリギリまで大松尚逸打撃コーチとバットを振り続けている。その結果、ここまで(6月26日現在)打率.276でリーグ6位につけレギュラーの座をがっちりとつかんでいる。

 長岡は6月14日の試合について、こう振り返った。この日はヒットこそ出なかったが、1打点1得点で勝利に貢献。

「試合中は集中していていつもどおりでしたけど、終わってみて、やっぱり同期入団の選手が一軍の試合に出て勝利できた。すごくうれしい感情が湧いてきましたね」

【ようやく3人一緒に同じ舞台に立てた】

 武岡は14日の試合で4打数2安打と結果を残した。

「僕的には同級生の3人が、ピッチャーと二遊間として一緒に先発できたことはもちろん楽しめたのですが、今はそういった感慨にひたれるほどの立場じゃないので......」

 ここまでの時間について、武岡は「僕も(長岡)秀樹みたいにパーンと出たいんですけどね」と笑った。

「二軍の育成担当の方には『おまえはそういうタイプじゃなく、徐々に段階を踏んでいくタイプ』と言われていますし、そういう意味では順調にきているのかなと思います。年々、試合に多く出させてもらっていますので」

 打撃では「フォームを変えたのわかりましたか」「バットを倒すのはやめました」「もう派手にいくことはやめました。空振りしたら意味がないので」など、試行錯誤を続けてきた。

 今年は初の開幕一軍を果たすも、打率はしばらく1割台が続いた。それでも「結局、(打率は)収束すると思うんです」と、常に前を向いてきた。

「だって、頑張ってるんですもん。ハハハハッ。これだけ頑張っているのに上がらなかったら、『もういいや』ってなってしまいますよ」

 6月16日のオリックス戦では、9回表に決勝打をマーク。今はセンターから逆方向を意識しながら、ホームランは自己最多となる3本を放っている。

「今年は例年に比べてバットが振れています。去年まではバットの遠心力を使うことを意識していたのですが、今年は逆にしならせないようにやっています。そのことでボールに力が伝わっている感じで、そこはウエイトを続けてきた効果もあるのかなと。体重も増えたし、筋肉量も3キロ増えました。今シーズンは、100試合は出たいですね。ホームランも5本は打ちたいですけど、そんなに甘い世界じゃないので」

 奥川は、マウンドのうしろに長岡と武岡が守っていたことについて、「今どきの言葉で言うと、ちょっとエモいというか、とにかく楽しかったです」と笑顔を見せた。

「ふたりともすごく頼もしかったですし、秀樹と武岡とグラウンドに一緒に立って、ピンチではマウンドに集まって話をして......。攻守交替でふたりを迎えてハイタッチするとか、本当にうれしかったですね」

 2回裏、ベンチを出た奥川と長岡は話し合いながら守備位置に向かう。長岡が奥川に向かって腕を前に突き出して、ショートの守備位置につく姿が強く印象に残った。

「あの時は、ランナーなしでもクイックをするのかしないのかといった実務的な話でした(笑)。でも、本当にふたりの表情が印象的で、僕と同じこと......ようやく3人一緒に同じ舞台に立てたと思ってくれているのかな。そう思うと本当に楽しかったですね」

 そして、「それは今までとは違う楽しさでした」と言った。

「一緒に戦う楽しさというか、とくに秀樹の表情はむちゃくちゃ印象的でした。僕は交代してベンチに下がっていて、秀樹が守備から帰ってきたときに『守りきったぞ』みたいな表情だったんです(笑)。それが今も記憶に残っています」

 奥川は5回を投げきり、勝利投手の権利を得てマウンドを降り、あとを引き継いだのが大西だった。3人の打者をわずか9球で抑え込んだ。

「大西さんは大卒で、ずっと僕らのお兄さん的存在だったので、マウンドに立っている姿を見て『やっぱりお兄さんだな』って感じがしました。秀樹や武岡とは違う頼もしさで、『なんかいいな』と思いながら見ていました。試合中、投げ終わってからはずっと隣にいてくれて、些細なことですけど、それが本当にうれしかったです」(奥川)

【奥川のために最善を尽くそう】

 その大西は、14日の試合についてこう振り返る。

「自分は大卒で入って、みんなよりも早く一軍で......という気持ちが強かったです。でも、下でもがいている秀樹や龍世を見ていましたし、『オレらで頑張ろう』って声かけはずっとしていたので、やっとそれが叶ったんだなって。奥川はリハビリ期間が2年もあって一番苦しい思いをしているので、6回を任されたときに奥川のために最善を尽くそうという気持ちになりましたね。3人とも年下ですけど、いい戦友というか、一緒に戦っていて楽しかったです」

 大西のここまでのキャリアには、努力と研究がにじみ出ている。新人合同自主トレの400メートル×3の1200メートル走では、奥川、長岡、武岡に周回遅れだったこともあったが、コツコツと信頼と実績を積み重ねてきた。

 1年目は148キロだった球速は年々アップ。今では最速154キロとなり、150キロ台の真っすぐの割合も多くなり、球種、登板数も年々増えている。

「球種は増えたというより、たとえばスライダーなら、曲がりをちょっと小さくしたりとか、いろいろ変えています。ここまで毎年、新しいことに挑戦しようとやってきました。それがよくなっている部分だと思います。まずは1年間ずっと一軍にいたことがないので、それを目標に、来年、再来年とまた新しいことに挑戦していくという感じですね」

 今年は、ここまで30試合に登板して4勝1敗、防御率1.13。ブルペン陣の縁の下の力持ち的な存在だが、自分のことを「緊張しい」だという。

「でも緊張はいいことだと思っているので。緊張にも、いい緊張と悪い緊張があって、今は冷静かつ視野が広く、アドレナリンがすごく出て自分の力が発揮できるいい緊張のつくり方ができているのかなと。投げるポジションは、とりあえず(目指すところは)ないので、いつでもどこでも投げられるように準備しておきます(笑)」

 今回、奥川に話を聞いたのは、涙の復活勝利から数日後、戸田球場に隣接する陸上競技場だった。奥川が2年間リハビリを続けた場所でもあった。

「最初は僕がみんなよりちょっと早く活躍できて、それをどういうふうに感じていたのかはわからないですけど......そのあと僕がケガをして、本当に一時期は同級生や同期入団選手の活躍すら喜べない状態でした。そういう思いがずっとあったんですけど、この間の試合でようやくそういった気持ちがなくなって、みんなと一緒に戦うことができました」

 そう語る奥川の表情は、2年間の苦しみから解放されたのか、戸田の青空のように晴れ渡っていた。そして「一緒に喜び合うことは、こんなに幸せなことなんだなって」と言葉を噛みしめた。

「これから先、ああいった試合が増えたらうれしいですよね。たとえば優勝したりとか。みんなでチームを引っ張っていけたらうれしいですし、2019年ドラフト組が本当に頑張ったよね、と言われるようになりたいですね。"したい"というより、"なったらうれしい"。そう思います」