弓子さんは30数年前、連絡もなく家を訪れた取材者から、自身の出自を知らされたのでした(写真:筆者撮影)

昭和から平成の頃、テレビではよく「生き別れになった肉親や大切な人との再会シーン」を売りにした番組を放送していました。『それは秘密です!!』(1975〜1987)『嗚呼!バラ色の珍生!!』(1994〜2001)『完全特捜宣言!あなたに逢いたい!』(1996〜1997)など、懐かしく感じる人もいるのでは。

そんな番組を作る制作スタッフの取材によって、ある日突然、自分は養子なのだと知らされた――。そんなことホントにある? と思うかもしれませんが、中国地方に住む弓子さん(仮名・60代)が実際に体験したことです。弓子さんは30数年前、連絡もなく家を訪れた取材者から、自身の出自を知らされたのでした。

大人になって知り、アイデンティティが崩れる人も

当連載ではこれまでも、養子やAID(非配偶者間人工授精)、産院での取り違えなどにより、親と血縁がないことを大人になってから突然知った人を何度か取材してきましたが、多くの人は言葉にしがたいほどのショックを受けていました。

中にはその後の人生が大きく変わってしまった人も。子どもの頃には伏せられていた自身の出自にかかわる真実を大人になってから知らされると、アイデンティティが崩れてしまうこともよくあるのです。

最近こそ子どもが小さいうちに出自を伝える重要性も言われるようになりましたが、当時は「子どものうちは言わないほうがよい」という考えが主流でした。

降って湧いた信じがたい事実を、弓子さんはどのように受け止め、その後の人生を歩んできたのでしょうか。取材を受けたいと連絡をくれた弓子さんに、ぜひ、お話を聞かせてもらうことにしました。

「会いたいという人がいるので、テレビに出ませんか」

平成のはじめ、第3子が生まれて1年ほど経った頃でした。当時、弓子さんは夫の転勤で地元を離れ、東京近郊に住んでいたのですが、あるとき玄関にテレビ番組の取材者が訪れ、血縁者が弓子さんに会いたがっている旨を告げたのです。

戸籍に書かれた血縁の父は知っている人だった

「そんな記憶は全然ないですから、帰ってください」と答えたものの、相手は「嘘ではない、戸籍をもってきている」と言って引き下がりません。「見てもらわないと帰らない」とまで言われ、やむなく戸籍を見た弓子さんは、自身が養子であることを知ったのでした。

「そうしたら(戸籍に載っていた血縁の)父親が、同じ町に住む知っている人だったんです。『なぜ?』っていう感じでしたね」

誰が番組に依頼をしたのかは、いまもはっきりしません。「ほかに考えられないので、たぶん(血縁の)父だとは思う」ものの、後に実父本人から「違う」と言われたこともあり、ほかの誰かが依頼した可能性も捨てきれずにいます。

後にわかったのですが、近所の人たちは昔から弓子さんが養子であることを知っており、また地元で恋愛結婚した夫も、結婚したときから事実を知っていたようです。

知ったときは、どんな気持ちだったのか。こんな形で事実を知らされて、腹が立ったりはしなかったのでしょうか?

「うーん、考えたかな……。それまで知らずにずっと幸せに生きてきました。それが急に、テレビが来て、思いがけないことを聞かされて。『どうして』『どうしてこうなった』ということを考えていた。恨みっていうかな、そういうふうに考えていたように思います」

血縁の父親が年を取って自分に会いたくなり、そんな依頼をしたのだろうか? 育ててくれた両親には実子もいるので、子どもができなかったわけではない、なのになぜ自分を引き取ったのだろうか? そんな疑問が、次々と湧いてきたといいます。

弓子さんはまず、育ての母親に電話をしました。「『テレビが来てこう言われました』と言ったら、『そうなんです』みたいな感じ」だったそう。父親はだいぶ前に亡くなっていたため、話を聞くことはかないませんでした。

「育ててもらった両親はすごくいい、素敵な優しい人たちだったから、(私は)何も苦労していないし、怒られたこともない。だけど生まれたところの家はいろいろあったみたいなので、こちらで育てられてよかったなって今は思います。実は(育ての)父と母も両方養子として育っていて、いろいろ複雑なんです。だから、私の気持ちもわかってくれる人たちだったと思います。

性格は(血縁の)親に似ているのかもしれない。おっちょこちょいでよく動くのは、私の性格。実の子で生まれた妹は、おとなしめなんですよね。全然違うんです。(血縁の親からも育ての親からも)いいところを全部もらったと思っていいのかなって(笑)」

事実を知って20年抱えた「私は必要ない」という思い

こんなふうに今は自身の出自を前向きに捉えている弓子さんですが、最初からこうだったわけではないようです。弓子さんは事実を知った後、長い間「自分は要らなかったのに」という思いを拭えなかったといいます。

テレビの訪問で事実を知ってから、『私は(実の親には)必要なかったの』『なんで』と思ってましたね。マイナス思考で、暗い感じだったと思います。だけど(自分の)子どもが3人いて育てなきゃいけないから、そんな感情はあまり出さず、ただ日々行動していましたね」

気持ちがほどけてきたのは、テレビの突撃で出自を知ってから十数年後、弓子さんが40代後半になった頃でした。血縁の両親と直接、会うようになったのです。

2人は弓子さんを育ての親に託した後、離婚していたのですが、実母とはその後よく会うようになりました。また実父も亡くなるまでの間、弓子さんが一人で面倒をみていたといいます。

血縁の両親と接するうちに、だんだん気持ちが落ち着いたんですか? そう筆者が尋ねると、弓子さんは軽く「そうですね」と答え、「今でも、実母とはよく電話で話をする」と教えてくれたのでした。

よかったよかった……と言いたいところですが、まだちょっと気になることもあります。実父が他界して半年ほど経った頃、弓子さんはなぜか急に「てんかん」の発作を起こすようになったというのです。

「脳波を調べてもわからないので、心因性のものだと思っています。(実父が亡くなって)よっぽど何か、自分のなかですごい変化があったんだろうなと思って」

じつは、この取材を始める前にも弓子さんは「途中で発作が出るかもしれず、そのときは数分待ってほしい」と筆者に話していました。そして実際、1時間ほどの取材の間に、弓子さんは動作が止まり、言葉を発せなくなったときが何度かありました。

一般的に知られる「てんかん」の症状とはちょっと異なるようです。筆者が詳しく話を聞こうとすると発作が出ることが何度かあったので、もしかすると何かストレスがあったのかもしれません。

「(出自にかかわることを)自分のなかでクリアできて『これでよかった』と思えるようになったら、たぶん治ると思っているので、いまはこういう感じでお話しさせてもらったり、いろんなことに挑戦しています」というのですが、ちょっと心配ではあります。

なお、弓子さんは今でも病院に通っており、薬をもらっているそう。いつ発作が出るかわからないので、車の運転はやめているということでした。

「ふつう」って何? 1人ひとり違って当たり前と思えばいい

事実を知らずにいたかった、とは思いませんか? 筆者が尋ねると、「そこまで思ってないかな。そうなってしまっている、ということで」と、弓子さん。知ってしまったからには、それでよかったと思うしかない、という面もあるのでしょう。


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現在、育ての母親は認知症になり施設に入っているそうですが、弓子さんのことはちゃんと覚えており、身体もお元気だそう。妹さん(育ての親の実子)ともずっと仲がよく、そのことも「よかった」と話します。

人生って面白いですね。ふつうって、何がふつうかわからなくなりますね。『こうでないといけない』って思うのが、よくないのかな。そうじゃなくてもいいんだなって、1人ひとり違って当たり前なんだ、と思えばいいわけですもんね」

最後に語った言葉は、弓子さんが自分自身に言い聞かせているようでした。筆者の取材を受けようと連絡をくれたのは、「ふつうなんて存在しない」ということを、弓子さん自身が納得したかったからなのかもしれません。

こんな体験をした人は、他にあまりいないのでは」と思うお話を聞かせてください。ジャンルは問いません。よろしければ、おおまかな内容を、こちらのフォームよりご連絡ください。

(大塚 玲子 : ノンフィクションライター)