メジャー史でルースに比肩する存在のメイズ(右)と大谷

 メジャーリーグ史において、ベーブ・ルースと肩を並べる存在として地位を築いたウィリー・メイズが他界した。アスリートとしての才能、誰からも愛される性格、そして首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回、MVP2回、ワールドシリーズ制覇という実績。大谷翔平は、そんなメイズの後を継ぐ潜在能力を十分に秘めていると言える。彼らふたりの共通点、そして特別な存在になることの難しさについて、改めて考えてみる。

【フィールド内外で人々を魅了したメイズ】

 野球をアメリカの国民的娯楽にした立役者は、言わずと知れたベーブ・ルース(メジャーで1914年から35年までプレー)だが、ルースに続く存在がウィリー・メイズ(同1951年から73年までプレー)だった。その偉大なメイズが6月18日に93歳で他界、MLBのロブ・マンフレッドコミッショナーは「ウィリーは世代を超えて選手やファンを鼓舞し、野球が真の国民的娯楽としての地位を得ることに貢献しました」と声明文を発表している。

 偉大なふたりは、それぞれの時代で野球の新たな魅力を創造し、ファン層の拡大につなげた。ルースの場合は本塁打だったが、メイズは打って、走って、守って、投げてと4拍子が揃い、しかも何をやっても動きに"華"があった。主に60年代に活躍した殿堂入り外野手フランク・ロビンソン(2019年に83歳で他界)は「1947年に人種の壁が取り払われて以来、黒人選手の身体能力がメジャーの野球を変えたが、ウィリーは他者と一線を画していた。彼ほどのアスリートはいませんでした」と証言する。

 だが、秀でていたのは身体能力だけではない。フィールドを駆け回る際にキャップが飛ぶようにするため、わざと小さなサイズのものを着用するなどショーマンシップにもあふれていた。また、華麗なバスケットキャッチ(お腹あたりにグラブを構えて打球を捕球)に、大砲のような強肩。シンシナティ・レッズの黄金時代のメンバーで同じく殿堂入りの二塁手ジョー・モーガン(2020年に77歳で他界)は「私が見たなかで最高の選手。フィールド上で毎日何かしらのプレーをして、私に『すごい!』と言わせた」と振り返っている。

 メイズ死去のインパクトは、野球界にとどまらなかった。バスケットボールのカリーム・アブドゥル・ジャバーは1970〜80年代にNBAで6度チームを優勝に導き、6度シーズンMVPを獲得したが、メイズの死に際し、X(旧Twitter)で追悼の意を表している。

「子供の頃、野球は私が最初に好きになったスポーツで、その理由はウィリー・メイズでした。彼は不可能と思われるキャッチやプレーを見せて、私は、万能の彼ならその気になれば水の上でも歩けると信じていました。ウィリーはひとりで試合を変えられました。

 のちにバスケットボールをプレーするようになった時、彼の素晴らしいプレーを思い出し、彼のようになりたいと自分自身を奮起させました。私は、ただよい選手になりたかったのではなく、ウィリーのようなすばらしい選手になりたかった。彼のおかげで、私も自分のスポーツキャリアを探求し、よりよい生活を送れた。亡くなった今でも、彼が私に残してくれたすばらしい思い出のおかげで笑顔になれる。感謝の気持ちを抱かずにはいられません」

【メイズと大谷の共通点】

 21世紀の大谷翔平は、メジャー史においてそのメイズに続く存在である、と筆者は思う。

 ほかのトップ選手も及ばない異次元の打球音でとてつもなく大きなホームランをかっ飛ばし、100マイル(160キロ)の剛速球を投げ、走塁でも魅せる。打席で、塁間で、ヘルメットを飛ばす。昨年7月27日のデトロイト・タイガース戦のダブルヘッダーのように、完封勝利の数時間後の試合で2本塁打を放ち、「すごい!」と言わせる。

 野球の申し子である点でも、メイズと共通している。メイズは、こんな思い出話をしている。

「6歳の頃からずっと野球をしてきて、野球が大変だと話す選手のことが理解できませんでした。私にとっては喜びでしかなかった。子供の頃、父がセミプロでプレーしていて、彼がそのことでお金をもらっていると知ったのは、人生で最大の驚きでした。まるでアイスクリームを食べてお金をもらうような、すばらしいアイデアだと思いました」

 誰からも好かれるキャラクターも共通している。メイズのニックネームは「Say Hey Kid」。彼が人々に対してよく「Say Hey!(ヘイ、やあ!)」と親しげに挨拶していたことが由来で、明るくフレンドリーな人柄が表われている。メイズは、かん高い声で陽気に笑った。大谷も言葉の壁があっても、クラブハウスやダグアウトでチームメートと陽気に接し笑っている。

 今、その大谷に必要なのは、多くの人々が期待するように、ワールドシリーズという最大の舞台に立ち、活躍することだ。

 1954年、当時23歳のメイズを一躍有名にしたのは、通称「ザ・キャッチ」だった。ニューヨークのポログラウンズで行なわれたワールドシリーズ。ジャイアンツがクリーブランド・インディアンスを迎えての第1戦、8回表2対2の同点のことだった。無死一、二塁と走者を2人おいた状況で、インディアンスのビック・ワーツが中越えに放ったのは、ほかの球場なら確実に3点本塁打になったであろう大飛球だった。だがポログラウンズはホームプレートからセンターのフェンスまで455フィート(約138.5m)もあった。浅く守っていたメイズは、本塁に背を向けたまま全速力で走り、壁から数歩手前でボールに追いつき、左肩越しにキャッチ。すぐに体を反転させ、内野にボールを投げ返した。

 ジャイアンツはこのイニングを無失点で切り抜け、延長10回にサヨナラ勝ち。勢いに乗り4連勝で世界一に輝いている。

 最高の舞台で人々の記憶に残るプレーを見せることで、真のヒーローとして歴史に名を刻めるのである。

【才能を結果に結びつける難しさ】

 とはいえ、すべてをやり遂げるまでの道のりは本当に大変である。どれだけ才能に恵まれていようとも、長くメジャーでプレーし、期待に応える結果を残すのはまた別の話だからだ。それは今季、一躍脚光を浴びているレッズの遊撃手、エリー・デラクルスを見ていて思う。

 現在22歳のデラクルスも打撃、走塁、守備、送球すべてにおいて、人々を唸らせるプレーを見せている特別な存在だ。『シンシナティ・エンクワイアラー』紙のレッズ担当、ゴードン・ウィッテンマイヤー記者が言う。

「今のメジャーで大谷のような才能を持つ選手がいるとすれば、それはデラクルスだ。まだメジャー2年目だが、サイクル安打も含めすでに4度の4安打試合がある。450フィート(約137m)を超す特大の本塁打も5本打っている。投手をやれば100マイル(160キロ)を出すのも可能だ。去年カットオフ(中継)に入って左中間から150フィート(45.7m)の返球を見せたが、球速はなんと99.7マイル。2023年に野手が計測したものでは最速だった」

 脚力も人間離れしている。

「去年7月8日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で、5対5の7回、勝ち越しの左前適時打を打って出塁したが、そのあとがすごかった。二盗、三盗を決め、投手が気持ちを落ち着けようと本塁に背を向けて、マウンドに戻るのを見て、一瞬のスキをついて本盗を決めた。今年も6月16日のブルワーズ戦で、二塁ベース上にいたんだが、牽制悪送球で普通は三塁に進むだけだが、一気に本塁に生還した。彼には何度驚かされたことか......」

 だが、その才能が確実に結果になって表れるとは限らない。メジャー2年目のデラクルスは、6月22日(現地時間)終了時点で打率.240、101三振はリーグワーストである。ブレーキングボールが打てず、空振り率は45.1%だ。メジャートップの37盗塁はいいが、4月が18盗塁、5月が12盗塁、6月は5盗塁とペースは落ちている。思うように結果が出ない時に、自分を信じて辛抱強く努力を続けられるかどうか。

 ウィッテンマイヤー記者は、自身の取材歴から振り返る。

「私はシアトル出身で、1990年代は全盛期のケン・グリフィー・ジュニアを取材していた。ジュニアは19歳でメジャーデビューしたが、すでに野球選手として磨かれていた。

 比較すると、デラクルスがまだまだなのは確かだ。しかしながら一つひとつの才能はすごいし、志も高い。実は彼はNBAが好きで、NBAのオフェンスに革命をもたらしたステフィン・カリー(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)の大ファンなんだ。カリーのようにMLBで最高の選手になって野球を変えたいと真剣に思っている。野球に取り組む姿勢も真摯だ。仮に大谷が人生の90%を野球に捧げているとしたら、彼も80%くらいだと思う。今は経験不足や若さゆえのミスもあるが、いずれ結果が伴ってくるはず。2年後にどうなっているか楽しみだ」

 確かなことは、大谷やデラクルスのような特別な才能を持ち、人々のハートを射止めることができるアスリートが成功できれば、野球は人気スポーツとしてより発展していけるということ。2015年11月24日、メイズはホワイトハウスで当時のバラク・オバマ大統領により大統領自由勲章が贈られた。これは行動や業績が、米国社会に多大な貢献をもたらした人物に与えられる最高の栄誉だ。

 オバマは「ウィリーのような巨人がいたからこそ、私は大統領選挙に立候補しようと思えた」と明かしている。日本生まれの大谷が、アメリカの国民的娯楽で頂点に立つ。その事実が、米国での成功を夢見る世界中の人々にインパクトを与えるのである。