大八木弘明コーチは、自身も学びながら指導に当たっている photo by Sportiva

 駒澤大学陸上競技部総監督の大八木弘明氏は、佐藤圭汰(3年)ら現役学生ランナーだけにとどまらず、2度の世界選手権に出場した田澤廉、昨年度の主将だった鈴木芽吹(ともにトヨタ自動車)ら実業団ランナーも指導している。これまでは"Sチーム""大八木塾"と称されてきたが、今年から"Ggoat"(ジーゴート)というプロジェクトが発足し、早稲田大出身で1万m日本歴代2位の記録をもつ太田智樹(トヨタ自動車)もメンバーに加わり、新たにスタートした。

 昨年度は度々海外で合宿を行ない、国際大会に選手を送り出した。大八木氏が見てきた世界、そして、Ggoatとしてどんな展望を思い描いているのか――。

大八木弘明・駒澤大学総監督インタビュー後編

【スピードとスナミナ、12分台と26分台】

――長距離種目はトラックもマラソンも、どんどん高速化が進んでいます。スピードは先天的な素質のようなイメージがありますが、後天的に身につけられるものなのでしょうか。

大八木 ラストスパートなどの瞬発的なスピードは、持って生まれたスピードと言えるかもしれません。ですが、ある程度速いスピードでずっと押していく"スピード持久力"は努力で身につけられるものだと思います。長距離走のスピードというと、このスピード持久力のことを指す場合が多い。これが、ほしいんですよ。

 スピードに余裕がないから、急激にペースが上がった時に対応できない。スタミナも含めてですが、トレーニングで身につけていきたいものですね。

――エリウド・キプチョゲ選手(ケニア)ら世界のトップランナーは、次の大きなレースに向かう立ち上げの段階では、フィジカルトレーニングを取り入れているとおっしゃっていました。その点に関しては、どのように思われていますか。

大八木 海外のクラブチームはそうですよね。みんな、そこから始まりますね。駒澤でも、(佐藤)圭汰がやっているから、ほかのみんなもやっていますよ。それからウォーミングアップに入ります。

――外部からフィジカルコーチを入れる予定は、あるのでしょうか。

大八木 考えていますが、もうちょっと軌道に乗ってからですね。以前、体幹トレーニングに取り組むためにフィジカルコーチを入れたことがあり、それを今もやっていますが、海外で圭汰が学んできたのは、それとはまたちょっと違うんですよね。私も現地で写真をたくさん撮ってきましたが、圭汰がほかの選手たちに教えてあげています。このように、選手が学んできたものをチームに還元しながら取り組んでいます。

――日本人にとって1万mの26分台と5000mの12分台とでは、どちらが近いとお考えでしょうか。

大八木 うーん、どうでしょう......。(少し悩んで)26分台のほうがいけるかもしれません。ただ、26分台を出すには、5000mで(1000mを)2分37秒で押し切れるようなレベルにならないときついですね。

 とにかく(中間点の5000mを)13分30秒で楽に通過できるかどうかなんですよ。それには、最低でも5000mを13分5秒ぐらいの走力がないと難しいだろうなって感じはしますね。

――佐藤選手は5000mを主戦場としていますが、1万mでも27分30秒前後で走っています。5000mは13分一ケタですし、大八木総監督のお話を伺っていると1万mで26分台を出せる可能性は高いように思いました。

大八木 圭汰の場合はもうちょっとスタミナ的なものが必要かなと思います。一方で、田澤や太田は、スタミナはあるんですけど、スピードがまだ足りないのかな。

――試行錯誤している最中とおっしゃっていました。どのように組み立てていけば12分台、26分台を出せるか、イメージはありますか。

大八木 イメージはあります。そういったレベルの選手とも何カ月間も一緒にやってきましたし、The TEN(アメリカ・ロサンゼルスで3月に開催の競技会)などでもそういう走りを見ていますから。

【Ggoatの展望と理想とするチーム像】

――これまでは駒大出身の選手ばかりを指導されていましたが、今季からは早大出身の太田選手もGgoatに加わりました。何か化学反応のようなものを感じることはありますか。

大八木 太田は素直なので、いろんなものを吸収したかったんだと思います。ひとりでやっていた時には、ペースを落とすなどして練習の質がそこまで高くなかったそうですが、田澤と一緒に練習をやるようになって質も高くなりました。彼は、うちに来る前は田澤に負けていましたが、今は田澤と同等かそれ以上の走りを見せてくれています。

 彼は人間的にも成長していますね。このチームに来て、チームのファミリー的な雰囲気を崩さないようにと私たちにも気を遣ってくれて、溶け込んでいます。田澤や芽吹は彼の後輩ではありますが、みんな和気あいあいとアドバイスをし合っています。ものすごくいいチームだなと思っています。

――太田選手の加入には、どのような経緯があったのでしょうか。

大八木 田澤も、トヨタ自動車に入社する前はずっとひとりで練習をやっていました。芽吹も、そこまで強くはなかったからですが......。それで、太田と田澤が試合で一緒になった時に、田澤のほうから「一緒に(練習を)やりませんか」と声を掛けたんだと思います。"一緒にやったらレベルが上がる"という思いはふたりとも同じだったんでしょう。

 太田も「ここでやりたい」と私のところに言いに来たので、受け入れることになりました。


――学生だけを指導していた時とは、選手との関係性は変わりましたか。

大八木 大学の指導者としては、トップダウンというか。ここ数年は私自身も接し方がだいぶ変わってきたと思いますが、選手たちは、なかなか指導者に意見を言えないこともあったと思います。

 今のチームは、みんな同じ目線。大人で自立しているので、言いたいことや思ったことは口に出すようにしています。私はチームのリーダーっていうだけで、その一員に過ぎません。みんなで強くなるっていう感覚でチームを作っています。

――どんなチームにしていきたいですか。

大八木 楽しいチームでありたいですね。仕事でも何でもそうですが、やっぱり楽しくなかったら長続きしません。トレーニングもそうなんですよ。きついなと思っても、"今日のトレーニングはよかった"っていう実感が得られるから続けられると思います。

 それに、コミュニケーションも大事にしたい。練習が終わったら、お酒を交わせるような和気あいあいとしたチームでありたい。

 そんななかから世界に何人送り出せるのか。そういうのが今、目指しているチームです。チームの経営は二の次にして、自分たちの選手が楽しく世界を目指せるようなチームになるっていうのが一番ですね。

【増える教え子の指導者】

――結果も出ていますし、憧れられるチームになりそうですね。今いる選手のほかにも、Ggoatに入りたいという選手がいれば、受け入れるのでしょうか。

大八木 そうですね。そういう希望のある選手がいれば、順次、面接もしながら受け入れたいという思いはあります。ただ、間口は広げますけど、選手自体がどこを目指しているのかは問いたいです。

桑田(駿介/駒澤大1年)のように5000m13分40秒ぐらいの選手でも、まだまだ伸びしろがあるって思ったら、受け入れたいですね。宝物をうまく見つけられればいいなという思いがありますね。"もっと強くなりたい"という思いのある子が来てくれたら、うちのチームも、また面白くなるのかなという感じがします。

――海外のチームも参考にしているとのことですが、逆に、将来的に海外の選手を指導したいという思いはありますか。

大八木 いや、今の段階では、やっぱり日本の選手を育てたいという思いがあります。

――ちなみに、チームに定員は設けているのでしょうか?

大八木 今のところはあんまり考えてはいないんですけど、あんまり多いと......。私だけではなかなかできないから、今はもうひとり、コーチ兼マネージャーがいます。駒大OBで主務をやっていた坪天潮が来てくれました。JR東日本では、ランニングチームのスタッフとして関わっただけでなく、社業にも就いて、会社組織のことなどいろんなことを勉強してきました。こうやって立派に成長して戻ってきてくれましたから、彼にも少し任せたいと思うところもありますね。

――坪さんもそうですが、教え子の指導者も増えてきました。

大八木 そうですね。今年度からは郄林(祐介)が立教大の監督になりましたし、國學院大の前田(康弘)もそうだし、拓大(井上浩監督、治郎丸健一コーチともに)、東農大(村上和春コーチ)にもいる。

 実業団でも増えてきました。最近では宇賀地(強)がコニカミノルタの監督になりましたし、女子の第一生命の監督には早瀬(浩二)が就任しました。

 それだけ年を取ったっていうことですよね(笑)。でも、自分がやってきたことを教え子たちに見てもらって、それで"自分も指導者になりたい"と思ってもらえたのであれば、こんなにうれしいことはありませんね。

 仏教の世界で教わったことでもありますが、人を残す大切さを自分でも感じていましたし、そうあればうれしいです。

【Profile】大八木弘明(おおやぎ・ひろあき)/1958年7月30日生まれ、福島県出身。会津工業高卒業後、家庭の事情で就職したが、終業時間外で練習し競技を継続し、24歳の時に駒澤大学に入学。1年時は5区区間賞、2年、3年時は2区でそれぞれ区間5位、区間賞を獲得した。大学卒業後はコーチ兼選手としてヤクルトに入社。1995年に低迷する母校・駒大から再建を託されコーチに就任すると、2年目の箱根駅伝(1997年・第73回)で復路優勝、3年目の1997年度に出雲駅伝で学生三大駅伝初優勝したのを皮切りに同大を学生トップチームへと引き上げる。2022年度に監督を勇退するまで出雲4回、全日本大学駅伝は3連覇以上3回含む15回、箱根では2002〜2005年の4連覇を含む8回と三大駅伝通算27回の優勝を果たした。2023年度から総監督となる一方、世界大会を目指す選手を育成するGgoatを立ち上げ、個々の指導に当たっている。