広島テレビ放送

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広島テレビのアナウンサーが、気になるテーマを自ら取材して、お伝えする『アナたにプレゼン』。有田優理香アナウンサーが、サッカー日本代表に選出された、サンフレッチェ広島の大迫敬介選手と川村拓夢選手をプレゼンします。

6月11日、サッカー日本代表のワールドカップ予選シリア戦が、エディオンピースウイング広島で行われ、見事勝利を収めました。広島で代表戦が行われるのは、20年ぶりでした。サンフレッチェ広島からは、同い年の大迫敬介選手と川村拓夢選手が選出され、大迫選手はスタメンで起用されました。

ゴールキーパーの大迫敬介選手は、鋭い反応でシュートを止める日本の若き守護神で、広島の半端ない男です。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手
「このまま日本代表として、このピッチに立てるのはすごく幸せなことですし、楽しみたいと思いますね。」

川村拓夢選手は広島市安佐南区育ち。豊富な運動量と左利きからの力強いシュートが持ち味です。

■サンフレッチェ広島 川村拓夢選手
「僕のホームスタジアムでもありますし、たくさんサンフレッチェのサポーターの方々も見に来てくれると思うので、僕の本来の姿を見せたいなと思いますね。」

大迫選手と川村選手の強さの秘密ここにアーリー!

2人のルーツをたどると、強さの秘密が見えてきました。まずは、大迫敬介選手です。超ストイックとして知られていますが、全体練習が終わった後も1人残って、シュートストップの練習を行っています。その強さの原点を知るために、2019年に大迫選手が日本代表A代表に初めて呼ばれた年に、鹿児島県の実家に取材に行っていました。

実家には、大迫選手が高校1年生の時に目標を書き込んだ日の丸がありました。左側には年代ごとの挑戦を、右側には目指すゴールキーパー像を書きこみ、真ん中にA代表と大きくしたためています。そして、見事2019年にA代表初招集され、願いをしっかり叶えました。

さらに、2023年の1月に、「Jリーグ優勝」さらには「2026年のワールドカップ出場」と新しい目標を書きこみました。大迫選手がこれからどのように羽ばたいていくのか、注目です。

大迫選手をよく知る父・哲郎さんによると、日本代表を見据えて、中学時代の大迫選手がお風呂で口ずさんでいたのは、国歌『君が代』だったそうです。また、東京オリンピックの開催が決まった当時、中学生だった大迫選手が制作した湯呑みには「2020年東京オリンピック」と書かれています。中学生の時から目標を具体的に持ち、夢を発信して叶えていく姿も、強さの秘密です。

続いて「広島愛」が半端ない川村拓夢選手です。小学1年生でサンフレッチェ広島に魅了され、スタジアムで応援に明け暮れました。小学3年生の頃に下級生に向けて声を掛けており、この頃からリーダーシップに溢れていました。地元の原小学校時代には、得意の左足を磨いてチームのエースナンバー10番を背負っていました。

広島で育った川村選手が、初めてスタジアムのピッチに足を踏み入れたのが、サッカー教室で小学3年生でした。2009年シーズンのホーム開幕戦でエスコートキッズを務め、当時サンフレッチェ広島でプレーしていた森脇良太選手と手を繋いで試合前のピッチに入りました。この時に、サンフレッチェ広島の選手をより身近で見たことで「自分もサンフレッチェ広島の選手として活躍したい」と、具体的に夢を描くようになりました。

川村選手は広島で育ったサッカー選手として「今度は夢を還元したい」と、オフには出身クラブの子どもたちに会いに行ったり、子どもたちをスタジアムに招待したりと、広島出身の自分だからこそできることがあると話しています。

さらに、川村選手の父・政治は、通勤用のカバンに息子の川村選手のアクリルキーホルダーをつけています。日本代表選出には幼いころからの努力、そして多くの人の後押しがありました。広島と日本の代表2人の、今後の活躍に期待しましょう。