左から川中美幸、曽我廼家寛太郎 撮影=井川由香

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喜劇発祥120年という記念すべき2024年、5月10日(金)より大阪松竹座にて松竹新喜劇が本公演を行う。演目は、喜劇の生みの親として知られる曽我廼家五郎(筆名:一堺漁人)が著した「幸助餅」と、上方喜劇の名優・曽我廼家十吾(筆名:茂林寺文福)と二代目 渋谷天外(筆名:舘直志)による合作の「村は祭りで大騒ぎ」。さらに、大阪出身の演歌歌手・川中美幸もゲスト出演、持ち前のコメディセンスで盛り上げる。今回は、松竹新喜劇の劇団員と川中美幸が意気込みを語った取材会と、川中と親交も深い曽我廼家寛太郎、二人の対談の模様をお届けする。

喜劇発祥120年のメモリアルイヤーに10代の新メンバーも誕生!

下段右から天外、扇治郎、川中美幸、天笑、文童、上段右から山川大遥、玉太呂、八十吉、いろは、一蝶、桃太郎、寛太郎、一二三

登壇者の挨拶では、それぞれ次のように語った。

藤山扇治郎:喜劇発祥120年記念の公演ということで曽我廼家文童さん、曽我廼家一二三さんに参加していただいております。またゲストに川中美幸さんに華を添えていただきます。お客様に喜んでいただけるよう一生懸命、頑張っていきます。

渋谷天笑:川中さんのお客様に松竹新喜劇を観ていただき、新喜劇のお客様に川中さんの歌を聴いていただけたらと思います。どうぞ松竹新喜劇、ご宣伝のほどよろしくお願いいたします。

曽我廼家一蝶:曽我廼家の名前をいただいて3年目になりました。本日はたくさんの曽我廼家の先輩も来ていただいて、すごく嬉しいです。頑張ります。

曽我廼家いろは:曽我廼家の一人として出演させていただけることに、とても嬉しく思っております。また、この喜劇が120年、130年、140年、150年と、どんどん続けていけるように精進してまいります。

曽我廼家桃太郎:今回は先輩方もお越しいただきます。重厚感のあるお芝居を、楽しくお届けできればと思っております。

渋谷天外:周りを見たら曽我廼家ばかりで、渋谷は私と天笑の二人しかいてません。どうぞ曽我廼家よりも渋谷の方を大きく書いていただければ、渋谷家としては本当にありがたいと思います。

曽我廼家八十吉:いつも一生懸命頑張っているつもりでございますが、この5月は特に必死でやらないといけないなと、自分の体のように重く感じております(笑)。

曽我廼家寛太郎:私が曽我廼家の名前をいただきましたのは、藤山寛美先生のお力添えで、1982年のことです。今年で丸42年になりました。男の厄で言うたら後厄ですので、この5月までで厄落としができるように、また曽我廼家の名前を継承した「3年目の若手たち」には負けないように頑張ってまいります。

曽我廼家玉太呂:私が劇団に入団してから早いもんで50年が経ちました。古株になってしまいましたけれども、若手が一生懸命頑張っております。私も負けないように一生懸命、努力させていただきます。

川中美幸:おはようございます。歌謡界のソメイヨシノ・川中美幸です(笑)。喜劇発祥120年という記念の年に、歴史のある舞台に出させていただき本当に胸がいっぱいです。できる限り精一杯、情のあるお母さんを演じたいと思っています。

曽我廼家文童:古い曽我廼家の名前を若手の皆さんがよう継いでくれたなと思っているんです。というのは、ホテルのフロントで宿泊の名簿に書いても曽我廼家と呼んでいただいたことがないんです。これからは若手の人に頑張っていただいて、どこのホテルに行ってもすんなりと「そがのや」と言ってもらえるようにしていただくことを祈っております。

曽我廼家一二三:この記念すべき公演に参加できますことを、心より嬉しく思っております。そして皆様方の足手まといにならないように頑張りたいと思っております。

松竹新喜劇

また、本公演より15歳の山川大遥が松竹新喜劇に入団することも決定した。山川はしっかりした口調でこう挨拶した。「この4月から松竹新喜劇に入団させていただきました。春からピカピカの高校1年生、山川大遥でございます。松竹新喜劇には、以前より参加し、観劇させていただいていました。松竹新喜劇の笑えて泣ける、心を動かされるお話が本当に好きで、劇団員の皆さんの中でお芝居をさせていただきたいなと思っていたので、今回、入団のお話をいただけて本当に嬉しいです。一つ一つの舞台、一つ一つの役作りを精一杯頑張っていきますので、これからどうぞよろしくお願いいたします」。

川中は、このたびゲスト出演するに至った経緯を「郄田次郎さん、そして文童さん、寛太郎さん、今は一蝶さんに改名されていますが当時は植栗さんが私の舞台に出ていただいて、華を添えていただきました。そのとき、文童さんが「美幸さん、喜劇やりはったらええのに、喜劇やりはったらええのに」とずっと言ってくださって。早くから文童さんは私の才能を見抜いてはったんやなと(笑)」と明かした。

文童に川中の喜劇女優としての魅力を尋ねた。「川中座長はご自身の歌の合間にお客さんと対話をされるんですよね。一人で喋って、一人でお客さんを笑わせてはる。その姿を袖から見ていて、喋りといい、間(ま)といい、これは喜劇で使うべきものと違うかなと。いろんな役者と絡んでいったら、もっと笑いが膨れ上がっていくんじゃないかと感じましたので、大それたことですけども「どうですか、やってみはったら」と川中座長に言うた記憶があります」。

松竹新喜劇は昨年5月より藤山扇治郎、渋谷天笑、曽我廼家一蝶、曽我廼家いろは、曽我廼家桃太郎という若手5人が劇団の顔となり、若い世代にもその魅力のPRに努めている。扇治郎は「世の中便利になってはいますが、変わってはいけないこともあり、それは先輩がたが残されてきたお芝居に通じると思います。あまり変えずに若い世代に伝える方法を考えなければいけない」と120年続く喜劇の本質を語る。そして「毎回言っていますが、新喜劇というと世の多くの方は吉本興業さんの方を想像されると思うんです。若い世代の方たちにも松竹新喜劇があるんだということを分かっていただけたらいいなと思います」と天笑、「今回は山川くんも出ますし」と10代の新メンバー、山川にも期待を込めた。

山川は「同世代の友達に「また舞台に出る時に呼んでや」とか言われたりするので、高校生とか若い世代の人たちにも自分から積極的に言って、松竹新喜劇を有名にしていきたいですし、僕の活躍を見てほしいので友達に広めていきたいと思います!」と抱負を語った。すると「大人」の劇団員全員が一斉に山川の方を向き、「よろしくお願いします!」と頭を下げ、会場の笑いを誘った。

川中美幸×曽我廼家寛太郎、あうんの呼吸でテンポ抜群!

続いては、川中美幸と曽我廼家寛太郎の対談を。早くも幕開けが待ち遠しくなる、二人の息の合ったやり取りを楽しんでほしい。

――改めてお二人のご関係をお聞きしたいのですが、寛太郎さんが川中さんの舞台で共演されたのがお知り合いになったキッカケでしょうか?

川中:そうですね。初めてお会いした時は……何年前やったかな。

寛太郎:あれは8年くらい前になりますかね。大阪の新歌舞伎座の正月公演でした。その前から川中さんの舞台は何度も客席から拝見させてもらって、楽屋にもご挨拶させてもらっていて。それがご縁で正月公演に出させていただき、がっつり絡ませていただきました。

川中:すぐ意気投合しました(笑)。

寛太郎:川中さんの座長公演に出させていただいたのは大阪で二回、東京で一回なんですけど、すごく中身の濃い三回でした。これは私が自負していることなんですが、松竹新喜劇の劇団員の中で一番、東京にある川中さんのお好み焼き屋さんに行った人間だと思うんです(笑)。それは負けない自信があります!

川中:そうそうそう(笑)。

寛太郎:一番、豚玉を食べている男やと書いといてください(笑)。

川中:こんなことを言うと失礼ですけど、寛太郎さんはいじりやすいというかね、ものすごくやりやすいんですよね。ボールを投げてもすぐに返ってくる安心感があります。

寛太郎:それはね、川中さんが持っていらっしゃる即興力であり、喜劇的センスであり、頭の回転の速さ。そういうものが群を抜いています。あと、トーク力。先ほども文童さんがお話をされていましたけれども、川中さんのような方は松竹新喜劇にパチーン! とはまると思いました。

川中:物心ついたころから笑いといえば松竹新喜劇。うちの両親も大好きで、あのころは「寛美、寛美」とよく言っていました。私も子供ながらに「あのね、もしもし?」とかって藤山寛美さんのものまねをして。「もしもし? お父さん?」「あほあほ言うけどね」とか。そういう笑いが子供のころからしみついているというかね。松竹新喜劇さんのお芝居は、笑わしたろ! というものではなくて、自然にふっと笑えたり、なんか知らんけどとめどなく涙が出てきたり、最後は温かい空気が流れたり。うちの母も「お母ちゃんはこういう笑いが好きや」とよう言ってました。「松竹新喜劇を観に行きたい」と言うから、晩年も新橋演舞場に車椅子で行っていたんです。

川中美幸

――そういう思い出もおありだったのですね。

川中:私の舞台で皆さんに華を添えていただいて。きっといつかご縁があると思って、それで去年は「出たい」と言い続けたんです。

寛太郎:川中さんのお店で、お好み焼き食べている時にね。

川中:そう。お好み焼きを食べながら「寛太郎さん! 私、出たいねんけど、どうしたらええ!?」言うてね。

寛太郎:「いや、出てくださいよ!」って。せやから「ちょっと録音していいですか?」と言って、スマホを川中座長の顔に近づけました。

――その録音されたデータはどうされたのですか?

寛太郎:まだ残ってます。お披露目はしてないんですけどね、音声データは残ってます。

川中:「出たい。出たい、私、松竹新喜劇に出たいです!」とか言うたのを録音してもらって(笑)。出演が決まって、「私、松竹新喜劇にお世話になるねん」といろんな方に言うたら、「ぴったりやな」と言われたんです。「ちょっと違和感ある」と言われたらどうしようかと思ったんですけど、「美幸さん、ぴったりやわ」と。それが嬉しいですね。内に秘めたらいかんなと、言霊はあるんやなと思いました。本当に夢のようです。

寛太郎:さっきの取材会でも、終わってから「私、(その場に)なじんでた? なじんでた?」とえらい気にしてはって。一発目に「歌謡界のソメイヨシノです」言うてはりましたがな~言うたら、「いや、なんか笑わせなあかん思うて」と。この日のためにいろいろ仕込んできはったんやなと思いました(笑)。

川中:やっぱり掴まなあかん思うてね(笑)。ある程度ベテランと言われるようになりましたら、若手の子たちが挨拶に来るでしょ? そしたらね、緊張しはるんですよ。なんで私に緊張するのかなと思うから、もう自分かパーッと(心を)開くんです。そしたら皆、「美幸さんの楽屋に行くのが楽しみや」と言うてくれるようになって。私も先輩方によくしてもらったことを思い出して、自分から手を差し伸べるように心がけるようにはしています。

――今回はお稽古場がさらに明るくなりそうですね。

寛太郎:そうですね。しかもね、全然わざとらしさがないし、スベらないんです。これは、ご自身の歌謡ショーのおしゃべりコーナーで、いかに即興で、お客様とやり取りされて、わんわんお客様を沸かしてはるか。現場で培われたトーク術とセンスだろうなと思います。

川中:まあ、場数です(笑)。

――今回お二人は、「村は祭りで大騒ぎ」で共演されます。川中さんがお姉さんで、寛太郎さんが弟の役ですね。

川中:なんで私がお姉ちゃん!? って冗談ですけどね(笑)。

寛太郎:こんなハゲ散らかした弟でね(笑)。

曽我廼家寛太郎

――もしお二人が本当のご姉弟だったら、どんな関係性になっていたと思いますか。

川中:このままちゃいます?

寛太郎:このままでしょうね。

川中:たとえば寛太郎さんがお兄さんであっても、妹の方がお兄さんを引きずり回しているような感じがします。でも、夫婦の役もやっていたんです。

寛太郎:ありましたね。その夫婦も別れましたけど(笑)。僕が借金で逃げるという役で。

川中:今回の台本を読みましたが、最高ですね。

寛太郎:お客様に楽しんでもらえる二人のシーンもありますしね。どちらかと言ったら僕はボケの方なので、川中さんにツッコんでいただいたり。でも川中さんもボケはると思うので、僕もツッコまなあかんなと思ったり。そのやり取りがうまいこと喜劇になったらいいなと思います。

――初めての松竹新喜劇ということで、川中さんから寛太郎さんに何かお聞きしたいことはありますか?

川中:松竹新喜劇という歴史ある劇団の中に私が参加させていただくものですから、いつもの舞台とはちょっと違う緊張感もあります。だから寛太郎さんには「どんなふうにお稽古しはるの?」とか聞かせていただいて。

寛太郎:そうなんですよ。

川中:私はできるだけ劇団の色に自分から染まっていかなあかんと思っています。お芝居は調和やから、できるだけ若い人たちにもなじむように。新しいところに参加させていただくので、そういう気持ちで臨んでいきたいなと思います。そうして新たな感性も磨きたいですね。

寛太郎:皆に溶け込むことをすごく気にしてくださっているのが嬉しいですね。

――寛太郎さんから何かアドバイスはありますか?

寛太郎:アドバイスなんか、とんでもないです。

川中:してほしい。

寛太郎:川中さんは座長でも、お一人でも、すごいパワーをお持ちの方なので、若手も含めて劇団員で束になって川中さんと拮抗できるように頑張りたいと思います。少々の人間が束になってかかっても川中さんには勝てません。

川中:どんなんや(笑)!

寛太郎:ゴジラやないけども(笑)。

――川中さんの座長公演でも、包容力がすごいおありなので……。

寛太郎:そうなんですよ。多分、そういうところもちょっとずつ出していきはると思うんです。お一人でも大きな空間を埋めるだけの力も持っている方やから。

川中:……どうしよう、千穐楽のころには「曽我廼家美幸」になってたら(笑)。

寛太郎:話題性がありますね(笑)。ほなら私は「川中寛太郎」になるかな。

――川中さんは同じく「村は祭りで大騒ぎ」で曽我廼家いろはさんと親子の役です。いろはさんとの初共演はいかがですか?

川中:いろはさんもかわいらしい、品のある方ですね。松竹新喜劇は笑いに品があるから好きなんです。品は大事やと思います。今回は、亡くなったお母ちゃんのことを思い出して、いろはさんに母の愛情をたっぷりと出したいなと思います。あと、観てくださった方にも「こんなお母ちゃんやったらええな」と思ってもらえたら。母というのは、皆さんのテーマですからね。情がたっぷり出せたらいいかなと思います。

――まだ公演前ですが、今後もご出演されることを期待しております。

寛太郎:僕も第二弾、第三弾を考えてますよ。川中さん、次はこの役がええなとかね。いっぱいあります。

川中:いやっ、とんでもないです。ひょっとしたらもうこれで糸へんに冬かもしれないし……。

寛太郎:糸へんに冬で「終」。

川中:ふふふ(笑)。私ね、松竹新喜劇が好きでしょ。だから楽しみたいと思うんですよ。そういう楽しい心が絶対、お客さんに伝わるから。これからの時代は笑いがないとあかん。肩の凝らないお芝居。泣けて笑えてほっこりして。ね? 

寛太郎:ほんまです。少しでも笑いやら、勇気やら、生きる希望を受け取ってもらえたら。ほんまにベタですけども、うちはベタでいいと思っているんです。お客さんが元気になる舞台を繰り広げたいですね。

左から川中美幸、曽我廼家寛太郎

取材・文=Iwamoto.K 撮影=井川由香