ドゥンガインタビュー(1)

1990年代後半にジュビロ磐田の「黄金期」の礎を築いた"闘将"ドゥンガ氏が、久しぶりに来日した。そこで今回、同氏を直撃。現役だった当時のJリーグのことを振り返ってもらいながら、ジュビロの躍進のために必要なこと、さらには現在の日本代表についても話を聞いた――。


日本でプレーしていた当時を振り返るドゥンガ氏。photo by Fujita Masato

――ドゥンガさんは久しぶりの来日とのことですが、今回はどれくらいぶりなのですか。

「10年ぶりだね」

――日本を離れている間、ジュビロ磐田に関することをはじめ、日本のサッカーについての情報は得ていたのでしょうか。

「日本のサッカーについてはもちろん、日本代表の試合も見ていたし、あとはJリーグのこともチェックしていた。ジュビロがJ2に落ちた時には、みんなと同じように悲しくなったよ」

――10年ぶりの日本で、楽しみにしていたことはありますか。

「まずは、やっぱりジュビロでプレーしていた頃に関わった人たちに会いたかった。昨日(取材前日)も、このジュビロというクラブで仕事を始めた時のスタッフたちと一緒に夕食をとったよ」

――10年もの時間が経つと「変わったな」と感じることも多いのではないですか。

「街はすごく成長しているなと感じた。でも、人は変わらないね」

――ドゥンガさんが磐田に移籍してきたのは1995年夏。当時のJリーグは2ステージ制で、後半戦からの加入でした。その頃を振り返って、初めてプレーするJリーグのことをどう感じていましたか。

「Jリーグはすごくオーガナイズされたリーグだな、というのが最初の印象だった。

 今まで自分がプレーしてきた国とは違うなと感じたのは、サポーターが結果に対してそれほど厳しいプレッシャーをかけてこないということ。ただ、時が経つにつれ、彼らも次第に『絶対に勝ってくれ』というプレッシャーをかけてくるようにはなったけどね」

――Jリーグが誕生したのは1993年。今や30年を超える歴史がありますが、当時はまだ3年目のシーズンでした。

「確かに、まだJリーグは始まって間もなかったけれど、すでに外国人選手が30人くらいいて、しかも彼らは、それぞれの国の代表で直近のワールドカップに出場していたような選手ばかり。とても競争力があるリーグだったと思うよ」

――ドゥンガさんがJリーグでプレーしていた当時、敵味方に関係なく「いい選手だな」と思っていた選手は誰ですか。たとえば、「この選手ならヨーロッパでもプレーできるだろう」というような選手はいましたか。

「いい選手はたくさんいたけれど......、ナカータ(中田英寿)、マエゾーノ(前園真聖)、カズー(三浦知良)。実際、彼らは海外でプレーしたしね」

――彼らのどんなところがよかったのですか。

「ナカータはドリブルがうまくて、フェイントもよかった。それに、両足が使えて、いろんなポジションでいろんな役割をこなせる選手だった。

 マエゾーノもドリブルだね。スピードがあって、彼の場合はキャリアのピークがそれほど長くは続かなかったのかもしれないけれど、すごくクオリティが高い選手だったのは間違いない。

 総じて日本人選手は両足がすごくうまく使える、"両利き"の選手が多かったから、海外へ行っても成功する選手が多いとは感じていたよ」

――そういう器用さが日本人選手のよさ、ということでしょうか。

「両利きもいいところではあるけれど、それだけじゃない。スピードもそうだし、どこのポジションでもプレーできる器用さがあったり、すごくいい選手が多い。技術のクオリティも高いし、自分の役割を全うしようとする、規律正しいプレーもできるしね」

――磐田のチームメイトにも、その後、日本代表で活躍する選手が数多くいました。藤田俊哉、名波浩、服部年宏、奥大介、福西崇史らは、ドゥンガさんと同じくらいの時期に磐田に加入した選手たちでしたが、彼らの成長をどう見ていましたか。

「みんな、技術力はあった。ただその一方で、集中力をなくす瞬間というのが結構あったんだ。だから、自分が言わなければいけなかったのは、目的意識とか、集中力とか、そういうものを失わないようにしなければいけないということ。そうでないと『優勝は狙えないぞ』ということを、まずはしっかり示すようにしたんだ。日本代表に入るにしても、ジュビロで勝っていかなきゃいけないからね。

 代表に行きたいなら、チームが勝たなきゃいけない。勝つためにはジュビロがチームとしてまとまり、選手同士が助け合い、力を合わせなければならない。彼らにはそういう頭の切り替えが必要だった」

――だから、あんなに怒鳴って、厳しくチームメイトに接していたんですね。

「ハハハッ(笑)。自分が厳しい口調で指示したり、要求したりするのは、自分が誰かを嫌いだからだとか、誰かとうまくいっていないからだと思う人たちもいて、最初の頃はみんながわかってくれなかったな。

 だから一度、みんなで座って話し合ったんだ。自分が怒鳴るのは、その人のことが嫌いだからではなく、『おまえの役割はこうだ。おまえがやるべきことはこういうことだ』と伝えたいだけなんだよ、と。

 それがゴン(中山雅史)であろうと、トシヤ(藤田)であろうと、自分はその役割について要求しているのであって、人が嫌いだったわけじゃない。監督が指示したことをピッチのなかでやれていない。そのやれていないことを言っていただけなんだ。

 チームメイトのみんなには、ピッチのなかではあんなに怒鳴りつけるくせに、試合が終わったらピッチの外では冗談を言ったり、楽しくしゃべろうとするから、『なんだ、この人は? いったいどういう人なんだろう?』と思われていたみたいだね(笑)」

(つづく)◆ドゥンガが語る、ジュビロ磐田が再び躍進するために必要なこと>>

ドゥンガ
1963年10月31日生まれ。ブラジル出身。ブラジルの名門クラブでプレーしたあと、イタリア、ドイツのクラブで活躍。ブラジル代表でも奮闘し、1994年W杯ではキャプテンを務めてチームの優勝に貢献した。1995年夏、ジュビロ磐田入り。強いリーダーシップを発揮して、1997シーズンにはジュビロを初のリーグ王者へと導いた。引退後は、ブラジル代表監督など指導者として手腕を揮った。