鳥山明さん

 3月8日、『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などの名作を放ってきた漫画家の鳥山明さんが、1日に急性硬膜下血腫で亡くなっていたことが明らかになった。突然の訃報を、ファンも関係者もまだ受け止め切れずにいる。

 1993年から5年をかけ、全国で巡回展示された「鳥山明の世界」展の企画立案者である、元集英社社員の山本純司さんもそのひとりだ。山本さんは、同社でおもに少女漫画誌の編集に携わってきたが、宣伝部に異動し「少年ジャンプ」を担当。そこで鳥山さんと交流があった。

「僕は鳥山さんの崇拝者です。だから、突然の知らせにたいへんなショックを受けています。作品に接し、なにしろその画力に圧倒されていましたが、ご本人はまったく偉ぶらず、徹底的に明るく、前向きで大らかな方なんです。そんな人柄にも惹かれました」

 漫画家は籠って作業をするせいもあり、センシティブで「どちらかというと変わり者が多い」と山本さん。成功すると、我の強さをむき出しにする作家も多いなか、鳥山さんは「いたって謙虚」だった。現に展覧会の話を最初に持ちかけた際、鳥山さんは照れくさそうにこう答えたという。

「そんなこと、やられちゃうんですか。(自分への)評価が高すぎますよ」

 公立の美術館で漫画家の展覧会がおこなわれるのは、1990年に東京国立近代美術館で開催された、手塚治虫展に次いでのことだったという。山本さんは振り返る。

「手塚治虫展は、手塚さんが亡くなられた翌年に開かれましたが、鳥山さんはまだ30代でした。川崎市市民ミュージアムを皮切りに、全国10カ所をまわりました。その流れで、原画数点だけですが、国立西洋美術館でも展示されたのは画期的なことだったでしょう。

 鳥山さんは現代美術界からも支持されていました。当初、展覧会開催に向け、村上隆さんや、後に自身のギャラリーを発足させ、村上さんを売り出した小山登美夫さん、やはり村上さんの紹介者として知られる美術評論家の椹木(さわらぎ)野衣さんらと打ち合わせをし、いろいろ意見を交わしましたよ」

 そうした権威による評価があったからではなく、山本さんは鳥山さんを「真の芸術家」とたたえる。なぜなら、「言葉を使わず絵だけで語れる」稀有の画力の持ち主だからだ。

「手塚さんですら、どこか言葉に頼る面があったのに、鳥山さんは絵だけで魅せることができた。ほかにそんな芸当のできる漫画家は僕の知る限り、くらもちふさこや大友克洋、江口寿史や井上雄彦ぐらいでしょう。鳥山さんの絵はモナリザと同じように、ずっと観る者の同伴者になる絵なんです」

 また、鳥山さんの突き抜けたように明るい作品世界にも、「本人の人柄が反映している」と山本さん。『ドラゴンボール』の主人公、孫悟空はとくに「本人を彷彿とさせる」という。

「スーパーヒーローを描いた作品、『スーパーマン』や『スパイダーマン』、『聖闘士星矢』や『北斗の拳』だって、悪と戦ううちに主人公も悩むんです。孤独の影を引きずるのがパターン。ところが、底抜けに明るい悟空は敵役さえ改心させてしまう。読者や視聴者の本当の“心の友”になってくれるんですよ」

 コミックは全世界累計で2億6000万部を売り、アニメは80か国以上で放送された『ドラゴンボール』。メガヒットの理由は、そんな主人公のはつらつさにあった。そして、連載された「週刊少年ジャンプ」は、1995年1月、驚異の発行部数653万部を記録した。『ドラゴンボール』は、「ジャンプ」黄金期を支えた作品だった。

 その間に、同誌上で『まじかるタルるートくん』を連載した江川達也氏は、著作『全身漫画家』(光文社)の執筆を筆者が手伝った際、こんな本音を漏らした。

「ジャンプ方式を理解する最良のお手本が『ドラゴンボール』だった。『タルるートくん』は当初『ドラえもん』のパロディだったが、後半は『ドラゴンボール』を意識し、どんどんバトル展開になっていった」

 その後の「ジャンプ」発の世界的な大ヒット作、『NARUTO-ナルト-』や『ONE PIECE』もどこか『ドラゴンボール』の影響下にある。そして、「ジャンプ」の今日を作った立役者の鳥山さん自身、しばらく新作発表には消極的だったが、ここへ来て、再始動の姿勢を見せていた。山本さんは「前途洋々たる68歳」だったと語る。

「2023年8月に劇場アニメとして公開された、『SAND LAND』の続編の構想を本人が語ったばかりで、すでに亡くなっていた4日には、ゲーム化などのプロジェクト発表会が開催されたんですよね。大きな展開をしようという矢先だっただけに、残念でならない」

 山本さんは編集者時代、デビュー前から、故・さくらももこさんや矢沢あいなどを担当し、世に送り出してきた。2018年に53歳の若さで逝った、さくらさんは鳥山明ファンとしても知られ、自身のイラスト集では鳥山さんとコラボも果たしている。

「さくらさんに次いで鳥山さんまでもが……」と肩を落とす山本さんだが、ファンの傷心を癒すためにも、「さらに大きな回顧展、いわば『鳥山明の宇宙』展が必要」だと力を込める。それはきっと、その後の鳥山作品の海外での成功も視野に入れた、「とてつもない」催しとなるだろう。

文・鈴木隆祐