家族の幸せのために親は何をすべきか(写真:tomcat/PIXTA)

身近な人に理不尽な怒りをぶつけてしまい後で後悔する……。そういった行動をくり返し、周囲を疲れさせていることはありませんか? 「持って生まれた性格、感情は自分の意のままにできないから仕方ない」と思ってやり過ごしがちな行動ですが、「自分の考え方をひもといていけば変われるのではないかと考えた」と、イラストエッセイスト・コラムニストの犬山紙子さんは言います。

前回の記事では、犬山さんの子育ての向き合い方を聞きました。ここからは『親といるとなぜか苦しい』(リンジー・C・ギブソン著)を読んで気づいた「自分や親を客観視することの大事さ」について語ってもらいました。

自分の気持ちにフタをして起こった悲劇


私は親の介護をしていた時期があります。仙台の大学を卒業後、仙台にある出版社で働き始めて2年目のことです。ほとんど車いす生活になった母を夜中に2、3度トイレに連れていく毎日に睡眠不足になり、自分の将来も不安になっておしつぶされそうになった時期がありました。それでも母が大好きだったから介護をしたかったんです。

母のためになることは喜びで、長年私を愛してくれた母に尽くすのはしたいことでもある。ですが遊びたい、思いっきり仕事をしたいという気持ちに自分でも気づかぬうちにどこかでフタをしていたのだと思います。自分の将来、キャリアはどうなるのか不安もありました。そういった過度なストレスに身を置き、知らぬまに自己犠牲がすぎる状態になってその苦しみを外に出そうとしていたのでしょう。当時お付き合いしていた男性に夜中に電話をして、なぜか怒っている自分がいました。弱音を吐いたり、甘えるのではなく、怒ってしまっている。相手には本当に申し訳ないことをしたと思っています。

『親といるとなぜか苦しい』には、問題に対処する方法を2つのタイプにわけて書いています。「内在化タイプ」は自分しだいで状況を変えられると信じていて、「外在化タイプ」はほかの人に変えてもらおうと考える。私は内在化タイプがストレスにさらされた結果、外在化したタイプだなと読んでいて感じました。とくに気になったのが、外在化タイプの心理的なスタイル「衝動的で自己中心的」「感情は意のままにはできないと考えている」「すぐキレる」というところ。このタイプは支えてくれる周囲の人たちを疲れさせているかもしれないという言葉は、まさに母親の介護をしていたときに感じたものでした。

かつての私は、精神的に未熟だったのだなとあらためて思います。たとえば急いでいる朝、ダイニングテーブルに出しっぱなしのマヨネーズを発見して夫に怒ってしまうということがありました。気づいた私が冷蔵庫に入れればすむ話なのに、夫に「マヨネーズは冷蔵庫に入れてよ!」と怒ってしまう。毎回出しっぱなしというわけでもないし、言えばわかる相手なので優しく伝えたらいいだけ。怒って伝える必要はないわけです。

自分を変えたくて駆け込んだ

怒るという感情自体を否定しているわけではなく、正当な怒りは大切な感情です。ただ夫は私が理不尽な怒りをぶつけてもすべて「あ、そっか。僕が悪かったごめんね」という人なので、その姿を見て気づかされたんですよね。私、はてしなくヤバいことを言っているなと。たとえ話はマヨネーズの話で、たいしたことない日常のひとコマなのですが、これがエスカレートしたら精神的DVになりかねません。

母の介護をしていたときお付き合いしていた男性に怒りをぶつけていた過去を反省していたのに、夫に謝らせている自分はなんてひどい人間なのだと思っていました。「感情は意のままにはできないものだから仕方ない」「生まれ持った気質なんだ」とあきらめすぐキレるような人間で生きていきたくはない。それで変わりたい、自分の考え方をひもといていきたいと思いカウンセリングに通い始めました。子どもが生まれる前の妊娠中のことです。

子どもが生まれる前にカウンセリングで自分を客観視することができるようになっておいてよかった。イラッとすることがあっても「私はいま、甘えたいんだな。だから怒りの感情が湧いているんだな」という考えが浮かび、怒りが持続しなくなりました。

相手の気持ちに鈍感になっていないか

前回の記事にも抜粋した「精神的な成熟度チェックリスト」は、いまの私には当てはまりませんが、変わろうと思って対処していなかったらと考えるとこわいですね。「ほかの人の気持ちなどおかまいなしに、なにかを言ったりすることが多い」というのは客観視する力がなかったら今でもやっていたでしょうし、かつての私で子育てをしていたら間違いなくいつもイライラしていたでしょう。

賛同してくれた仲間たちと「#こどものいのちはこどものもの」というボランティアチームを立ち上げ、児童虐待を減らすための活動を2018年から行っています。チームのメンバーはタレントやアーティスト、ミュージシャンと幅広く活躍している方々で、みなさん発信力を使って微力ながら何かできないかと考えて参加されています。

取材と啓蒙活動を続けるなかで感じるのが、虐待する親もしたくてしているわけではないということです。追い詰められた結果、虐待してしまったり、自分が子どものころにされていたことが虐待だと気づかず同じように自分の子どもにも繰り返してしまったり。適切な情報が身近にあれば、助けられることもあると思うのです。

まったく他人事ではない

『親といるとなぜか苦しい』を読んだことで、「親を客観視する」ことの大事さを知りました。大人になっても親にされたことで苦しみ続ける人はたくさんいると思います。生物学的につながった親だから精神的な絆があって当たり前、親はつねに正しく間違ったことなどしない、怒りや体罰を受けるのは子である私が悪いからだ……といった「親からかけられてしまった呪い」を再生産してしまうと、虐待につながってしまう。児童虐待はまったく別世界のひとごとではないのです。

『親といるとなぜか苦しい』の文中には、「だれも親を憎みたいわけでも、攻撃したいわけでもない。たとえ適切に愛されなかったとしても、そうなってしまった納得のいく理由を見つけ出すことで、親を憎まないでいいようになりたいだけ」とあります。まさにそう。親の問題点を客観視できるようになれば自分が悪いのだと責めることがなくなり、自分の感情は尊重されるべきものだと考え自分を大切にする一歩を踏み出せるかもしれません。「刷り込み」の重荷から解放され自分の感情を軽視しない人が増えることは、次の世代の幸せにつながる気がしています。

(構成:中原美絵子)

(犬山 紙子 : イラストエッセイスト)