2023年12月14日、恒例の記者会見で記者からの質問に答えるプーチン大統領(写真・Sputnik/共同通信イメージズ)

2024年を迎え、ロシアによるウクライナ侵攻は2月末には、いよいよ3年目に入る。国際的な最大の関心は、もちろん戦争の行方だ。

しかし、戦局の膠着化、不透明感の強まりを受け、侵攻の現状・見通しを歴史的文脈から考える必要性が、より高まってきたと筆者は考える。そこで、今回の論考では、そういった観点も踏まえて「どこへ行く、プーチン・ロシア」をテーマに分析してみた。

2023年12月14日、プーチン大統領は侵攻後、中止していた恒例の大規模記者会見を復活した。その前後も様々な場で発言を行った。

プーチン「和解はありえない」

もともと系統立てて長広舌を展開するのが得意のプーチン氏。2023年6月からのウクライナ軍の反攻作戦を不発に終わらせた結果に気を良くしてか、余裕の表情を浮かべながら、自らの強気な論理を滔々と展開した。こうした発言はロシア・ウオッチャーにとって、プーチン氏の心根を探る上で重要な機会となった。

その結果、数々の言葉をつなぎ合わせていくと、今後に向けた「プーチン戦略」が、次第に一つの像のように浮かび上がってきた。その像とは、この侵攻が「ロシアを敵視する傲慢な西側」との長期的敵対関係の始まりに過ぎず、西側が大幅に譲歩し歩み寄ってこない限り、和解はありえないとのプーチン氏の強い意志だ。

その思いを象徴的に吐露したのが、2024年1月1日、モスクワの病院に入院している負傷兵を見舞った際に語った発言だ。その概要はこうだ。

「彼ら(西側を指す)がわれわれの敵(ウクライナ)を助けているわけではない。彼ら自身がわれわれの敵なのだ。これが問題のすべてだ。数世紀にわたり、そうだったし、今も続いている。ウクライナ自身は我々の敵ではない。国家としてのロシアを消滅させることを望む西側こそ敵なのだ」

ここで言う「西側こそ敵なのだ」とは何を意味するのか。それは、たとえ侵攻でウクライナに勝っても、問題は終わらないし、その後も西側との敵対関係が続くとロシア国民に長期戦への覚悟を求めたもの、と筆者は考える。

この「数世紀にわたる」西側の敵意、を一言で象徴する言葉として、プーチン氏が最近の演説で従来以上に多用し始めたのが、「ルッソフォビア(ロシア嫌悪)」という言葉だ。

これは、主に18世紀半ばから19世紀半ばにかけ、フランスやイギリスで広まった反ロシア感情を指す、歴史的なロシア語だ。ロシアで長い間、使われなかったこの言葉を政治の舞台に復活させたのはプーチン氏自身だ。

ルッソフォビア(ロシア嫌悪)の受難国

2014年の一方的なクリミア併合を契機にした西側との関係悪化を受け、プーチン政権は、国際的孤立の原因はロシアの行動ではなく、もともとロシアを敵視している西側であると自らを正当化するために使い始めていた。侵攻開始の際にも使った言葉だ。

しかし最近、プーチン氏はこのルッソフォビア批判のボルテージをさらに一段と上げた。2023年11月末、「ルッソフォビアは、事実上、西側の公式イデオロギーになった」と宣言したのだ。

つまり、侵攻を機に形成された西側の対ロシア包囲網が一時的なものでなく、対ロ外交の長期的枠組みとして、ビルトインされた(組み込まれた)との認識を明確に初めて打ち出したのだ。

では、この「公式イデオロギー発言」にはどういう狙いがあったのか。筆者は以下のように解釈する。

東西冷戦時代は「資本主義体制VS社会主義体制」の2つの政治制度の競争であり、対決であった。それが現在は、ルッソフォビアこそ今後のロシアと西側との主要な対立軸であると、プーチン氏は言い切ったのだ。

ロシアがウクライナへの侵略国家であると西側から断罪されている中、ロシアはルッソフォビアの受難国であると説き、国民に団結と忍耐を訴えたのだ。

こうした受難論をベースに、プーチン氏は、2023年から新たな国づくりに踏み出した。代表的なのは、ルッソフォビアを初めて刑事罰の対象とする刑法改正の動きだ。

何をもって「ルッソフォビア」と規定するのか。まだ法律論議が続いているが、例えば、海外でのロシア国民に対する差別や、西側やウクライナを支持するような言動に禁錮5年の処罰を与えるような案が練られているようだ。

教育面でも、この受難論に沿った変化が進んでいる。ソ連時代のような、生徒への軍事教練が導入された。歴史の書き換えも進んでいる。

プーチン氏の指示を受け、高校生年代用に2023年秋に導入された全国統一教科書では、ルッソフォビアを初めて取り上げ、「西側のあからさまなルッソフォビアの狙いは、ロシアの解体である」と記した。

米欧との対立軸として「ルッソフォビア」

まるでソ連時代に敵だった「資本主義陣営」のような位置付けなのである。今やロシアも米欧も経済面では同じ資本主義国家であり、経済制度上の対立はない。プーチン氏としては、ロシアと西側の対立軸を象徴するキーワードとして、「ルッソフォビア」を使い始めたのだ。

だが、こうした司法面、教育面での制度変更は、まだ途中段階の措置のようだ。新たな国づくりの最終的到達地点として、プーチン氏が根本的な、歴史的国家改造に踏み出す可能性が出てきている。

プーチン氏の側近であるロシア連邦捜査委員会のバストルイキン委員長が2023年11月22日、「国家イデオロギー」を制定する必要があると主張したのだ。同委員長は「国家イデオロギー」のあるべき具体的内容には言及しなかった。

しかし、興味深いのは、この発言が、ルッソフォビアが西側の「公式イデオロギー」になったとした先述のプーチン演説と時期的に相前後して行われたことだ。「西側の公式イデオロギー」と「ロシアの国家イデオロギー」が、踵を接して飛び出したのは偶然とは思えない。

「国家イデオロギー」と言えば、「共産党独裁」という国家の根本原則を掲げていたのが旧ソ連だ。ソ連憲法第6条で、これを規定していた。

だがこの規定はゴルバチョフ氏がペレストロイカ(改革)の目玉として、1990年2月7日に放棄を決めた。ソ連は1991年末に解体されたが、この日こそ、事実上「ソ連がソ連でなくなった日」であった。現ロシア憲法は「国家イデオロギー」の制定そのものを禁止し、今に至っている経緯がある。

バストルイキン氏は、この禁止規定を撤廃し、国家イデオロギーを復活させることを主張したのだ。この発言がプーチン氏の意向を反映したものであることは間違いないだろう。現在、クレムリン内で国家イデオロギー制定の是非や、制定の場合の内容について検討が進んでいるもようだ。

では、何が新たな国家イデオロギーとして、掲げられるのだろうか。共産党独裁の代わりに、プーチン政権が進める「独裁的権威主義政治」をさすがに国家の表看板として掲げるわけにはいかないだろう。

国家イデオロギーとしての「ルッソフォビア」

こう考えると、ルッソフォビアである西側への対抗姿勢が新たな「国家イデオロギー」として、何らかの形で盛り込まれる可能性はあると筆者はみる。

では、仮に「ロシアを敵視する西側への対抗」をうたう「国家イデオロギー」が制定されれば、何を意味するのか。

それは、「プーチン・ロシア」が「擬制の復活版ソ連」として、国際社会に登場してくることを意味する。かつての東西冷戦を想起させる対立構造をロシアが国際政治の場に持ち込んでくることになるだろう。

そういう事態になれば、ウクライナを舞台に展開されているロシアと米欧との対立関係は現在の地域的枠を超えて、いっそう広がることは必至だ。

すでに警戒すべき動きが起きている。2023年12月4日、プーチン氏がバルト3国で「ルッソフォビア的事象」が起きていると批判したのだ。

バルトでは各国政府と、旧ソ連時代から居住するロシア系住民との間でトラブルが続いている。プーチン氏は「海外に住むロシア人に対する差別には対抗措置を取る」とも言明した。

これまでプーチン氏はルッソフォビアについては、主にロシア国民向けに西側への警戒心、対抗心を煽るために使ってきたが、ここにきて外交面でも使い始めたのが不気味だ。このプーチン発言を受け、すでにNATO加盟国であるバルト諸国だけでなく、NATO全体に警戒心が広がっている。

プーチン氏はウクライナにとどまらず、かつての旧ソ連指導者のように欧州地図全体を見ているのだろう。今後、ウクライナ侵攻をめぐっては停戦に応じる動きに出る可能性は否定できない。

しかし、仮にそう動いたとしても、それは短期的な一時休止的な行動に過ぎないだろう。なぜなら、擬制的ながら、プーチン氏がはっきりと復活に向け動き始めた「ソ連」の主要な属性の1つが、西側との緩衝帯として、旧東欧衛星国家群を有していたことだからだ。

この21世紀に、かつての東欧諸国のような衛星国家を有するなど、時代錯誤の妄想としか筆者には思えないが、プーチン氏は大真面目なのだ。それを裏付ける動きが実は侵攻前からあった。

ヤルタ首脳会議の再現を狙ったプーチン

プーチン氏は2019年頃から、米英中仏の他の国連安保理常任理事国に対し、欧州秩序に関する会議を開催するよう打診していた。これは、第2次大戦末期の1945年2月に開催され、欧州における東西勢力圏を確定したヤルタ首脳会議の再現を狙ったもので、「ヤルタ2」構想と呼ばれていた。

プーチン氏からすれば、西側から批判されたクリミア併合などを新たな欧州秩序として国際的に受け入れさせ、ウクライナ全体をロシアの勢力圏として認知させることを狙ったものだ。

この時、プーチン氏の頭の中ではウクライナだけでなく、バルト3国なども勢力圏としてにらんでいたのかもしれない。しかし、この時代に、勢力圏の復活には米欧は冷淡で、「ヤルタ2」構想はまったく相手にされなかった。

ここまで述べてきたプーチン氏の世界観を踏まえ、2024年、西側はプーチン・ロシアとどう向き合うべきなのか。

近い将来における「擬制の復活版ソ連」の登場というシナリオに対し、現実感をもって備えるべきだ。もはやウクライナ紛争は単なる地域紛争ではなくなっている。憲法で「平和主義」を掲げる日本も、その枠を守りつつ西側の一員として今後対応していかなければならない。

その意味で、2024年1月初めにキーウに入った上川陽子外相のウクライナ電撃訪問は高く評価できる。

ウクライナへの国際的支援の息切れが懸念される中、ウクライナに対無人航空機検知システムを供与するための資金供与を表明したことは、日本国内で見ている以上に「あの日本が」と国際的インパクトが大きかった。国際的支援再拡充の動きに一定の弾みを与えた。

プーチン氏は2024年3月半ばに大統領選を迎える。国民の支持率は依然として70%の水準を保っている。

反政権派の立候補希望者の出馬を排除するなど、クレムリンが選挙をがっちり管理しており、5選を果たすのは間違いない。選挙戦の過程で上記した「ルッソフォビア」や「国家イデオロギー」に言及するかが注目される。

(吉田 成之 : 新聞通信調査会理事、共同通信ロシア・東欧ファイル編集長)