多様な学びを実現するための、これからの「教育のキーワード」とは(写真:zon/PIXTA)

ロンドン・ビジネス・スクール経営学教授のリンダ・グラットン氏らが著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提唱した「100年時代の人生戦略」は、日本でも一大ムーブメントを起こし、高校生向けに『16歳からのライフ・シフト』も刊行された。

本書によると、今の高校生の2人に1人は107歳以上まで生きる長寿社会となり、働く時間が長期化し、20代で得た知識やスキルは役に立たなくなるかもしれないという。また、技術進歩や社会の変化に対応するため、画一的な生き方でなく多様な生き方が求められる。

人生100年時代を迎え、学校現場では「多様な生き方」を支える「多様な学び」をどのように実現していけばいいのか。文部科学省で2008年、2017年の学習指導要領改訂に携わり、「高大接続システム改革」などさまざまな教育改革を推進してきた、文化庁次長の合田哲雄氏に、多様な学びを実現するためのこれからの教育のキーワードを聞いた。

「同調圧力」と「正解主義」の弊害


『ライフ・シフト』を読んだのは、2017年の学習指導要領改訂の直後です。私は内閣参事官として「人生100年時代構想会議」に事務方として参画しており、非常に刺激を受けました。今はコロナパンデミックを経て、学校も社会も大きく変わっていっています。これからを担う子供たちにとって人生100年時代を生きることを見据えて学びの転換を図ることがより重要になっていると感じています。

もともと私が最初に学習指導要領の改訂に関わったのは2008年、いわゆる「ゆとり教育」批判、学力低下批判が大きな社会問題になっていた時期でした。しかし、「ゆとり」(探究)か「つめこみ」(習得)かという議論は、サプライサイドに立った無意味な二元論でしかありません。

そのためこのときは、この不毛な二項対立を乗り越えるため、知識の習得・活用・探究という学習サイクルのなかで子供たちが深く思考するための言語活動をすべての教科で重視するという大きな方向性を打ち出しました。

2017年の学習指導要領改訂においてはさらに進んで、学習指導要領の構造自体を従来の「知識の体系」から「資質・能力の体系」へとシフトしました。ある学年で「何を知っているか」ではなく、プログラム全体を通して「何ができるか」を重視していくことへの転換です。そもそも日本においては、これまで、子供だけではなく大人も含めて皆と同じことができるというのが評価の基準でした。

しかし、社会の構造的な変化のなかで、これからは、他者との違いに意味や価値を認め、互いにそれを尊重しながら対話や協働を通じ「納得解」を形成する社会へと変わっていかなくてはなりません。そのためにも、2017年改訂で重視した主体的・対話的で深い学びを目指していく必要があります。

しかし今、デジタル化のなかで、大人も子供も同調圧力が増しています。子供たちはSNSで、即返信しないと仲間はずれにされると恐れています。大人も含めて社会全体においてもアルゴリズムによって自分の好きな情報や意見だけに囲まれるフィルターバブルの中にあって、異なる意見や議論に触れる機会が少なくなっています。

また、ますます複雑化した社会になっているのに目の前の課題を単純な二項対立の図式で捉え、どっちが正しいかの答えを急ぐ正解主義も横溢していると思います。

「強いリーダーに従う」でいいのか

コロナパンデミックを経て出された中央教育審議会の答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(2021年)では、休校期間中、これまで日本の学校教育が自立した学習者を育んできたのかという真剣な問いに対して否定的にならざるをえない要因として、こうした同調主義や正解主義を挙げています。


合田哲雄(ごうだ・てつお)/文化庁次長。1970年生まれ。1992年文部省入省。福岡県教育庁高校教育課長、国立大学法人化(2004年)や2008年学習指導要領改訂の担当、NSF(全米科学財団)フェロー、高等教育局企画官、初等中等教育局教育課程課長、内閣官房内閣参事官(人生100年時代構想推進室)、初中局財務課長、内閣府・審議官等を経て2022年9月から現職。兵庫教育大学客員教授、東北大学非常勤講師。単著に『学習指導要領の読み方・活かし方』(教育開発研究所)、共著に『学校の未来はここから始まる』(教育開発研究所)、『探究モードへの挑戦』(人言洞)。目黒区立の小中学校のPTA会長を6年間経験(撮影:尾形文繁)

パンデミックとデジタル化の進展は主体的・対話的で深い学びの重要性を浮きぼりにしました。その背景には、ネットにあふれる情報のファクトやロジックを自身で見極めていかなくてはならなくなっていることがあります。

プログラミング教育も、あらゆる情報機器は「魔法の箱」ではなく、それを動かしているのは最終的には人間の意思であり、人間の意思を伝える手段がプログラミングであることを学ぶことが目的です。

もちろん正直に申せば、ネット上に次から次へと流れてくる情報をいちいちチェックするのは面倒で大変です。世の中で流布している言説、強いリーダーの明確なメッセージ、あるいはAIがつむぐ言葉に従っていればラクでしょう。皆で同じことをしている状態は、私たちに安心をもたらしてくれます。しかしそれではデモクラシーの質は保てません。

自分たちのことは、自ら考え、対話を重ねて「納得解」を形成し、自分たちで決める。もちろん人にはそれぞれ立場がありますから、現実的には自分が置かれた立ち位置の中で、責任を持たなければなりません。しかし、他者の立場に立ったとしたらどう考えるだろうという立場の互換性も踏まえて考えていくことこそデモクラシーには不可欠です。そうした経験を重ねる学校教育は、子供たちの社会的自立とデモクラシーの重要な基盤です。

同時に、コロナパンデミックを経て、学びのあり方は多様なのだと多くの人が実感しました。明治5年の学制発布以来、子供たちは8時半になったら全員教室に集まることが当たり前でしたが、コロナパンデミックはそのことが決して当たり前ではないことを教えてくれました。

四角い教室で授業を受けることだけが学びではなく、オンラインでの学びを含めた「重層的な教室」がありえるということが広く社会で共有されたのだと思います。子供たちが毎日決まった時間に全員集まるのが当たり前でない以上、多くの学校において、子供たちがみんなで集まりリアルで対面できる貴重な機会を生かしてどんな学びを行うのかを構想するようになりました。カリキュラム・マネジメントの重要なポイントです。

一斉授業だけではなく、対話や協働を重ね探究活動を行うといったリアルに対面することにより成立する教育活動に目を向けるようになりました。

これからは、そうした多様な学びをどのように組み立てていくかを、より自覚的に行っていく必要があるでしょう。

一人一台の情報端末を提供する「GIGAスクール構想」は、子供たち一人ひとりの特性や関心に応じた学びを可能にすることが目的です。子供たちが自らの学びを調整し組み立てていくツールとして情報端末が共有されたことの意義は大きいと考えています。

1つ目のキーワード「アンラーン」

ライフ・シフトというと、転職しなければならないのか、起業すべきなのかと構えてしまう人もいるかもしれません。私自身、1992年に旧文部省に入ってから31年間、ずっと典型的な公務員でしたから、ライフ・シフトの観点から言えば褒められた人生ではないかもしれません。ただ振り返ってみれば、異動そのものが「転職」のような要素を持っていたと感じています。

入省以来、大学政策に20年、初等中等教育に関する仕事に10年携わってきました。2017年に内閣官房人生100年時代構想推進室の内閣参事官として、ライフ・シフトの土台として、年金、医療、介護、少子化施策に充てると消費税法に明記している消費税の増収分を、少子化施策の一環として高等教育の費用負担の軽減(授業料減免、給付型奨学金)に充てるというプロジェクトに参画いたしました。

これまで消費税の税収入を高等教育の費用負担の軽減に充てるという発想は霞が関にはなかったので、画期的な転換だったと思います。

その後、初等中等教育局財務課長として全国の小・中学校の教師の定数や配置、給与や働き方改革を担当しておりましたが、異動により内閣府において10兆円大学ファンドを担当することになりました。

農林中金や日銀といった金融のプロの方々と協働しながら、財政投融資資金を活用して10兆円のファンドを組成し、長期分散投資による収益を研究大学支援に投じるという仕事で、これも前代未聞のプロジェクトです。未知の世界での学びや発見が大いにありました。日本の官公庁や企業は非常に間口が広い。こうした異動も一つのライフ・シフトと言えるのではないでしょうか。

大事なのは、そうした環境の変化を生かす方向で、自分の人生を組み立てていくという発想です。そのためのキーワードは、「アンラーン(unlearn)」だと思います。

今まで積み上げてきた知識や経験が無駄だとか否定するのではありません。新たなステージに入ったからにはこれまでの知識や経験や思考の枠組みはひとまず脇に置いて、一から学び直してみるということです。

「アンラーン」に求められるのは、立場や年齢を超えて、互いが対等であるという感覚です。たとえば今、時代を動かしているのは霞が関ではなく、今までなかった財やサービスといった新しい価値を生み出しているアントレプレナーたちです。

私自身、自分の名前でリスクを負って、自分のアイデアで戦っている彼ら・彼女らがどんな学びをしているのか、どんな本を読み、どんな人と対話を重ねているのかといったことに大変関心があります。私にとってSNSはそうした知りたい情報を把握する、私のためにカスタマイズされたニュースサイトです。

人生100年時代になっているにもかかわらず、高校受験の15歳、大学受験の18歳、社会人になる22歳という共通のハードルを設けて同世代と徹底的に競わせ、入社後も「同期」でくくられて仕事に追い立てられるなかで、そのハードルを乗り越えられないと敗者だという意識を持ってしまう。

それでいて少子化対策として結婚や出産を支援しますよと言われても、今の若者の言葉で言えば「無理ゲー」ですし、この日本発の教育・雇用に関するアジアモデルが、世界のなかで日本のみならず韓国や中国など東アジア諸国の出生率の低下が著しい背景になっているとの山崎史郎内閣官房参与の指摘は重く受け止める必要があると思います。学校でも職場でも同一年齢で一斉に競争に追い立てられる仕組みの転換が必要です。

いくつになっても、どんな立場でも、学ぶ意欲を持ってチャレンジできる人がワクワクできる。そんな土台を個人に対しても社会に対しても提供するのが学校教育の役割です。まず、学校で子どもたちと向き合っている教師などの大人が「アンラーン」の発想で変わっていく必要があるのではないでしょうか。

2つ目のキーワード「デマンドサイド」

同時に大切なのは、デマンドサイドの視点です。日本の学校制度がスタートし動き続けて151年。明治5年の学制により、それまで寺子屋と藩校しかなかった日本社会は大きく変容しました。

子供たちは学校という近代システムのなかで、村唯一のホワイトカラーである教師から教科書や教材を使って学ぶ。記憶力と根気があることを学びの過程で示すことができたら、親の職業とは異なる人生に踏み出すことができるというワクワク感で、学校は輝いていたと思います。

だからこそ、今に至るまで日本の教育についての法令は、子供たちの学びを学校という組織、いわばサプライサイドに着目して規定していますし、その結果、学校制度は標準化されたシステムとして機能してきました。

しかしデジタル化は、それを反転させています。わかりやすく言えばテレビのようなもので、あらかじめ放映される番組が決まっていてそれをパッシブに視聴するというのが今の学校のイメージでしょう。しかし、デジタル化によりNetflixのように自分が見たい番組をアクティブに選択できるようになっている。デジタル化に伴う変化は、教育の世界にも起きつつあります。

生成AIの飛躍的進化のなかで、情報を検証し、問を立てる力、身体性に基づく思考や対話のなかから知性を見いだす力がますます重要になっていますね。また、次代を切り拓くイノベーションの芽は、その子ども固有の関心やひらめきにあります。

そのため、子どもたちが自ら問題意識をもって知識を理解したり思考したりすることが大切で、Netflixのような個別性の高い教育の実現が不可欠となっています。他方、自他の違いを尊重し多様な他者と共生する作法としての基礎学力を身につけることは、個人の自立やデモクラシーの基盤です。

個別性と共通性という板挟みのなかで、デジタルを生かして両者が両立する学びへと転換することが可能となっており、そのために、現在の学校制度や教育課程、入試、教員の免許制度や処遇、指導体制などを一体的に再構築することが必要になっていると思います。

このような学びの転換のなかで、子供たちと向き合っている大人には何ができるか。子供たちは一人ひとり特性があります。「聞く・話す・読む・書く」のそれぞれで得意な子もいれば、そうでない子もいる。言葉ではなく、音やダンスなどによる表現が得意な子もいますね。怠りなく準備して成績がよく、先生に褒められる子もいれば、私のように好きなことに熱中して他の教科はあまりやらず、先生を困らせる子もいるでしょう。

子供たちの関心の向かう先はさまざまですし、学びの扉が開く瞬間もさまざま。だからこそ、子供たちに好きを諦めさせて嫌いを強い、総得点を上げるというゲームからの転換が必要です。大人には、子供の特性や関心を引き出す知性や感性が求められているのではないでしょうか。

高校の国語の授業で定番の『山月記』。大人にとっては深く心に響く内容でも、高校生にとってはやや難解で面白いとは言いがたい作品かもしれません。

埼玉県のある高校の先生は『山月記』を要約させたり感想文を書かせたりするのではなく、その内容を短い動画にしてみよう、という授業を行いました。すると生徒たちは非常に熱心に『山月記』を読み込み、それを動画で表現するという学びに熱心に取り組みました。

私もその動画を見せてもらいましたが、実に核心を突いていました。動画で表現するというアウトプットの手段が与えられたら、ここまで深く『山月記』を読み込むのかと驚きました。

我々の世代は学びのアウトプットはペーパーテストしかないと思ってきました。しかし、動画で表現するといったアウトプットの幅が広がった瞬間、学びのプロセスも質も大きく変容する。そのことを大人はキモに銘じて、教育課程や授業、入試のあり方などをゼロベースで検討し直さなければならないと思っています。

「良きデマンド」を育てていくことが重要

デマンドサイド重視といっても、子供たちのデマンドだけに任せていればいいわけではありません。たとえば日本における15歳の女性の数学的・科学的リテラシーはOECDの中でもトップ、義務教育を終了した段階では先進国の中で最も理数ができる女性の集団です。

ところが高校で普通科の理系を選ぶ女性は同世代のわずか16%、さらに大学で理・工・農系のサイエンス系学部に進学する女性は同世代の5%にまで激減します。これは明らかに「女の子は文系」とか、「機械工学は女の子らしくない」といった社会のバイアスがはたらいていた結果です。こうしたバイアスは取り除いていかなくてはなりません。


『16歳からのライフ・シフト』の特設サイトはこちら(画像をクリックするとジャンプします)

また、「基礎学力」という言葉の概念や意味も変えていく必要があると思っています。これまでは皆と同じことができるようになるための基礎学力でした。

他方、これからは他者との差異や違いに意味や価値のある時代。その中で求められるのは、意見や文化、背景などが異なる他者と対話したり協働したりして共生する力です。したがって、基礎学力とは多様性のなかで対話や協働を重ねるための「共生の作法」だと捉え直す必要があると思っています。

一人ひとりの特性や関心を踏まえた個別性の高い学びと、共生の作法としての基礎学力とをどのように折り合わせて一人ひとりの学びを形作っていくか。そこが教育の難しさであり、面白さでもあると思っています。

「良きデマンド」を育てていくことがこれからの教育の眼目だと思います。それが子供たちにとって、結果的には自分の人生のオーナーシップを取ることにつながり、100年時代を生き抜く力となるのではないでしょうか。

(合田 哲雄 : 文化庁次長)