人生100年時代、第二の人生をガラリと変える人もいます。結婚、子育て、離婚、病気の発症を経て、53歳でスペイン留学を決めたRitaさんの連載。今回は、留学を伝えたときの家族の反応、そして出国直前のことをつづってくれました。

決断した留学について周囲や家族に報告したら…

会社との往復で流される毎日の中、「留学」という言葉が降りかかってきてからは、久しぶりに心が弾み、人生を動かしている実感がありました。今まで有給休暇すら遠慮がちだった私でしたが、決断した次の日に職場へ報告。今伝えないと、結局言わずに終わってしまい、またいつもの自分に戻ってしまいそうで怖かったのです。元々は、安定した老後の為にできる限り定年まで身を置かせて下さい…という気持ちで勤務していた為、突然の退職願に驚かれましたが、2か月後の退職を快諾頂きました。

●予想的中だった長男の想像力

出発4週間前、じつは長男の結婚式でした。久しぶりに親族大集合の一日。スペイン留学の件を伝えるのにちょうど良いタイミングではありましたが、当日の主役は長男。私もその時間を心から祝福したい気持ちがあり、「最近どう?」と聞かれても平凡な返事でのらりくらり。
結局、両親と長男夫妻へ報告したのは出発2週間前でした。両親には想像通り驚かれ心配されましたが、長男は「そうだと思った!」と大笑い。滅多に呼び出さない私からのカフェの誘いに、「転職程度ではないだろう。どこか遠くに行くのでは? そうだとしたら、姉のいたスペイン?」とまで予想していたのでした。思えば、長男とはいちばん長く一緒に住んだ間柄。ひとり暮らしを始めたのも同時期で、時々集合して焼肉で栄養補給しながら傷をなめ合い…不思議な仲間意識がある同志のような存在でした。

●子どもたちからのサプライズの一夜

出発3週間前の土曜日、長女に「たまにはお茶でもしようよ」と誘われ夕方カフェへ。ところが、こっちこっち…と行く道はホテル入口。なんと今夜は私たち母娘用の宿泊予約をしてくれていたのでした。ホテルは下着類が取りに帰れるように私の自宅近く、また翌日の予定も思えば念入りに聞かれていました。そして部屋に入ると窓辺に大きな赤い箱。「もっていないから買わなくちゃ。せっかくなら元気が出る赤色にしようかな」と私がポロっとこぼした言葉を汲み取り、いつの間にか真新しいスーツケースを用意してくれていたのでした。

冷蔵庫には一人分のケーキとカード「長い間お仕事お疲れ様。たくさんのことを我慢してくれてありがとう。これからは自分のための人生を…」のメッセージ。

涙があふれました。私は親らしくない親で、ほとんど家にいず、すべてに余裕がなく、行事も宿題も成績もほとんど見ずに、我慢をさせたのは子どもたちに対してばかりでした。こんな子に育てた覚えがまったくありませんでした。

●新しい人生へ緊張の出国

出発2週間前からは、渡航や転居の手続き等で目まぐるしく過ぎ去り、文字どおりあっという間に当日でした。空っぽになった部屋を引き渡し、娘からもらった赤いスーツケースをパンパンにして電車を乗り継いで成田空港へ。旅慣れていない私はスーツケースを転がすこともおぼつかず、街ゆく人に次々と追い抜かされていきました。
大げさに見送りされたくなかったため、ひとりでの出国となりました。電光掲示板を見上げると、成田22時30分発は最終便。

感極まっていたかったのに、荷物が大幅に重量オーバー! 約3キロ分を無念にも処分…。重い紙類や雑貨が多かったと思いますが、いま思い出せないほど、不要なものを詰めていたみたいです。

英単語すら理解しきれない私にとって、空路の最大の不安はトランジットでした。ドーハでの乗り換え時は、波に乗り遅れないように必死に前の人を追いかけ、途中の荷物検査は皆の真似をして靴を脱いで順番待ち。そしてなんとなく「ここで待っていれば大丈夫そう」と思える場所に一席キープ。約7時間の待機時間、どこでも眠れることが自慢の私がほとんど目をつむらず、リュックを抱きしめ時計ばかりが気になっていました。

●スペインへ到着。53歳、赤ん坊へ戻った気分に

緊張した23時間の移動も、なんとかスペインに到着。次なる難関はドライバーへのメール連絡でした。語学学校による手配車のドライバーへ到着状況を連絡をする約束で、事前に用意した文章をドライバーへ送信。すると一瞬で返信が来てしまい大慌て! いま見直すと「あなたの名前の紙を持ってるよ。僕の眼鏡は緑色で…」と書かれていますが、当時は返信が来ただけで頭が真っ白になりました。とりあえず急いで予め決められていた待合せ場所へ走って向かったのでした。

車窓から見える景色は、抜けるような青空、生い茂る木々、美術館のような建物…改めて外国にいる実感が高まり、写真ばかり撮っていました。見るもの触るものすべてが新鮮で、スニーカー姿の自分の学生姿も見慣れず、勇気を出して覚えたてのスペイン語の単語で意思疎通を図ろうとするもまったく通じず、53歳にしてまるで赤ん坊に戻ったかのような気分でした。「もう後戻りはできない」この日から、教科書と老眼鏡を手に、ローマ字を凝視する生活が始まりました。