テレビ番組への出演が大きな反響を呼んだ中島由依子さん(撮影:田端杏奈)

職業、グラビアアイドルタクシードライバー

中島由依子、36歳の肩書である。タクシーに寄りかかり、東京タワーをバックに水着でポージングを決める彼女の姿がそこにはあった。フジテレビ「ザ・ノンフィクション」の『夢を追うタクシー 〜目的地はまだ遠くても〜』の中でも特集された彼女は、グラビアアイドルとして活動しながらタクシードライバーとして勤務し1年半が経過した。

「お姉さん、本当にタクシードライバーなの?」

今では乗客から、そんな声をかけられることが中島さんにとって日常の出来事となった。

月22日間、ドライバーとして勤務

決して腰掛けというわけではない。中島さんは日勤で月22日間、タクシー乗務員として勤務をこなしながら、芸能活動に勤しんでいる。タレントとしての仕事は、グラビアの個人撮影会が主だ。まだ自身を芸能人ということもはばかられるほど、商業分野での仕事は多くはない。それでも現在の収入は、芸能とタクシーで半々になったという。

「芸能人としては鳴かず飛ばずだった私が、タクシーという付加価値で仕事が増えてきたんです。36歳という年齢も武器にしていますよ(笑)。実際にSNSでもタクシーの制服と水着の写真を交互に載せると、みなさんの反応がいいんですよ」

タクシードライバーの働き方は年々多様化しているとはいえ、中島さんのような存在は希少でもある。異色のキャリアを持つ、中島さんの生き様に耳を傾けた――。

奈良県・橿原市で生まれ育った中島さんは、中学校まで地元で過ごし、高校は大阪の女子高に進学した。当時は何か夢があったわけではなく、漠然と進学した短大ではメイクを学んだ。

就職の際には、百貨店での化粧品販売を希望したが、採用には至らずアパレル会社の販売員となった。それでも日々数字を追いかけることにやりがいを見いだせず、1年半で退職。携帯電話のキャンギャルとして働くも突然仕事がなくなり、22歳で地元のパチンコ屋のコーヒーレディとなった。

居心地の良さもあり、30歳までこの仕事を続けることになる。転機は、職場である音楽を聞いたことだったという。中島さんが回顧する。

「冬のソナタ」を見て女優を目指す

「当時、パチンコ『冬のソナタ』のBGMが店内でずっと流れていて、それが頭から離れなくなってしまって。気になってドラマを見たんですが、チェ・ジウさんが可愛すぎて、さらにカッコよかった。同時にこのままだと私の人生は1つのパターンしかないけど、演者側であればたくさんの人生を経験できるのでは、と漠然と思ったんです。だから、私の女優になりたいという想いは、『冬のソナタ』に背中を押された形です」

周囲は既に結婚や子育て、仕事に打ち込んでおり、中島さんには彼女たちのように夢中になれることを探していた面もあった。当時28歳だった中島さんは、一念発起して関西のモデル事務所に所属することから芸能活動をはじめた。ウォーキングやポージングのレッスンを受け、主にモデルとして仕事をこなした。

30歳になる頃には、大阪で人生初の1人暮らしをはじめ、本腰を入れはじめる。しかし、関西には思い描いたような女優としての仕事はほぼなく、オーディション1つ受けるのも一苦労だった。

「私は今、本当に自分がやりたいことができているのか――」

しだいにそんな自問自答を繰り返す時間が増えた。31歳になったことを機に、親や周囲の反対を押し切り何のツテもないまま上京する。コールセンターで食いつなぎながら、オーディションを受け続け、半年後にはようやく東京での事務所も決まった。


31歳で上京、芸能事務所に所属した(撮影:田端杏奈)

しかし、東京での生活もやすやすとはいかなかった。レッスン代を支払いながら月6日のレッスン、SNSの更新や、動画配信などを続けていたが、なかなか大きな仕事にはつなげられなかった。

そんな中、事務所から『ミスFLASH2022』の告知があった。大半のミスコンは年齢制限がある中、同コンテストは中島さんの応募が可能だった点も好機だった。選考は5カ月にも及ぶ時間を要し、グランプリは逃すもファイナリストとして誌面を飾る。女優志望だった中島さんにとって、グラビアは未知の世界。それでも、1つでも自分の引き出しを増やしたい、このチャンスを逃したくない、と決意を決めた。

最初は水着に抵抗

「最初は水着になることに強い抵抗はありましたね。しかも、周りは若い子ばかりで、絶対無理だろう、と。それでも私がコツコツやってきた、動画配信の項目があって『これならチャンスはあるかも』と腹を括りました。それによく考えたら、お芝居も自分をさらけ出すという意味で恥ずかしい部分もたくさんあるので(笑)。FLASHさんの選考過程の中で、芸能界の厳しさ、自分が何をやっていくべきか、が見えてきた部分も大きいんです」

タクシー業界との出会いも、この時の経験があったからだ。心機一転、環境を変えたい、とロケバス運転手のアルバイトを探していたが採用には至らず、人の紹介でコンドルタクシーの存在を知る。芸能界で勝負をするには、何かが足りない、とは自身でも感じていたタイミングでもあった。同社には中島さんのように芸能活動をしてきた先輩ドライバーがいることでも知られている。面接の際に中島さんは、「絶対にここで働くべきだ」という直感が働いた。

「自分がこの世界でやっていけるのか、と考えた際に才能があるかはわかりません。ただ、“勘”はいいと思う。会社が、芸能の仕事を全面的に応援してくれ、スケジュールが取れない時などもシフトの融通も利かせてくれるのも大きい。まさか自分がタクシーの仕事をするとは思っていませんでしたが、結果的に自分の直感を信じて正しかったな、と」

ドライバーとしては、まだまだ東京の道にも慣れておらず、不安を感じる場面もあるという。タクシードライバーの習慣的に、自ずと繁華街に車両が集まる傾向があるが、中島さんは会社から近い練馬区や板橋区を中心に営業している点も、彼女の性格が表れている。現在は夜勤は避け、朝の10時頃から、夜の20時頃まで走る日々を続けている。

「『ザ・ノンフィクション』の中で、私の父が『女性がタクシードライバーなんて』と反対していたシーンがあるんですが、それは娘を心配するからだろう、と理解できるんです。事故のリスクもそうだし、お客様の対応も、昼と夜では違う。もちろん芸能の時間に使える時間が多いこと、仕事との兼ね合いもありますが、日勤を希望したのは、女性ドライバーが増えたとはいえ、安心して働ける環境という点を自分なりに考えての選択でした」

ドライバーの仕事が芸の肥やしに

タクシー業界で働きだして、中島さんにはいくつかの気づきがあったという。そして、それは自身が望む女優活動にもつながるものでもあった。

「私、東京に来てからも、この街のことをよく知らなかったんです。それが、仕事でいろんな場所に行けるようになり、いろんな方々の話しを聞ける。これは自分の考えの幅を広げる、という点で芸の肥やしにもなっています。車中から映る東京の街を見て日々感じることもあるし、大好きなレインボー・ブリッジを通る時も、いろんな見え方がある。東京という街を深く知れるキッカケにもなりました」


「車中から映る東京の街を見て日々感じることもある」と語る中島由依子さん(撮影:田端杏奈)

番組の反響は周囲の想像以上に大きかった。コンドルタクシーでは、ザ・ノンフィクションを観た芸能人の卵たちによるドライバー募集が殺到しているという。中島さんや先輩ドライバーたちの存在が、同じような道を思い描く若者たちに刺さっているのだ。それでも、中島さんはこんなことも感じている。

「タクシーの仕事も芸能の仕事も甘くないな、ということです。タクシーは、お客様の命をお預かりする仕事なので、責任が重い職業だと思うんですよ。もちろん自由な部分もあって楽しい仕事なんですけど、その分大変なこともあります。

運転は大好きですが、今でも緊張しますし、最短で行かなきゃいけないっていうプレッシャーがあるので。知らない人を後ろに乗せて、話しながら目的地へ向かう。これって、実は簡単ではないんです。タクシードライバーであることも私の武器だし、日々その誇りを持って走るようにしています」

オーディションに落ちても翌日にはケロッと(笑)

中島さんは来年の2月に37歳になる。東京に来てからこれまでの5年間で、いまだ成功を掴んだとは言い難い。芸能活動を続けていくうえでの時間も限られているようにも感じる。改めて中島さんに、「芸能界を諦めることを考える時があるのではないか」と問うと首を横に振った。

「仕事がなくて諦める、ということは絶対にしたくない。それなら最初から東京に出てきていなからです。この世界では、何がキッカケになるかわからない。今もジャンルを問わずオーディションを受け続けていますが、落ちても寝て起きたら次の日にはケロッとしている性格なんですよ(笑)」

タクシーありきの中島由依子です!満面の笑みを浮かべながら力強くそう言い切る中島さんは、今日も東京の街でタクシーを走らせる。

(栗田 シメイ : ノンフィクションライター)