50代でV字復活を遂げた羽生善治九段。その力となった秘訣に迫ります(写真:Fast&Slow/PIXTA)

世の中には間違いなく、運を引き寄せられる人とそうでない人がいます。いったい、どこで道が分かれてしまったのでしょうか。

実は、運を引き寄せる力がある人たちというのは、単に運に恵まれているというだけではなく、運を強く引き寄せる行動をしているのです。運を引き寄せられる体質、つまり「強運脳」に変わる方法とは――。脳科学者の茂木健一郎氏がこれまで数十年かけて、さまざまな分野で仕事をしながら出会ってきた強運の持ち主や、自分の能力以上の成果や成功を収めてきた人たちの考え方・行動パターンを最新の脳科学の知見をもとにわかりやすく紹介していきます。

本稿は、茂木氏の新著『強運脳 偶然を必然に変える脳の習慣』より一部抜粋・編集のうえ、お届けします。

面倒くさいこともあえて前のめりにやってみる

以前、『エンジン01』というオープンカレッジで、アーティストの日比野克彦さん、棋士の羽生善治さん、メディアアーティストの落合陽一さんとともに「天才とは何か?」といったテーマで、トークセッションを行ったことがありました。

このセッションで印象的だったのが、羽生さんの言動です。

「天才とは?」との問いに羽生さんは、「どんなに強い棋士でも負けることがある。だから、天才という感覚が持てない世界」としたうえで、「天才とは、理解されないことをする人」と、語っていました。

私はしばらく、羽生さんのこの言葉の真意を考えていたのですが、それよりも強烈に印象に残った出来事があったので、ここで紹介したいと思います。

このトークセッションの最中、落合さんが手元のパソコンでおもしろい画像を出しては、会場の笑いをとっていたときのことです。

それらの画像を見ていた羽生さんが、「あはっ」「ははっ」と、まるで小学生みたいに前のめりになって顔を輝かせたのです。

そのとき、私はあることを確信しました。

それは「羽生善治、完全復活!」という筋書きです。そして後日、私の予感は見事に的中しました。

「天才棋士」羽生さんのキャリアは実に華々しいもの。1985年に15歳でプロ棋士になった羽生さんは、2020年度まで35年にわたって年間成績で勝ち越し続けてきました。ところが、2021年度は14勝24敗で棋士人生初の負け越しを経験、名人戦につながる重要な順位戦では最高峰のA級から陥落。そこには棋士として史上初の国民栄誉賞を受賞した羽生さんの姿はありませんでした。

なぜ、羽生さんは勝てなくなったのか?

現代将棋の動向を見ていると、やはり現代のAI(人工知能)による研究が進む新しい将棋についていけてなかったことが原因のひとつにあるようです。

これまで誰よりも多く対局し、そして誰よりも勝ってきた羽生さん。その経験は大きなアドバンテージですが、AIの登場によって経験のアドバンテージを出しにくい時代になっているという見方もあります。

どんなに苦しくても人生を前向きに生きる

「その頃から自分なりに試行錯誤を繰り返し、実験的というか、いろいろなことを試したんですが、それがいい方向に向かなかった」

この言葉からもわかるように、羽生さんは必死にもがいていたのでしょう。本来であれば、他のことにはいっさい目を向けず将棋に集中したいはず。それでも、さまざまなイベントに参加したり、面倒なことからも逃げ出すことはなかったようです。冒頭に紹介したオープンカレッジへの参加もそうでしょう。

それこそ落合さんがおもしろい画像を出していたのを見て、羽生さんが前のめりになって顔を輝かせている様子は、どんなに苦しくても人生を前向きに生きることの「大切さのお手本」のように、私の目には映ったのです。

だからこそ、「羽生さんは復活するかもしれない」と予感したのです。

その後、羽生さんはもがき苦しんだ末に、見事V字回復を果たしました。強豪ひしめく王将戦挑戦者決定リーグで見事な将棋で勝ち続け、ファン待望の夢の対決となった史上最年少王将である藤井聡太との対局でも、日本中を大いに沸かせました。

昭和の人気マンガ『巨人の星』で、星一徹が息子の飛雄馬に「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」と伝える場面があります。

これは少し極端だとしても、人生はいつも前向きに、たとえ面倒くさいことであっても、あえて前のめりでやってみることの大事さを、私は羽生さんから学びました。

運気アップ:どんなことでも前のめりにやるからこそ運を引き寄せられる

たった一度の成功で自分の能力を見誤らない

一度手にした強運はぜったいに手放さない。

そんな方法があるのをご存じでしょうか。

そのやり方とは、自分の能力に甘んじておごることなく、つねに好奇心を持って貪欲に努力し続ける姿勢を保つことです。一度手にした強運を手放さない人というのは、ほぼ例外なくメタ認知能力が高く、感情に振り回されずに現実と理想の自分のギャップを冷静に把握し、自分の欠点や課題を見出すことができる人だといえます。

具体的には、メタ認知能力が高い人には以下のような3つの特徴があります。

1 客観的な視点で自分の能力を分析できる
2 自分に足りている能力、足りていない能力を見極めて物事を決められる
3 自分の失敗を肯定でき、反省と改善を実践できる

つまり、自分自身をしっかりと客観視できる人がメタ認知能力の高い人なのですが、その一方でメタ認知能力が低い人の特徴としてあげられるのは、「成功したのは自分の実力だ」と冷静に自分自身を把握できていないということです。さらに、自分の能力の高さを裏付ける確固たる根拠に乏しい場合もこれに該当します。

この点について、もう少しだけ深掘りしていきたいと思います。

実はこのメタ認知能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価しやすいという科学的な研究があります。

アメリカのコーネル大学でデビッド・ダニング博士とジャスティン・クルーガー博士は、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるのかという研究を行いました。この研究はふたりの名前から「ダニング= クルーガー効果」と名づけられたのですが、具体的には次のような実験です。

ある試験の後に、自分がどの程度の成績か自己評価させてみたところ、下位4分の1にいる人は「かなりできたので上位を狙える」と答え、上位にいる人ほど「もっと成績を上げる努力が必要」という謙虚な答えが返ってきたのです。これがまさに、ダニング=クルーガー効果の好例であり、脳が持つ特定の思考癖を表しています。

ダニング=クルーガー効果に見られる自己評価を誤る思考癖は、一度手にした強運を手放さないという点でマイナスになることは、もはやいうまでもありません。

こうした思考癖は、脳の判断ミスを無意識のうちに誘発するからです。自身の能力を見誤ってしまう人というのは、はっきりとした意図を持たず、反射的な思考をして勘違いをしてしまい、ふとしたことで判断を誤ったり、実力が伴わない極めて無謀なチャレンジをしてしまいかねないのです。

自分の能力を客観的にモニタリングする

私の経験からいっても、成功している人ほど自分の実力を過大評価せず、つねに謙虚な姿勢でいる人が多いといえます。

たとえば、作家の林真理子さんがその好例でしょう。『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞、他にもフランス政府によるレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエや日本の紫綬褒章、菊池寛賞などを受け、2022年には日本大学理事長に就任した日本を代表する小説家です。


そんな林さんに私がいつも驚かされるのは、いつお会いしても「私はまだ自分の思うような小説が書けていない」と謙虚におっしゃることです。

まさに、林さんは自分の能力を客観的にモニタリングするメタ認知能力が高いといえるわけですが、自分を客観視しながら自分の能力におごることなく、つねに好奇心を持って貪欲に努力する姿には、自分の考え方や行動に対してつねにトライアル・アンド・エラーを繰り返しているのが見てとれる。それに尽きるでしょう。

大事なのは、自分が没頭できる何かに対して、たとえ失敗してもそこから学んだことを次に生かして何度でもやり直してみること。そのためには、日頃からこのメタ認知を意識して、「自分に足りないものは何か」をしっかりと考えながら、「今、ここ」に集中していくことが大切なのです。

運気アップ:現実と理想のギャップを冷静に把握して自分の欠点や課題を見つめてみる

(茂木 健一郎 : 脳科学者)