平等だけど負担が減るわけではない(写真:Ushico/PIXTA)

「毒親」「愛着障害」「アダルトチルドレン」、そして『親といるとなぜか苦しい』(リンジー・C・ギブソン著)で解明されている「精神的に未熟な親」──。

子どもの人生に暗い影を投げかける親の問題は、さまざまな言葉で表現されてきた。

日本における親子問題、とくに母子問題の源流は、約50年前にまでさかのぼる。キーワードは「核家族化」と「母子密着」だ。

それから半世紀、いまだに厳然と存在する母子問題を、私たちはどう考えていったらいいのか。精神科医・作家の岡田尊司氏は、今こそ「ふつうの家族」の姿を問い直すべきではないかと話す。

核家族化が「母子問題」を生んだ

かつて家族といえば、「曽祖父母や祖父母、両親、子どもたちがともに暮らす大家族」でした。


生まれ育った土地で女性が男性の家に嫁ぎ、子をなす。家族は地域社会とも強くつながっており、子どもたちは地域ぐるみ、家族ぐるみで育つ。それがいつしか、進学や就職で地方の出身地から都市部に移り住み、そのままいついて結婚する若者が増えたことで、とくに都市部で、「両親と子どもだけ」という形態の家族が新たなスタンダードになりました。いわゆる「核家族化」です。

初期の核家族では、父親が外で働き、母親は専業主婦となって家事と子育てに専念するというのがふつうでした。そうなると、どうしても母と子だけで過ごす時間が長くなり、子どもに対する母親のプレゼンスが大きくなります。

こうした母子密着、母の支配が強い環境では、その母親の子どもとのかかわり方に問題があった場合に、子どもが丸ごと悪影響を被ることになり、心身の成長に何らかの支障をきたすのではないか──ということで母親の問題が取り上げられるようになったのです。

1979年には小児科医・精神科医の久徳重盛による『母原病 母親が原因でふえる子どもの異常』が刊行されたことで、一気に社会問題として認知されることとなりました。

その後、もとはアメリカで生まれた「アダルトチルドレン」「毒親(トキシック・ペアレンツ)」という言葉が日本にも輸入され、すでに人口に膾炙(かいしゃ)しているのは、みなさんもご存じのとおりです。

本書『親といるとなぜか苦しい』の内容を見ても、大人になってからも尾を引く母子問題の根深さは、日米でそう変わらない印象です。

子どもはみんな、母から無条件の愛情をたっぷりと注がれたい。しかしそれが十分に満たされなかったことが、大人になった今も自分を苦しめている。実の母親との関係に戸惑い、試行錯誤し、傷つきながら生きてきた人たちが、著者のアドバイスのもと、それぞれの向き合い方で母子問題を克服する実例が、本書にはふんだんに取り上げられています。

男性の育休が子育て問題を解決するか

母と子だけで過ごす時間が長ければ長いほど、自然と母の子に対する支配力は強くなります。同居している祖父母がいれば母子は密着せず、母と子がぶつかったときなども、子どもが祖父母のもとに逃げ込むことで母親にも余裕が生まれます。つまり核家族とは、子どもにとって逃げ場がないだけでなく、母親にとっても逃げ場がない環境といえます。

今は夫婦共働きが当たり前になっていますが、専業主婦の母と子の密着がなくなったからといって、きわめて狭く閉ざされた家庭環境で子育てをするという核家族の本質的な問題が解消されたとはいえないでしょう。

共働きの両親が平等に子育てに関わり、親の手を離れるまで育て上げるというのが核家族の理想です。男性の育休取得が少しずつ社会的に受け入れられているなか、その理想に向けてうまく機能する夫婦もいるかもしれません。

しかし一方、夫婦ふたりそろって仕事も子育ても同時に同程度がんばらなくてはいけないのは、実際には、そうとうしんどいはずです。平等ではあるけれども、負担が軽減されるわけではない。これが現状ではないでしょうか。

さらには、子どもに対する責任が祖父母などに分散せず、親だけに重くのしかかる分、「親」というものへの期待が過剰になりやすいことも事実です。それが親にとっては大きなプレッシャーとなり、そのしわ寄せで、子どもに対する支配が余計に強まったり、急に疲れてそっぽを向いたりと、愛情が不安定になりやすく、いびつな親子関係が形成されやすいのです。

意外な活路は「女系家族」

祖父母同居の大家族にはまったく問題がないとはいいません。たとえば第一子は、母親が万事不慣れなので、祖母がかなり多く子育てに関わることが多い。そのために第一子は実母よりも祖母との関係性のほうが強くなるというのは、よく見られるケースです。

第二子以降は、子育てに慣れてきた母親との関係性が強くなり、いっそう第一子は「おばあちゃん子」になっていきます。すると祖母が亡くなった後に、家族内で疎外感を抱く場合があります。

とはいえ、夫婦ふたりだけの子育ての大変さ、そこで生じかねないさまざまな問題が子どもを生涯にわたり苦しめる可能性を思えば、やはり核家族よりも大家族のほうが、子どもを守るためには適しているように思えます。


それも男性ではなく女性が家を引き継いでいく「女系家族」こそ、子育てに適していると考えてもいいのかもしれません。

現実的に考えれば、子育ての主力は、やはり母親です。父親にも少しは果たせる役割がありますが、母親のそれと比べるときわめて限定的です。だとすると、私たちが本当に取り組むべきなのは、「父親が子育てに関与する割合をいかに増やすか」ではなく、「たとえ父親不在でも、母親が子育てしやすい環境を、いかにつくるか、強化するか」ではないでしょうか。

現に、離婚した女性が子どもを連れて実家に戻り、実母と協力して子育てをするというパターンは多々あります。離婚の帰結として、一時的に、いわば擬似的な女系家族が形成されているわけですが、これが子育てにおいて存外に安定的で好ましい環境となっているという状況に、割とよく遭遇するのです。

振り返れば「家族」の観念は時代とともに移り変わってきました。今、また改めて母子問題がクローズアップされているなか、私たちは「ふつうの家族」とは何かを問い直すべきときにきているのかもしれません。

(構成:福島結実子)

(岡田 尊司 : 精神科医、作家)