ラーズ・ヌートバーと大谷翔平(写真:時事)

WBCで日本代表監督を務めた栗山英樹氏が、監督任命から優勝までの日々を振り返った書籍『栗山ノート2 世界一への軌跡』より、一部抜粋・再構成してお届けします。

人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに

現代は多様性を認め合う社会です。昭和の時代に比べると、日常生活で外国人の方々に会う機会が、圧倒的に増えていると感じます。

侍ジャパンも多様な人材を生かすということで、アメリカ生まれのヌートバーを外野手のひとりに選出しました。

メジャーリーグの選手の招集は、所属チームの理解が大前提です。ヌートバーは22年からレギュラーをつかんだ選手で、実績十分とは言えません。そのため、所属するセントルイス・カージナルスはしっかりとした準備を経て開幕を迎えさせたい、との意向を持っていました。

カージナルスからは、ポール・ゴールドシュミットやノーラン・アレナドらの主軸選手が、アメリカの一員としてWBCに出場することになっていました。韓国、メキシコ、カナダ、イタリアなどにも選手を供給しており、WBCへの協力体制があるチームと言うことができました。

ヌートバーの出場についても拒みはしないものの、チーム側は「どのぐらいの打席数が確保できるのか」を気にしていました。シーズン前のキャンプを途中で離脱し、WBCであまり試合に出ないということになれば、メジャーリーグのシーズン開幕に影響が出てしまうからでしょう。

私の構想では「1番・中堅手」でしたが、当然のことながら調子によって起用法は変わります。チームには「WBCは勝負事なので、打席数を約束することはできません」と正直に伝え、納得してもらいました。

外国で生まれた選手を選出するのは、侍ジャパンにおいて前例のないことです。日本ではほとんど知られていない選手ですし、日本のプロ野球界にも優れた外野手は数多くいます。ヌートバーを選ぶべきかどうか、正直なところかなり迷いました。

自分自身の迷いの原因を探ると、選手の組合せや起用法などの戦略的な部分はもちろんですが、「日本の野球ファンに、果たして彼が受け入れられるだろうか」という気がかりに行き着きます。私自身が批判されるのはまったく恐れていなかったのですが、万が一にでもファンのみなさんの心が離れたら……という不安が、胸とのどのはざまに浮かんでいるのです。

ヌートバーとオンラインで話をすることになった私は、森信三先生の「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに」との言葉を自覚しました。画面越しに対面すると、すぐに彼が逢うべき人で、時機に適った出逢いであると実感できました。彼なら日本のファンに受け入れられる、と確信できました。

今日の仕事中に名刺交換をしたあの人が、友だちに紹介されたあの人が、自分にとっての「逢うべき人」なのか。私自身も一つひとつの出会いを意識せずに、何となく対面していることが多い気がします。けれど、ささやかな出会いが人生に影響を及ぼすことがある、と聞きます。

千利休の高弟・山上宗二の『山上宗二記』に、有名な「一期一会」の言葉が記されています。日々の仕事でも、人との出会いでも、一生に一度の機会ととらえて心を注ぐという意味ですが、まさにそういった気持ちで出逢いに感謝し、自分の人生に役立てたいものです。

受け入れる側が心を開く

私自身が、日々心がけていることのひとつです。

宮崎キャンプの期間中に、コーチングスタッフと食事会を開きました。様々な話をしていくなかで、ヌートバーをスムーズにチームに溶け込ませたい、という話になりました。

脇腹の痛みで出場を辞退することになった鈴木は、「ヌートバーの面倒を見てあげられないのが心残りです」と打ち明けていました。鈴木とヌートバーは、ナ・リーグ中地区のチームに所属しているので、多少なりとも接点があります。同じ外野手ということもあり、鈴木はヌートバーを気にかけてくれていたのです。

鈴木の心配りを我々が引き継ぎ、ヌートバーを誠心誠意受け入れる。受け入れる側の私たちが先入観を持たずに、心を開くことが大事だ、ということをコーチ同士で確認しました。

心を開いていることを、行動で示すにはどうしたらいいだろう。清水雅治外野守備・走塁コーチが、「ニックネームで呼びましょう、それもちゃん付けにしましょう」と提案しました。これは素晴らしいアイディアでした。アメリカで呼ばれている「ラーズ」ではなく、ミドルネームの「タツジ」から「たっちゃん」にしようということになりました。清水は17年から侍ジャパンに関わっていて、チームが素早くまとまるための術を心得ていました。

3月3日の合流初日には、特製のTシャツを着て迎えました。ニックネームで呼ぼうと決めた夜に、すぐに製作に動いていたのです。

背中に「たっちゃん」と書いているもので、ヌートバー本人もその意味を聞いてびっくりしたそうです。「みんなが僕の名前の入ったTシャツを着てくれていたから、気持ちが楽になった」と、嬉しそうに話していました。

私が毛筆書きの手紙を渡したように、Tシャツの文字もあえて毛筆タッチにしました。日本人の私たちと心を重ねて、一緒に戦っていこうという気持ちを伝えたかったのです。

自分の心を開いて、真正面から接していく

私たちの身の回りへ視線を移すと、コミュニケーションの取りかたが難しくなっていると感じます。ハラスメントにならないように気をつける場面が増えて、言葉をかけることに慎重になったり、臆してしまったりもします。

乱暴な言葉や態度で誰かを傷つけたりすることは、絶対に避けなければなりません。高圧的な態度にならないように、相手と目線を合わせることを意識したいものです。

そのうえで、自分の心を開いて、真正面から接していく。言葉が通じなくても気持ちは届くということを、私はヌートバーとの関わりを通して確認することができました。

練習に打ち込むヌートバーは、自分のルーティンをしっかりと持っていて、全体練習のなかで自分がやるべきことを消化していました。メジャーリーガーといってもまだ若く、これから経験を積んでいく選手ですが、「大丈夫だ! やってくれる!」との印象を与えてくれたのです。

忠恕

中国春秋時代の思想家・孔子は、「自分は人生で貫き通してきたものがある。それは忠恕の二文字だ」と話しました。

「忠」とは自分の良心に真っ直ぐに従うことです。「恕」は他人の身の上を思いやり、自分のことのように親身になって思いやることです。

3月3、4日に名古屋でドラゴンズと試合をしたのち大阪へ移り、6日にタイガース、7日にバファローズとの強化試合に臨みました。

名古屋での強化試合では、ファンのみなさんの期待の大きさに触れることができました。バスで球場入りする際に、沿道がファンのみなさんで埋め尽くされていたのです。選手、監督、あるいは取材者として数多く球場入りを経験してきましたが、これほど歓迎されたことはありません。本当に多くの人たちが楽しみにしてくれていると実感しました。

同時に、移動が大変になるのでは、との懸念が生じました。しかし、名古屋から大阪への新幹線での移動は、駅員さんと警察のみなさんの連携で実にスムーズでした。一般とは違う動線へ誘導してもらい、混乱を引き起こすことなく移動できました。

名古屋駅の待合室に、ホワイトボードがありました。部屋を出るときに、私のよく知るサインが書かれていました。翔平です。

彼は茶目っ気のある人間で、ユーモラスな行動でみんなを和ませます。自分たちが安全に移動できるために、駅員さんと警察のみなさんが力を尽くしてくれている。彼らの頑張りを少しでも労えたら、という気持ちだったのでしょう。それに加えて、駅員さんを驚かせたかったのかもしれません。いずれにしても、「忠恕」の心を育んでいるからこそできることです。


移動中はスーツを着用しますが、翔平は私服でした。ヌートバーの移動用スーツが間に合っていなかったので、翔平もスーツではなく私服を選んだのです。「たっちゃん」をチームに溶け込ませるための、彼なりの心配りでした。

ヌートバーを独りぼっちにしなかった翔平の行動は、心温まるものでした。「さすがだなあ」と感心させられましたが、決して特別なことではありません。相手の立場になって考えれば、気づくことができるものです。

気づいたら、行動へ移す。できるか、できないかではなく、やるか、やらないか。

会社の同僚や後輩が困っていたら、学校の友だちが悩んでいたら、相手の身になって考えてみましょう。あなたの行動が相手にとっての正解ではなくても、親身に考えた末の行動です。相手の心に明るい灯が点るでしょう。

(栗山 英樹 : 北海道日本ハムファイターズ前監督)