新進気鋭のチェリスト・佐藤晴真氏は、「練習は日課というかライフワーク」と語る(撮影:今井康一)

伝統と権威があり難関として知られる「ミュンヘン国際音楽コンクール 」。そのチェロ部門で2019年に日本人初の優勝を勝ち取ったのが佐藤晴真氏だ。ドイツの名門レーベルからアルバムをリリースするなど音楽家として活躍する一方、ベルリン芸術大学に在学し現在も普通の学生として地道な自己研鑽に取り組む。

佐藤氏はいかにして音楽家となり、難関の国際コンクールで1位を獲れたのか。「チェリストの世界」はどういうものなのか。コンクール優勝から3年9カ月。25歳になった佐藤氏に話を聞いた。前後編の前編。(後編:佐藤晴真氏が語る「チェリスト」の奥深い世界

──​​チェリストになるための道が想像つかない人も多いと思います。佐藤さんの家は音楽一家だったのでしょうか。

普通より少し音楽好きの家庭で育ちました。家族は両親と兄と僕。家族・親族にプロの音楽家がいるような音楽一家ではありませんが、レコードがたくさんあって、クラシック音楽がよくかかっているような家庭です。

両親はともに高校の国語教師で、学生時代は同じ大学のオーケストラに所属していたそうです。母方の実家は結構コアなクラシックファンだったらしく、音楽専用の部屋を作っていたとか。昔の愛好家の中で評価の高かった真空管スピーカーが家にあったと聞きます。父はクラシックのほかに、ジャズも好きです。

──​​子どもの頃は1日何時間ぐらい練習していましたか。友達と外で遊んだりゲームをしたりと、いろいろな誘惑がありそうです。

練習は1〜2時間とかですかね。2時間やったらいいほう。それを毎日、大人になるまでずっと変わらず。ごく最近になって、チェロを弾かない日も出てきていますが、そういう日もイメージトレーニングをしたり、頭の中で音楽について考えたり、研究をしたり。音楽から完全に離れた日は1日もありません。

友達と遊んでもいましたよ。夕飯前に遊んで、家に帰ってきて、夕飯を食べてから1〜2時間が練習の時間。兄が別の道に進むまでは、兄弟一緒に練習することも多かった。

練習は、日課というかライフワークです。練習が日常のサイクルに入っていたので、その日を「弾かない日」にするのは自分の中でおかしいというか、イレギュラーな感じ。小さい頃からそういうマインドだったんです。

5回に1回の厳しさで背筋が伸びた

──​​音楽を習う子どもが練習しなくて悩む親は多いと思います。佐藤さんはご両親や教室の先生に毎日練習するよう厳しく言われませんでしたか。

口うるさくというのはありませんが、習っていた先生の教え方が非常にうまかった。レッスンに週1回通っていたのですが、5回に1回ぐらいの頻度でものすごく厳しいレッスンをされるんです。でも、それ以外の4回は本当に楽しく教えてくださった。

やはり、楽しいだけだと緊張感が生まれない。5回に1回ビシッと厳しいことを言われると、ちょっと背筋が伸びる。来週も頑張ろうと自然に思える。

レッスンが楽しいかどうかは大事だし、小さい頃に音楽の楽しさがわからなければ、続けようとは思えないでしょうね。僕は最初の先生が音楽の楽しさを教えてくださったのが本当に大きかったと思っています。練習が苦になってしまったら続けるのは難しいですが、僕の場合それはなかった。

通っていたのは、有名なチェリストを何人も輩出した林良一先生の教室です。

林先生はビシバシ教育するというよりは、従来と違う教育法を考え、それを実践してくれる。レッスンでは、昔先生が習っていた人、つまり「先生の先生」の逸話を教えてくださったり、音楽にまつわる面白い話をしてくださったりして、楽器を弾く以外でも飽きませんでした。

──​​子どもがチェロを習うとなると、使う楽器も大人用とは違いますよね?

はい。大人が使うよりかなり小さな楽器も作られていて、10分の1のサイズからあります。それを、成長に合わせてだんだん大きいものに変えていく。


さとう・はるま/1998年、名古屋市生まれ。これまでに林良一、山崎伸子、中木健二の各氏に師事。2019年のミュンヘン国際音楽コンクール・チェロ部門での優勝をはじめ多数の受賞歴を誇る。現在はベルリン芸術大学留学中。イェンス=ペーター・マインツ氏に師事している。2023年11月に都内でチェロ・リサイタルを開く(撮影:今井康一)

楽器は高価なので頻繁に買い替えるとなると大変、という印象を持たれるかもしれません。

ですが毎回、大金が必要かというと、実はそうでもない。親の負担を減らすための工夫もあります。

僕が小学1年生、6歳の頃から中学校卒業まで習っていた地元、名古屋の教室には、いろんな年頃、いろんな体格の生徒がいた。

皆、成長していくので、教室の生徒間で楽器の譲り合いが行われていました。自分が大きいサイズの楽器に変えるときには、これまでの楽器を自分が譲ってもらったときと同じ金額で求めている人に渡す。

そんなシステムができあがっていたので、頻繁に大金を払って楽器を買うことにはならなかったんです。

──​​チェロ人口がある程度多くないとそういう仕組みが回らない気もしますが、チェリストの卵が大勢いる地域だったのでしょうか。

僕は名古屋で育ったのですが、実はチェロも含め弦楽器に関しては名古屋出身の演奏家が多いんです。だから近場でうまい具合に楽器の譲り合いが成立していた。

名古屋に弦楽器奏者が多い理由としては、「スズキ・メソード」と呼ばれる音楽教育の方法が名古屋発祥らしく、それで名古屋の弦楽器人口が多いのではないかと言われています。
(注:スズキ・メソード創始者の鈴木鎮一氏は名古屋市出身、同教育を実践する教室は現在全国に1350あるという)

もともとは音楽や楽器に興味がなかった

──​​そもそもの質問になりますが、佐藤さんがチェロを始めたきっかけは。

僕が4歳半の時、兄の通うバイオリン教室の発表会に家族で行きました。そのときゲストとして来場していたチェリストの中木健二先生の演奏を聴いたことが、大きなきっかけになりました。中木先生も僕が通うことになった林先生の教室の出身です。

中木先生のチェロを聴いて「自分もこの楽器をやりたいな」と思ったんです。これが僕にとって、クラシック音楽のファーストインプレッションです。それまでは音楽や楽器に興味がなかったんですよ。

奏者の中木先生への憧れに加えて、チェロという楽器の持つ、華やかさだけではない部分、違う言葉でいうと、ある意味での地味さに惹かれたのかなと。人を包み込むような温かい音が、子どもながらに言葉では表せないような感覚的な次元で魅力的でした。

僕は昔から歌が好きだったのですが、チェロの音は人の声に近いので、それも惹かれた理由の1つだったのかもしれません。

実はこの時、兄もチェロをやりたいと言い出した。同時に2人分の楽器を買うのはちょっと難しいということで、まず兄がチェロを習い始めることに。僕は、それまで兄が弾いていたおさがりのバイオリンを持たされて、その後1年半バイオリンをやりました。

──​​幼い時期にバイオリンを1年半習いながらも、チェロへの思いは変わらないままだった、ということに驚きます。

確かに、今思えばそうですね(笑)。ただ、僕が音楽に興味を持った理由自体が、チェロでした。チェロの音を聴いたことはとても衝撃的で、それがそのまま音楽に対する気持ちになったんだろうなと思います。

準備の期間がいちばん楽しくなった

──​​成長するにしたがってコンクールの場で腕を競うなど、厳しい競争の世界になっていくと思います。その過程で心が折れたりモチベーションが下がったりしませんでしたか?

小学生のとき、初のジュニアコンクール出場で3位をもらいました。それまではとくに大きな目標もなく、毎週のレッスンで前回よりうまくなることだけを目指して続けていたのですが、3位をもらえてすごくうれしかった。そのとき、どうせやるなら1位を取りたいという気持ちが芽生えたように思います。

一方で、コンクールについては、最初からあまり厳しいものだという見方をしていなかった。賞を取れたらうれしいし、来年に向けてまた頑張ろうと思うけれど、追い詰められる感覚は持ったことがない。小さい頃から、つねにプラスの気持ちで向き合ってきました。

──​​ミュンヘン国際音楽コンクールのような大きなコンクールになると、また違ってくるのでしょうか。

ミュンヘンの舞台でも気持ちは同じでした。さすがに緊張したりはするけれど、結果が悪くても、自分が納得できる演奏だったら満足できるというか。もちろん、ミュンヘンで1位を取ったことにはすごく深い意味がありますが、「1」という数字自体に意味があるわけじゃない。コンクールまでの過程で自分がどれだけ成長できたかがいちばん重要なことだと思います。

順位はなんだってよくて、コンクールの準備期間中に、1カ月前の自分や、昨日の自分に比べて、どれだけ成長できたか。これが僕にとってコンクールを受けることの最大の価値です。

小さい頃は、どうせ出るからには1位を取りたいと思って頑張っていました。でも、回数を経る中でだんだんと、やっぱり準備の期間がいちばん楽しいなと。コンクールの本番30分ちょっとの舞台のために半年、1年かけて準備をしますが、それをコツコツやる楽しさ、集中して取り組む面白さです。

──​​努力できるかできないかも才能だと言いますが、佐藤さんはそうした努力が苦にならないと。

自分では、努力しようと思って努力している感覚はないんです。それよりも、一瞬一瞬、何かを発見していくことに達成感がある。僕は小さい達成感を喜べる人間なのかな、と思います。

(後編に続く:佐藤晴真氏が語る「チェリスト」の奥深い世界)

(山本 舞衣 : 『週刊東洋経済』編集者)