日本人の幸福度は年々低下し続けています。ひろゆきさんはどう考えているのでしょうか(写真:村松史郎)

2ちゃんねる創設者のひろゆきさんによると、人口が減少し、経済が停滞している日本では今後さまざまな「リスク」に直面するといいます。本稿では、ひろゆきさんの最新刊『日本人でいるリスク』より抜粋し、低下し続ける「日本人の幸福度」を上げるにはどうすればいいのかを解説します。

2012年から毎年公表されている「世界幸福度ランキング」。ニュースで取り上げられることも多く、日本でも広く知られるようになってきました。このランキングは「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」という国連が設立した非営利団体が、聞き取り調査を行ったうえで決定します。

具体的には、「一人当たりの国内総生産」「社会的支援」「健康寿命」「社会的自由度」「寛容さ」「汚職のなさ・頻度」「人生評価・主観満足度」という7項目について聞き取り回答を数値化し、過去3年分を積算した平均値で順位が決められます。

残念なことに、日本はいつも下位をさまよっています。たとえば、2022年は54位。先進国の中では堂々の最下位です。

日本の場合、「一人当たりの国内総生産」と「健康寿命」は高い数値なのですが、「汚職のなさ・頻度」「社会的支援」が低め。そして、「社会的自由度」「寛容さ」「人生評価・主観満足度」がかなり低くなっています。とくに、「人生評価・主観満足度」は群を抜いて低いのです。

この結果を見れば、日本人は経済面や健康面では恵まれているものの、社会の温かさや国に対する信頼を感じられず、1人ひとりの満足度が著しく低いことがわかります。つまり、なんだか幸せじゃないのですね。こうした構造は、なかなか変わるものではありません。

加えて、これからは経済的にも余裕がなくなっていくので、幸福度の上昇は望めそうもありません。

自分のためでない行動で幸せに

日本における低評価の項目をもう少し詳しく見てみると、「社会的自由度」は「働く環境の自由」と「言論や報道の自由」という2つの要素から成ります。

働く環境については、長期休暇を満喫できる欧米との落差一つとっても、日本が劣っているのは明らかです。通勤の満員電車も、海外の人から見れば信じがたいほど過酷です。言論や報道のあり方については、国境なき記者団による「報道の自由度ランキング」で180国中71位(2022年)という結果が、すべてを示しているといえるでしょう。

そして、こうした事態について個人ができることはほぼありません。一方で、「寛容さ」と「人生評価・主観満足度」については、僕たちの姿勢一つで変えていくことが可能です。

社会の寛容度を示す大きな指標として、ボランティアの参加率があるでしょう。実は、日本人は他国人と比較してボランティア活動が極端に少ないことがわかっています。そして、ボランティアへの参加度合いは、幸福度と正比例することがいくつかの調査でわかっています。

つまり、これまで日本人が消極的だったボランティアへ参加していくことで、幸せな気持ちを生むことができ、それによって「寛容さ」と「人生評価・主観満足度」の2つの要素を改善していけるわけです。

かつて僕は、人々の意識調査をするために、ネットでこんな質問をしたことがあります。「あなたが500円をもらえるか、通りすがりの人に5000円を手渡せるとしたら、どちらを選びますか?」。

このときの500円も5000円もどこかから調達されたもので、あなたの懐は痛みません。当然、500円をもらったほうが得はできます。しかし、500円ではファストフード店でハンバーガーを食べるくらいがせいぜいでしょう。それで幸せになれるのは、お腹が満たされた数時間です。

一方で、5000円あれば、それなりのことができます。ちょっといい食事もできるし、映画を観ることも、新しい服を買うこともできます。それによって、誰かが大きな満足を得る様子を見ることができます。それは、自分が500円をもらうより、ずっと大きな幸せをあなたに与えてくれるはずです。

実は、この調査結果では、自分が500円をもらうと答えた人と、通りすがりの人に5000円を手渡すと答えた人の割合は、ほぼ半々でした。さらに、ある調査では、もらったボーナスの中からいくらかをチャリティーや寄付に使った人のほうが、全額自分のために使った人よりも幸福度が高いという結果が出たそうです。

このように、人間は本質的に「他人が幸せに感じることを求める」という一面を持っており、他人に感謝されたり喜ぶ顔を見たりすることで、本人も幸せになるのです。だから、ちょっとのことでいいから、人のためにお金を使ってみたり、ボランティア活動に参加してみることが、これからの日本人には必要なのだろうと思います。

「〇〇すべき」発想を捨てる

「やること」よりも「やらないこと」に着目していくのも大事です。多くの人が、年頭などに「今年は○○するぞ」といった目標を立てますね。

英語の勉強だったり、ジョギングだったり、ダイエットだったり内容はそれぞれでも、「やるのだ」と心に決めます。ところが、その多くは早々に三日坊主で終わります。そして、こうした三日坊主はダメなことだと多くの人が思っていて、すでに意欲を失っているにもかかわらず「やらなきゃ、やらなきゃ」と頑張ろうとします。

でも、それは不幸なことだと思いませんか? 誰かから頼まれたわけでもなく、なんの義務もないのに、やりたくないことを無理してやっているのですから。そんなことはとっととやめて、その貴重な時間をほかの楽しいことに費やしたほうがはるかにいいでしょう。

軽い気持ちでなんでもトライしてみて、嫌だったらとっととやめる。こうした三日坊主の繰り返しは、「自分に向いていないことをどんどん潰していく」という意味もあり、少しも悪いことではありません。

日本人特有の「○○すべき」という発想から自由になって、幸せの総量を増やす生き方を心がけましょう。

日本人の幸福度が下がっている一因として、「日本全体が貧乏になっている」ことが挙げられます。一億総中流などと言われた時代はすでに過去のものとなり、日本でも貧富の差が広がっています。そうした中で注目されているのが、「相対的貧困」という概念です。

OECD(経済協力開発機構)は、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々の割合」を相対的貧困率と定義しています。わかりやすくいうと、相対的貧困とは「大多数よりも貧しい状態」と考えていいでしょう。

2021年のOECD調査では、日本は38カ国中7番目に相対的貧困率が高く、G7参加国の中で一番高くなっています。つまり、日本はかなり貧富の差が大きい国だということです。

「2018年国民生活基礎調査」をもとに厚生労働省が示しているところによれば、日本の相対的貧困の基準は「世帯収入127万円」というラインです。そして、相対的貧困率は15.7%となっています。約2000万人、日本の人口の6人に1人があてはまるのです。とくに母子家庭で顕著で、半分以上が相対的貧困状態となっています。

もともと日本では男女の賃金格差が大きく、かつ非正規雇用の女性は大変に不利な状況に置かれています。

コロナ禍で「自助」を求める国

コロナ禍では、経済活動が抑制されたことで非正規雇用労働者の解雇が相次ぎ、母子家庭に限らず困窮リスクが高まりました。そうしたさなか、自民党総裁選挙に勝利した菅義偉氏は、首相大臣の就任記者会見で「自助、共助、公助そして絆」と述べました。特別な事態で困っている国民が、最も公助を必要としているときですら、政府は「自分たちでなんとかしろ」と言っていたのです。


次の岸田政権も、その路線を踏襲しています。岸田首相は、最初こそ独自の路線を歩むかと思われましたが、今は投資を推奨し「自分の生活資金は自分で調達せよ」ということを暗に言っています。

政府の姿勢に同調するわけではないけれど、国民が自分たちを守るには、本当に自助・共助が必要なんだと僕は思います。残念ながら、そうするしかない状況です。貧困に陥っている人は、NPOなどさまざまな団体に頼ってほしいし、共助の手を差し伸べられる人は、小さなことでも始めてほしい。

僕個人は、児童養護施設へのパソコン寄付プロジェクトを展開しています。その発端は、政府の「GIGAスクール構想」で、税金を使って配られたのがパソコンではなくタブレットだったことにあります。

タブレットでは、誰かがつくったアプリにお金を支払って使う消費者しか育ちません。パソコンでプログラムを書いたり、音楽や動画をつくる生産者になることで、貧困から脱却する道が見つかります。だから、僕はパソコンにこだわっているのです。とはいえ、いきなりプログラムを組めるはずはありません。

まずは「面白い」から入ってもらうことが重要なので、ゲームもできるようなスペックのものを選んで送っています。

(ひろゆき : 元2ちゃんねる管理人)