1993年5月15日、日本サッカー界が待望した一日だ。三浦(左)と松永(右)の両主将が握手を交わす。(C)Getty Images

写真拡大

 今から30年前の5月15日は、日本サッカー史の一大転換点となった。我が国初のサッカーのプロリーグ、Jリーグが開幕した歴史的な一日である。

 以来、サッカー界の景色は何もかもと言っていいほど、劇的に変わった。ピッチ上で繰り広げられる戦いも、スタンドの風景も、クラブの運営も、育成手段も、そして社会とのつながりも、30年の時を経てプロフェッショナルな色彩が定着していった。

 その間、ワールドカップもオリンピックも7大会連続出場と、日本サッカーは国際舞台の常連に。2011年になでしこジャパン(日本女子代表)が成し遂げた世界制覇も、Jリーグの発展と無縁ではないだろう。

 開幕は新時代到来を告げるように、オープニングから印象的だった。ロックバンドTUBEのギタリスト、春畑道哉の奏でる甲高いエレキギターの音色がレーザー光線の乱舞するスタジアムを震わせる。今ではすっかりお馴染みになったJリーグのオフィシャルテーマソング「J’S THEME」だ。
 
 Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎(現日本サッカー協会相談役)は当初、歌詞付きの曲をイメージしたという。しかし、「デモテープを聞いたときに、すぐに『これでやってくれ!』と。衝撃というか、ギターの音色がとにかく印象的で、誰に相談することもなく即決でしたね」と振り返っている。ちなみに川淵は、開幕セレモニーで「君が代」を独唱した前田亘輝と春畑が、同じTUBEのメンバーとは知らなかったと後に明かしている。

 開会宣言を行なったのはその川淵。「スポーツを愛する多くのファンの皆さまに支えられましてJリーグは今日ここに大きな夢の実現に向けてその第一歩を踏み出します」。この30秒に満たないスピーチに、川淵は「Jリーグの理念をできるだけ簡潔に表現しよう」という思いを込めた。

「サッカー」ではなく「スポーツ」。川淵は「老若男女だれもが、好きなスポーツを楽しめる地域社会に根差したスポーツクラブ作りを目ざす。世界に通用する選手を育てていく。そういう夢を実現するために、Jリーグがスタートした」という意図だったと説明する。

【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 J歴代ベスト11」を一挙公開!
 待望の開幕カードは、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)という、人気、実力とも当時の日本を代表する二強の顔合わせ。Jリーグにつながる日本サッカーリーグの最後の4シーズンでは、1988-89、89-90年が横浜Mの前身である日産自動車の連覇、続く90-91、91-92年はV川崎の前身の読売サッカークラブが連続優勝。天皇杯でもJリーグ開幕前の10大会で読売クが優勝3回、日産が同6回など、大舞台での大役を担うにふさわしい実績を誇るライバル対決だった。

 栄えある舞台に立った両チームの選手も記しておこう。松木安太郎監督率いるV川崎がGK:菊池新吉、DF:中村忠、ペレイラ、加藤久(79分、阿部良則)、都並敏史、MF:柱谷哲二、ハンセン、ラモス瑠偉、FW:マイヤー、武田修宏(45分、北沢豪)、三浦知良。清水秀彦監督が指揮を執る横浜MがGK:松永成立、DF:平川弘、勝矢寿延、井原正巳、小泉淳嗣、MF:野田知、エバートン、水沼貴史、木村和司、ダビド・ビスコンティ、FW:ラモン・ディアスという顔触れだった。

 当時は2ステージ制で、その第1ステージとなるサントリーシリーズの開幕戦は19時29分、小畑真一郎主審のホイッスルでキックオフ。先手を取ったのはV川崎で、19分にオランダ国籍のマイヤーが左サイドからのカットインで鮮やかな右足シュートを対角に突き刺した。もちろん、これが記念すべきJリーグ最初の得点。この試合を実況したNHKのアナウンサーだった山本浩は「試合のときは緊張したのか、『これがJリーグ第1号ゴール』とは言ってないんです。すっかり忘れているんですね」と振り返っている。

 後半に入ると横浜Mのエンジンがかかる。その開始直後の48分、日産時代からプレーするブラジル人のエバートンが、マイヤーと同じような角度から右足で同点ゴールを決めた。さらに59分、水沼が放ったシュートをGKがはじいたところに詰めたディアスが蹴り込み、逆転に成功した。

 その後、5万9626人の観衆が見守った試合はスコアが動かず、横浜Mが記念すべき一戦を2−1で制した。テレビの視聴率は32.4%。ビデオリサーチによれば、これはJリーグの放送で現在も破られていない最高視聴率である。10クラブでスタートしたJリーグは翌5月16日、残る8チームがそれぞれの開幕戦に臨み、本格的に戦いの火ぶたを切った。
 
 2008年12月に行なわれた川淵と三浦(カズ)の対談で、そのインタビュアーを務めた山本が、5月15日を「Jリーグの記念日にしたらいかがですか」と水を向けると、川淵は「ある程度の時間が経ったら、そういうのができてもいいかもしれない」と答えている。それが実現したのは開幕20周年の2013年。「Jリーグの日」として、日本記念日協会に登録されたのだ。

 その対談で「祝日にはならないですかね、国の」とカズは言って、笑いを誘った。

(文中敬称略)

(参考)
『財団法人日本サッカー協会75年史』(1996年、日本サッカー協会)
『J.LEAGUE 1992-2008』(2009年、日本プロサッカーリーグ)
『J.LEAGUE NEWS』vol.265(2018年、日本プロサッカーリーグ)

文●石川 聡

【動画】マイヤーの鮮烈弾に国立が揺れた! 栄えある「J第1号ゴール」をチェック