アイドルヲタクって名乗るのが少し恥ずかしかったりするじゃないですか。2000年代は今よりもっとその空気が強い時代でした。でも、僕はアイドルが好きなことに誇りを持ちたかった。アイドルって素敵じゃん、最高じゃんと思っているから。ショッピングモールで握手会をやりたかったのは、それが理由です。アイドルやヲタクの文化が、閉じられた世界ではなく、開かれた世界にしたかったんです。

 AKB48の成長はあまりにも急だった。そのため、新宿ステーションスクエアやショッピングモールといった通りすがりでも立ち寄れる場所でのイベントは行えなくなった。人が集まり過ぎるのだ。

 紅白歌合戦への返り咲き出場も果たした。『Beginner』ではミリオンを達成した。オリコン1位は当たり前に達成するようになった。テレビCMでも見ない日はないグループへと成長した。

 いくつかある要因のなかでも、AKB48を大きく前進させたのは、選抜総選挙である。その渦中に湯浅氏はいた。

湯浅 全10回行われた選抜総選挙ですが、僕は第1回から選挙管理委員長を務めてきました。

 総選挙での一番の思い出は、なんといっても速報です。AKB48劇場に集計会社の弁護士の方から届けられる速報値をステージ上で僕が読み上げるんです。ファンの方もメンバーもいますし、姉妹グループの劇場にも中継がつながっている。それどころか、新宿ALTAのビジョンに生中継される年もありましたから、毎回手が震えました。

 おぎゆか(荻野由佳)が速報で初めて1位になった年(2017年)のことは忘れられません。順に読み上げていくんですが、3位まで読んだところで、「1位 荻野由佳」と書いてあるのが視界に入りました。でも、驚きの表情を出してはいけませんから、必死に平静な顔を作りました(笑)。

 でも、僕にはもうひとつの役目がありました。それは、開票当日のメンバーのケアです。早めに名前を呼ばれてしまって泣いている子、名前を呼ばれずに肩を落としている子が裏にはたくさんいました。その子たちにまず声をかけるんです。そんな子たちを慰めてから、ようやく僕はステージ側に回って、イベントを観ることができるんです。

 一番記憶に残っている総選挙は、(渡辺)麻友が1位になった2014年かな。僕はやっぱりAKB48の担当ですから。

 日本レコード大賞の連覇もまたAKB48の名前を大きくした。2011年に『フライングゲット』で、翌年には『真夏のSounds good!』で獲得した。連覇を果たしたのは史上6組目(当時)だった。

湯浅 当日の僕の役割は、もし大賞を獲ったら、会場外に停めてある中継車まで走って移動して、音声のバランスを確認することでした。「大賞は……AKB48!」とアナウンスされると、すぐさま舞台袖から中継車まで嬉し涙を流しながらダッシュです。だから、泣きながら階段を下りてくるメンバーたちの感動的な姿は見ていません。歌唱中は音声の方と相談しつつ、泣いているメンバーのマイク音量を最大限まで上げてもらいました。

 オリコン1位、レコード大賞受賞、紅白歌合戦出場……。AKB48は隆盛を極めていた。しかし、数々の輝かしい記録よりも「もっと嬉しかったことがありました」と湯浅氏は話し始めた――。

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