UFCを猛追の格闘技「ONE」はなぜ大化けしたのか
2022年11月に開催された「ONEチャンピオンシップ」の様子(写真:筆者撮影)
アップビートな音楽、きらびやかな照明、そして興奮した群衆。ここはシンガポールの中心部にあるインドアスタジアムだ。
フロアのど真ん中に設置された「ケージ」と呼ばれる円形リングにアウンラ・ンサン選手が登場すると観衆の熱気はピークに達した。サブミッション(関節技や絞め技)の使い手で「ビルマパイソン」との異名を取るンサン選手は、出身国のミャンマーで圧倒的な人気を誇るアスリートだ。
1ラウンドが始まって間もなく、ンサン選手は対戦相手の日本人選手に馬乗り状態になった。頭部にパンチをひっきりなしに食らわせると、わずか2分足らずでTKO勝ちを果たした。
総視聴数はNBAについで世界2位
これは2022年11月19日に開催された「ONEチャンピオンシップ(以下ONE)」のシンガポール大会での一場面である。シンガポールを拠点とするONEはアジアに軸足を置きつつ世界展開を進める格闘技団体だ。大会の動画配信の総視聴数は世界最大の格闘技団体であるアメリカのUFCをしのぐ。いまや世界でも指折りの有力コンテンツだ。
2022年のニールセンレポートによると、ONEはSNSを中心に動画の総視聴数の増加が目覚ましい。フェイスブック、インスタグラム、ユーチューブを合わせた動画の総視聴数は2021年には134億回で、前年のほぼ2倍になった。これはアメリカ・カナダのプロバスケットボールリーグであるNBAに次いで世界2位だ。
きっかけは2014年だった。ONEの創業者であるタイ出身のチャトリ・シットヨートン氏(51歳)は、このとき事業不振によりONEの閉鎖を考えていた。
最後の賭けとして考えたのが、当時急速にアジアで広まりつつあったフェイスブックでの一点突破だ。躍動感があふれる短めの動画を無料で大量に投稿したところ、人気に火がついた。これがきっかけで、その後は指数関数的にリーチが増えていったという。
「ONEチャンピオンシップ」の人気はうなぎのぼりだ。試合が動画配信されると、その総視聴数は世界最大の格闘技団体であるアメリカのUFCをもしのぐ(写真:筆者撮影)
冒頭の大会には、発信力の強さからビジネス界でも一目を置かれる青木真也選手はじめ多くの日本人格闘家が出場していた。観客席にいた日本人女性(21)は、日本の格闘技大会「K-1」や「Rizin」などと比べ、「世界的なところ」に惹かれると話してくれた。普段からアプリやYouTube、インスタなどでONEの動向をチェックしているそうだ。
企業価値は10億ドルにのぼる
ONEは創業11年で、セコイアキャピタル・インドをはじめとする著名ベンチャーキャピタルから出資を受けている。アメリカの調査会社であるCBインサイツもONEの企業価値を10億ドルと見積もっており、現在ではアジア有数のユニコーン(10億ドル以上の評価を受ける未上場企業)として認知されている。
テック系がひしめく東南アジアのスタートアップ業界で、格闘技というコンテンツによって勝負するONEは異色の存在だ。
ONEはアジア独自の価値観を前面に打ち出すことで、アメリカのUFCの「一強」が長く続く総合格闘技の世界に一石を投じた。アジアの格闘技は数千年の伝統を誇り、日本の柔道、空手や中国武術、タイのムエタイなどその種類も多様だ。その割にビジネスで成功した格闘技団体がない。そこにチャトリ氏は着目した。
「現在のONEの企業価値は20億ドルまで上がっている」というチャトリ氏にIPO(新規公開株式)の見通しについて聞くと、「今後1〜2年で、市場の状況が良くなったら」との返事だった。
とはいえ、ONEはまだ赤字経営のようだ。チャトリ氏は現在世界に10のオフィスがあると豪語するが、従業員数などの数字は開示していない。また、イベントチケットの有料販売比率も明かせないとのことだった。
チャトリ氏が重視しているのは、総視聴数とファンベースだという。「私たちの総視聴数とファンベースは飛躍的に伸びています。最終的に収益はこれらの数字を追いかけてきます」とチャトリ氏は説明した。
課題について聞くと、本社および海外支社での人材の確保をあげた。シンガポールを始めとして東南アジア各国では、格闘技のイメージはまだまだネガティブなところがあるためだ。
イベントが思うように開催できず苦しかったコロナ禍が収束しつつある中、イベントをどこまで拡大していけるかが今後の経営のカギを握ることになる。ゆくゆくは毎年アジア、ヨーロッパ、アメリカのそれぞれの地域で年間50回のペースでイベントを開催することを目標とする。
いまや日本のパートナーからも熱視線が注がれている。ONEの試合は日本では現在、ABEMA格闘チャンネルで視聴可能だ。同チャンネルの北野雄司エグゼクティブプロデューサーは、「数年前に日本のテレビ局からすげなくされたときにチャトリ氏が怒り出したのをみて、ONEの価値を信じる姿勢と情熱に惹かれた」という。
ONEはABEMAでは他の総合格闘技と同様に25〜35歳の男性が主要な視聴者層となっており、「コンテンツとして有望だ」と北野氏は語る。スマホの画面は、サッカーなどと比べても、格闘技に適しているとの考えだ。
アジアのサブカルの台頭が追い風に
UFCなどと違い、アジアのイベントはほぼ時差なしで中継できることも大きい。円安のためにファイトマネーの額が円建てでは大きくなっていることもあり、今後ますますONEは日本人ファイターが海外に挑戦するための場として重要になってくるとみる。
2022年に話題となった那須川天心と武尊(たける)の試合で、PPV(ペイ・パー・ビュー)で5000円前後の視聴チケットが50万枚以上売れたことは記憶に新しい。2022年にABEMAはONEのイベントを20回以上放送した。2023年には63回のイベントを放送し、そのうち5回をPPVとする予定だ。
これまで格闘技のグローバルスタンダードとなってきたUFCの選手が相手への敵意をむき出しにするのに比べ、「アジアの格闘技は、ファイティングスピリット、謙虚さ、名誉、リスペクトといった価値観を重んじる」とチャトリ氏は説く。
近年、BTSや韓国ドラマが世界的に人気となっているが、そうしたアジアのサブカルチャーの台頭もONEの追い風になっているとみる。
「ローカルな連関性とグローバルなアピールがビジネスを成功させるために必勝の公式」。それが、アジアの格闘技による世界制覇を狙うチャトリ氏の信念だ。
(舛友 雄大 : 中国・東南アジア専門ジャーナリスト)