昇給・昇格を断って退職した会社に、36歳の時に再入社した野口佳絵さん。話を聞くと、とある切実な事情が背景にあったようです(写真:本人提供)

社員が会社を辞めるのは、なんらかの理由があるからだ。給料かもしれないし、人間関係かもしれないし、自身のキャリアを考えた結果かもしれない。ライフイベントに合わせた結果かもしれないし、その背景には人それぞれの事情がある。

しかし、中には「一度去った会社に戻ってくる人」もいる。「出戻り転職」と呼ばれる行動だが、この連載ではこの「出戻り転職」にフォーカスを当てたい。一度辞めたのに「戻りたい」と思える会社はそれだけ働く人にとって魅力的だと考えられるし、そこから「社員と会社の良好な関係性」を紐解けると考えるからだ。

「会社を辞めるのを、やめてくれないか? ほら、今までよりも高い給料を出すからさ……」

転職の意思を告げた際、上司がそんなふうに返してきたら、あなたはどう反応するだろうか。喜んで転職を取りやめる? ありがたいと思いつつ転職に踏み切る? それとも、「遅いよ、転職活動を始める前に言ってくれよ」と心の中でモヤモヤする?

反応は人それぞれだろうが、今回話を聞いた野口佳絵さんは、まさにそんな言葉をかけられた経験を持つ女性だ。

【2022年11月15日12時10分追記】初出時、昇進とすべきところを昇格と記載していたため、タイトルを表記のように修正しました。

創業期に入社し、数年間離れたものの、再び入社

現在、株式会社ガイアックスで事業部長を務める彼女は、ガイアックスの創業期に入社し、数年間離れたものの、再び入社している、「出戻り」経験者でもある。

ガイアックスは、ソーシャルメディア・Webマーケティング・シェアリングエコノミーなど、IT/Webサービスを中心とした多くの事業を展開しているベンチャー企業だが、野口さんのキャリアのスタートは畑違いのアパレル企業から始まった。

「1999年にデザインの専門学校を卒業して、小さなアパレル企業に入社し、ECサイト運営を担当するようになりました。インターネットが浸透しきっていない時代ゆえ、社内にWebに詳しい人がいなかったというのが理由です。社長が『好きにやっていいよ』と言ってくれていたので、独学でサイト運営を始めました。

当時、海外からメンズカジュアルを輸入していたので、他の仕事の合間を縫ってECサイトにコツコツ掲載していっていたら、だんだんと売り上げが立つようになり、なんと1日の売り上げが100万円になったんです。これはリアル店舗でも簡単じゃない数字で……この経験を通じて『実店舗がなくても販売できる!』『店舗の家賃もいらないし、人件費も削減できる!』と感動して。

でも、それを数年続けていくうちにスキルの天井が見えてしまったんですよね。インターネットの可能性を信じていたし、これはもう転職しないと成長できないなって……」

違う畑に足を踏み入れ、人生の大きな刺激と彩りに

本命である総合広告代理店への転職を試みたが、業界未経験者にとっては狭き門。特にアパレル業界から広告業界に入る人は稀だった。そんな中、2004年にガイアックスと出会うことになる。

「ガイアックスの第一印象は……一言で言うと『オタク!』という感じでしたね。今でこそネットは誰もが使うものになっていますが、『電車男』が盛り上がっていた当時は選ばれしネット好きが集まっていて、社内も『チェックシャツとジーパン』といったスタイルの人ばかりだったんです。

そんな仲間たちと渋谷で飲み会をした時に、アパレル時代の同僚に会ったことがあるのですが、それはもう本当にびっくりされて(笑)。というのも、当時のアパレルは『可愛くなければ正義じゃない!』時代だったんです。今以上に芸能界ともすごく近い業界で、見栄えが重視されていて、とにかく華がないといけなかった。今と違って、表層的な評価をされる業界だったんですよね」

昔の同僚には驚かれた転職だったが、違う畑に足を踏み入れたことは、結果的に野口さんの人生に大きな刺激と彩りを与えてくれた。

「当時は、目にすること耳にすることとにかくすべてが新鮮でした。IT業界では当たり前のこと、例えばビジネス用語で使う横文字なんてわからないことだらけで。『アジェンダって何?』『フロー? イニシアチブ?』……みたいに、聞いたこともない言葉が当たり前のように飛び交っていました。

また、会社の雰囲気も自分に合っていて。ガイアックスはコミュニティ事業や起業家育成を昔からしていることもあり、オープンソース化やマニュアルの共通化をしていたので、フラットな思想の人が多かったんですね。閉鎖的なアパレル業界にいた身には、垣根を作らない文化が魅力的で……どんどん、IT業界に魅了されていきました。

ただ、アパレル業界での経験が無駄になったわけでもなくて。オタク率の高い社内には、クライアントや社内の営業と、上手にコミュニケーションできる人が当時は少なくて、入社した時はデザイナー枠だったものの、次第にディレクター的な役割を任せてもらえるようになったんです」

外の景色を見てみたい、腕試ししたい

こうして、業界未経験ながらもすぐに戦力となり、最終的にはデザインチームのマネージャーを務めるまでになった野口さん。しかし、率いるデザインチームが拡大して4年ほどする頃に、転職を考えるようになった。

「大手広告代理店の人たちや競合他社の人たちとプレゼンで会う機会もあって、どんどん自分の足りないものが浮き彫りになってきたんです。当時はすでに自分のチームを持っていましたし、仕事を通してチャンスもたくさんいただいていたので、退社することに申し訳ないという気持ちは強かったです。お給料もアパレルの頃に比べたらずっともらっていましたし。会社からはかなり引き止められて、昇給やポジションをアップする話もいただきました。

でも、それでも外の景色を見てみたい、相対的に自分の仕事を見てみたい、腕試ししたい、という思いが強かったんです」

筆者はこれまでさまざまな企業の人事や人材採用に関わってきたが、彼女のように「腕試ししてみたい!」という人を引き止めるのは、なかなか難しいと感じている。会社が今まで以上の条件を提示したとしても、『外の世界を見たい』という本人の想いの強さはなかなか変えられないものなのだ。

しかし、結論から述べるとその後、野口さんはコンサルティング会社や制作会社で勤務。5年ほど経った36歳頃、ガイアックスに出戻りしてくることになる。

それだけ「外を見たい」と思っていたのになぜ? そこには、なかなか切実な事情があった。

人生の選択肢を減らしたくなかった

「当時の勤務先が広告代理店に買収されて吸収合併することになり、当時取締役だった私は、部下たちのリストラや再就職の支援などを担当するようになったんです。自分だけでなく、他の人のキャリアについて考えるのは、私としてもさまざまなことを考える機会となりました。

また、プライベートな事情もあって。当時36歳くらいだったんですけど、勤務先の会長に『今は大事な時期だから、家庭より仕事を優先してね』って言われたんですよね。つまり子供を作らないでねって意味です。もともと子供を持つことに強い憧れがあったわけではないんですけど、一人は欲しいなって思いもありましたし、『配偶者の意思も尊重したい』『人生の選択肢を減らしたくない』という気持ちが強かったです」

今ではそういった話を聞くことも少なくなってきたが、当時はよくある話だったのではないだろうか。水面下で行われた話ではあったが、年齢的なタイミングもあり、この出来事がきっかけとなり転職を決意することになった。

そうして、転職先の候補として頭に浮かんだのが、ガイアックスだった。事業責任者として再入社し、出産による産休を挟みながら、現在も勤務中だ。

「ガイアックスとは辞めた後も仕事で関わっていたので、距離は近かったんです。他の会社からも責任者などでオファーをいただいていましたが、実際のところ、プライベートとの両立って本当に難しいことなんですよね……。

仕事の立ち上がりの早さだったり、女性の場合は年齢的なこともあったり、それでいて、会社側が個人の人生への理解があるか……仕事とライフイベントを両立することを考えると、よく知っているガイアックスがいいなと思ったんです」

たしかにどんなに優秀な人でも、転職先の会社に適応するには半年から1年ほどはかかるだろう。そして、個人の人生をどれだけ応援できるかも、会社によって大きく異なっている。とくに、長年勤務している社員が産休・育休を取得するのと、転職してきた人が転職から程なくしてそれらを取得する/取得する予定があるのでは、悲しいことだが、許容され方も変わる場合が多いのだ。

その点において、ガイアックスは起業家輩出を応援する事業を営んでいるのも、柔軟性に寄与していたようだ。

個人の人生で成し遂げたいことを応援してくれる会社

「うちの会社には、個人の人生で成し遂げたいことを応援するカルチャーがあります。もともとそれぞれの人生に寛容な社風ではあったけど、数年前から『自分の人生計画』とか『成し遂げたいこと』を共有するようになったんですよね。その結果、起業だけでなく転職や家庭のプランもオープンになりました。それらを共有することにより、周りが協力的に動いてくれたりもするんですよね。

部署の異動なども、基本的に会社の指示ではなく、本人の希望が発端となるケースが多いです。これも、弊社が起業家輩出をビジネスにしてるゆえですが、だからと言って『異動させるんだから、希望を叶えたんだから、会社に骨を埋めろ』という雰囲気もない。自分で会社を立ち上げると、『この人に会うといいかもよ』って周囲が自然に繋いでくれたり。

私の場合、再入社したのは上場7年後でしたが、おそらく、初期のガイアックスでも、いつ妊娠するかわからない私を、受け入れてくれる土壌はあったと思います」

最初こそ「オタク!」と思った会社が、実は自分にとって居心地の良い環境とわかり、さらに年齢を重ねるなかでより噛み締められるようになる……不思議な話である。

世情や時代背景、自分自身の年齢、ライフイベントや自分を取り巻く環境の変化、さまざまな要因によって当然ながら人の価値観は変わるだろう。通常は、社員が会社に合わせる、自分に合った会社を探す、という行動になりがちだが、会社に柔軟な土壌があることにより「会社が社員に合わせて対応する」ことも可能なのだ。

出戻りはメリットだらけ

最後に、出戻り転職について、野口さんに意見をもらった。

「私はすべてプラスに働いている側ですが……現実的な話で言えば、出戻り転職はどうしても周囲からのハードルは上がる面はあるでしょうね。また、大きい会社だと退職金の制度や福利厚生のメリットをどうするんだ、といった問題点もあるでしょう。


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また、私自身としては、出戻りはメリットだらけだと思っています。一度辞めた会社に戻るというのは悔いがあって戻ってくる場合もあるし、成長して戻ってくるわけなので、成し遂げられるものも大きくなると思います。なので、事前にコミットする役割への合意がとれている状況が多いと思うんですよね。

私の場合、会社の根本的思想が好きだから戻ってきました。戻る人ってやっぱり会社への愛情があったりすると思うし、それって会社にとって財産だなって思うんです。そういう社員が増えていくのは会社にとってもいいことだと思います」

ガイアックスのウェブサイトを見ると「起業したい方へ」という言葉が目立つ。“起業家輩出”を古くから掲げていてそれがベースにあるため、個人の人生ややりたいことを応援し、そのために時代に合わせて会社を変えていくという文化があるそうだ。

会社の根本思想は変わらないものの、ガイアックスはその思想を実現するために「手段」を変えているのではないかと筆者は感じた。いや、手段を変えるというよりは余白を残しておくという感じだろうか。

特にWeb業界は、わずか数年間で会社の雰囲気が劇的に変わることも多く、それがネックとなり出戻りを躊躇する人もいる。でもガイアックスには変わらない思想があるからこそ、安心して出戻りができたのだろう。

学びになると同時に、「戻りたくなる組織の作り方」の奥深さ、難しさを感じた取材でもあった。

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(桐山 奈々 : フリーランス人事)