なぜ新車が手の届かない価格になっているのか…日本人を直撃する「スタグフレーション」という経済危機
※本稿は、加谷珪一『スタグフレーション――生活を直撃する経済危機』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
■食品は原材料の価格高騰に影響を受けやすい
今回の物価上昇は2021年後半から顕著となり、2022年春以降に本格化したという流れですが、早い段階で価格が上がっていたのは食品類でした。2022年4月には多くの食品価格がいっせいに値上がりし、私たちの家計を直撃しました。
一般的に、食品類は、他の工業製品と比較して、販売価格に占める原材料の比率が高く、価格高騰の影響を受けやすい商品です。とりわけパンや食用油は原材料の比率が高いという特徴が見られます(図表1)。
説明するまでもなくパンの原料は小麦粉ですが、小麦の市場価格は2021年から2022年にかけて2倍に高騰しており、パンのメーカーはコスト増加に苦慮していました。同じく食用油の原料となる菜種油や大豆油の価格も軒並み上昇しており、多くのメーカーが値上げせざるを得ませんでした。
パンの販売価格に対する原材料価格の比率は30〜40%、食用油も同30〜40%程度と高めになっており、原材料価格が上がると、メーカーの利益を圧迫します。
これに対して、菓子類、即席麺、レトルト食品などは加工の工程が多い分、価格に占める原材料の比率は低下します。商品の種類によってさまざまであることから、一概に原価率を決めることは難しいのですが、一般的に菓子類は25〜30%、即席麺は20〜30%程度です。
■広告宣伝費に加えて酒税もかかるビール
これらはパンや食用油に比べて、製造工程が複雑である、広告宣伝費の比率が高いという特徴があり、原材料価格が最終価格に与える影響がすこしだけ小さくなります。したがって、パンや食用油と比較すると、値上げのタイミングは多少あとになります。
原材料の比率がさらに低いのが飲料です。清涼飲料水の原材料費は20%程度が多く、ビールは10%台になることもあります。飲料については、テレビなどで多くのCMを目にすると思いますが、味が重要であるいっぽう、製品のイメージも売れ行きを大きく左右します。このため、各社は広告宣伝に力を入れる必要があり、必然的に原材料の比率は下がります。
さらにビールでは、酒税という税金がかかってきますから、メーカーにとっては利益を確保するのがますます大変です。
ビールの場合、販売価格の25〜35%が酒税ですから、ビールを飲むたびに私たちは多額の納税をしていることになります。ビールに対する酒税の割合は諸外国と比較すると高くなっており、一部からは引き下げるべきだとの意見も出ていました。ビールの税率が高すぎたことから、税率の低い発泡酒や新ジャンルの商品ばかりが増えるという事態も発生しており、本物のビールを好む消費者からは不満の声が上がっています。
■ビールは減税、発泡酒と新ジャンルは増税へ
こうした声を受けて、政府は税率の一本化を決定しており、2023年10月にビール(350ml)は現行の70円から63.35円に減税、発泡酒は据え置き(46.99円)、新ジャンルは発泡酒に統合される形で46.99円に増税されます。
2026年10月には再度改定が行われる予定となっており、すべての税金が54.25円に統一されます。全体としてはビールは減税、発泡酒はわずかに増税、新ジャンルについては大幅増税と考えればよいでしょう。
とはいえ、原材料価格が上がると利益を圧迫するという図式自体は変わりませんから、コスト上昇が激しいと、やがてビールにも値上げが波及することになります。実際、アサヒビールは、スーパードライなど162品目について6〜10%の値上げを実施しています。
■輸入小麦に頼りきりの日本の「弱さ」
パンや菓子、即席麺の原料となる小麦価格が上昇していることはすでに述べた通りですが、日本の場合、小麦は9割を輸入に頼っており、海外で小麦の価格が上がってしまうとどうしようもありません。
小麦は国民生活にとってきわめて重要であり、政府は小麦の安定供給を実現するため、輸入小麦について全量を買い付け、製粉企業などに売り渡す制度を実施しています。
政府が民間に売り渡す価格は、過去6カ月間の平均買い付け価格を基準に、年2回見直しを行います。したがって小麦の価格が上昇したり、円安で買い付け価格が上昇した場合には、半年の時間差で民間企業の仕入価格に反映されることになります。しかしながら、政府はあくまで取引の間に入るだけであり、急激な価格上昇を緩和する機能しか持っていません。
日本は小麦だけでなく、食品の原材料の多くを輸入に頼っていますから、当然の結果として為替の影響を大きく受けます。2022年に入ってから、円安傾向が顕著となっており、これも値上がりに拍車をかけています。では、日本国内で生産しているコメや牛肉は、海外の価格上昇や為替の影響を受けないのでしょうか。
■国産米でも海外の影響を受ける理由
輸入食材と比較すると、国産の米や牛肉は海外の影響を受けにくい商品ではありますが、まったく無関係というわけにはいきません。
たとえばコメを作るには、多くの農作業が必要となりますが、今の時代はほとんどが機械化されており、田植機やコンバインなど各種農機具を動かさなければなりません。そのためにはガソリンや軽油などの燃料が必要となりますし、輸送などにもエネルギーを使います。
コメの販売価格のうち20〜25%は燃料代、輸送代、パッケージ代などで占められています。日本は石油のほとんど輸入に頼っていますから、国産のコメであっても、エネルギー価格の高騰や為替の影響を受けてしまう図式です。
■国産牛や鶏肉、魚介類も値上がりする懸念
牛肉や鶏肉はどうでしょうか。牛や鶏を育てるには、飼料が必要となりますが、飼料の多くが輸入です。小麦の価格が上がると、とうもろこしなど他の穀類の価格も上がりますから、国産の牛肉や鶏肉であっても、やはり海外の物価事情とリンクします。
牛肉や鶏肉の価格に占める飼料などのコストは30%程度となっており、鶏卵になると半分以上が飼料代というケースも少なくありません。寒い地域で鶏を育てている場合、季節によっては暖房が必要となり、電気代や灯油代がかかります。
魚介類にも、同じようなメカニズムが働きます。漁船の操業コストのなかで燃料代が占める割合は高く、最終的な販売価格に対する比率は、肉類などと近い水準になります。もっとも魚介類は豊漁と不漁で価格差が激しいため、必ずしも燃料代が大きな要因とは言えませんが、今の状況が続いた場合、コストが継続的に増えていきますから、その分だけ魚介類の価格も上昇が懸念されます。
■スマホやパソコン、テレビも無風ではない
ここまで食品など日常的に消費する製品について見てきましたが、もうすこし価格が高く、かつ購入頻度が低い商品はどうでしょうか。具体的にはスマホやパソコンなどのIT機器、テレビや冷蔵庫といった白物家電、自動車など各種工業製品です。
工業製品の多くは食品とは異なり、製造工程が長く、工場にも多額の設備投資が必要となります。そのため、原材料の比率は食品と比較すると低くなることが一般的です。
しかしながら、自動車などはまさに鉄の塊ですし、冷蔵庫や洗濯機にも大量の金属が使われています。テレビやパソコンの本体は金属に加え、石油由来であるプラスチック類が多用されていますから、原油価格の上昇や円安の影響を受けることになります。
これら工業製品の原材料比率は25〜30%が一般的です。工場などにおける人件費や広告宣伝費の比率も高めですから、ある程度までなら、原材料価格が上がっても、他のコスト削減で販売価格を抑制することができます。
しかし、ここまで原材料価格が上がってしまうと、各社のコスト削減努力にも限界がやってきます。ソニーや日立など電機メーカー各社は、2022年4月からの値上げを発表しており、ソニーは各製品について3〜31%価格を引き上げました。今後は多くのメーカーが値上げを進めていくと予想されています。
■右肩上がりのクルマ、一向に上がらない年収
自動車業界は典型的なグローバル産業であり、トヨタ自動車や日産自動車など自動車メーカーは世界各国で自動車の生産や販売を行っています。そうなると、コストや利益の計算も世界経済を基準にせざるを得ません。
図表2はトヨタ自動車の1台あたりの平均販売価格と日本人の平均年収の推移を示したものですが、自動車価格が一貫して上昇しているのに対して、年収は横ばい、あるいは下落していることがわかります。
■今後もクルマの値段は上がっていく
経済成長を実現していないのは日本だけで、海外の物価は上がるいっぽうですから、日本国内だけクルマを安く売るというわけにはいきません。そもそも自動車の販売価格は、全世界でほぼ同一となっていますから、国内の販売価格も世界経済に合わせて上がっていくことになります。このため、日本人にとって自動車は年々、高価な買物になっているのが現実です。
ちなみに、自動車の販売価格に占める原材料価格の比率は、家電などと同様に25〜30%程度と言われています。自動車には多くの資材が使われていますが、それ以上に自動車の製造には研究開発費など、多くの先行投資が必要となりますし、工場を建設するにも多額の費用がかかります。工場で組み立て作業を行う作業員の人件費も膨大です。
自動車のコストは原材料だけで決まるわけではありませんが、原油価格が高騰すれば主な材料である鉄鋼のコストも高くなりますし、タイヤに用いるゴム類や、内装として多用されているプラスチック類の価格も上昇します。
自動車の場合、単一の定価というものはなく、基本価格をベースに、購入者の好みに合わせてさまざまなオプションを付ける形で最終的な価格が決まります。したがって同一条件の価格というものがなかなか見えにくいのですが、多くの資材価格が上昇しているなか、自動車についても、今後は大幅な価格上昇があると考えたほうが自然でしょう。
次回は、政府や日銀が金利を上げない理由と、住宅ローン破綻者が多発する可能性について解説します。
----------
加谷 珪一(かや・けいいち)
経済評論家
1969年宮城県生まれ。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。その後独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行うほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。
----------
(経済評論家 加谷 珪一)