『波の数だけ抱きしめて』の日焼けした中山美穂

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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった映画やテレビの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。

「映画を通じてスキーやスキューバダイビングブームの発信源となったり、’90年代前半のフジテレビ深夜番組の黄金期を作り出すなど、若者の文化・ライフスタイルをけん引したことが、クリエーター集団であるホイチョイ・プロダクションズの最大の功績でしょう」

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。

ホイチョイ・プロダクションズは、成蹊学園で故・安倍晋三元首相の同級生だった、馬場康夫氏と松田充信氏との出会いから始まっている。

「ホイチョイの由来は、クレージーキャッツの楽曲で多く使われる『ホイ』や『チョイ』のフレーズにちなんでネーミングされたといわれています」

大学卒業後、日立製作所の宣伝部に勤めていた馬場氏は、’81年に『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で4コマ漫画『気まぐれコンセプト』を連載開始。“ギョーカイ”と呼ばれていたマスコミ業界の日常や裏側を描いた。

「主人公は、当時憧れの職業だった広告代理店勤務の30代男性ヒラ社員。仕事はそこそこに、“女子アナ”や“スチュワーデス”との合コンをセッティングすることに奔走します。数年後に訪れるバブル時代の象徴でもあった“浮ついたサラリーマンの生活”が描かれており、未来を予測するリサーチ力の高さに驚かされます」

■多くの若者を虜にしたバブル文化の発信源

’87年には、ホイチョイ・プロダクションズ原作の映画『私をスキーに連れてって』(’87年)で、スキーブームを巻き起こした。

「スキー場が出会いの場となり、白いスキーウエアや劇中のユーミンの曲が大ヒットしました。続く『彼女が水着にきがえたら』(’89年)では、スキューバダイビングのライセンスを取得する若者が激増。まさにバブル時代の文化を生み出していったのです」

’90年代に入ると、フジテレビの深夜番組で、次々に話題作を放つ。

「故・仲谷昇さんを“教授”に、日本のトレンドやサブカルチャーを歴史教育番組風に解説する『カノッサの屈辱』(’90〜’91年)、スポーツの結果や内閣支持率、ジュリアナ東京のボディコン着用率など未来を予想するクイズ番組『TVブックメーカー』(’91〜’92年)など、マーケティングをコンセプトにした番組は感度の高い若者を引きつけました。両作品には、『くまモン』をプロデュースした放送作家の小山薫堂氏も参加しています」

当時の若きクリエーターにも、大きな影響を与えた存在なのだ。

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍