ある男性は酒に溺れ警察に二度保護、出産直前の妻の怒りを買い「減酒治療」を始めました(写真:Ryu K/PIXTA)

2018年のWHO(世界保健機関)の報告によると、「アルコールの有害な使用による世界の死者数」は、約300万人(2016年)。これは糖尿病、結核、エイズによる死者数よりも多い数字で、世界中の全死者数の5.3%に当たります。飲酒は、日本でも深刻な問題です。2018年に厚生労働省が発表した推計によると、飲酒による日本の年間死亡者は約3万5000人にのぼります。

「止めたいけど仕事の付き合いもあるし、止められない……」「断酒はしたくない」という人もいると思います。そんな人のために、「もちろん、断酒がいちばんいい」と前置きしたうえで、アルコール依存症専門医の倉持穣医師が提案するのが「減酒」という方法です。本稿では、『今日から減酒! お酒を減らすと人生がみえてくる』より一部抜粋し再構成のうえ、妻が妊娠中にもかかわらず、酒に溺れ警察に保護された男性の話を紹介します。

前々回記事:『「毎日何となく」で飲む人はお酒の怖さを知らない
前回記事:『在宅勤務で「昼から飲酒」48歳男性の行き着いた先』

二度の警察保護

■徳田大輔さん(仮名・39歳)──[男性・営業(会社員)・妻と子ども1人(1歳)]

□大輔さんの飲酒history

20歳:飲酒を始める
大学のサークルで毎日のように飲み会が開かれる。体育会系だったため、吐くまで飲むことが当たり前の日々

23歳:就職してからもコンスタントに飲み会
就職後、部署を問わず飲み会が開催され、週に1〜2回は参加していた。1日で、ビールジョッキ15杯、もしくはワインボトル2〜3本の飲酒量。飲んでたびたび記憶をなくしていた

29歳:結婚

30歳〜:会社帰りの飲み会で、無茶な飲み方が続く
会社の飲み会では、相変わらず限界まで飲む生活。月に2〜3回、電車で寝過ごして終点まで行き、漫画喫茶などで夜を明かしたことも

32歳:初めて警察に保護され、妻が激怒
飲んで記憶をなくして帰れなくなり、深夜、警察に保護される。妻が車で迎えに来て事なきを得るが、妻は激怒

37歳:再び警察に保護され、妻に受診を促される
飲酒しながらゴルフのラウンド後、帰りの電車で、群馬県から栃木県まで寝過ごしてしまう。そのまま警察に保護されたことが、出産直前の妻の怒りを買うことに。妻がインターネットで探したさくらの木クリニック秋葉原を受診し、減酒を始める

「お酒で最も大きいトラブルは、警察のお世話になったことでしょうか。ちょうど子どもが生まれる直前の時期で、臨月の妻が警察へ迎えに来た姿を見たときは、情けなくて申し訳なくて……」と、大輔さんの表情が曇りました。

群馬県まで年末恒例のゴルフに出かけ、お酒を飲みながらラウンドし、荷物は友だちに預けたまま、手ぶらで東京行きの帰りの電車に乗り込んだ途端に意識を消失。気づいたときはなぜか栃木県だったと言います。

「そのまま警察に保護されました。迎えに来た妻は『もうすぐ子どもが生まれるのに、何やってるの? もう我慢の限界!』と激怒。『このクリニックで診てもらいなさい!』と指示されたのが、さくらの木クリニック秋葉原です。いきなりの断酒は無理なことが、妻にはわかっていたのでしょう。インターネット検索でヒットした『減酒治療』というワードがしっくりきたのではないかと思います。

しかしこのときはまだ、深刻にとらえていませんでした。これまでを振り返っても、ブラックアウトはあるけれど、物をなくすような実害がほとんどなかったからです。正直、『受診するほどじゃない』と思ったのですが、妻の怒りを鎮めるのに、ほかの選択肢はありませんでした」

意識がなくなるまで飲んだ大学時代。お酒に鍛えられた

このときはまだ、お酒の問題を重くとらえきれていなかった大輔さん。今まで、どのような飲み方をしてきたのでしょう。

「お酒を飲み始めたきっかけは、大学のサークルでの飲み会です。アウトドアと少林寺拳法の2つのサークルに所属していました。どちらも『大量に飲むことが正義』といった風潮がありました。ブラックアウトもしましたが、仲間とワイワイ過ごし、どこまで飲めるかスリルを楽しんだりして、まったく苦になりませんでした。この時期、お酒に対する耐性がそうとうできた気がします」

卒業後、入社した会社も部署問わず飲み会が週1〜2回は必ずあり、頻度は減ったものの、限界まで飲むペースは変わりませんでした。

「ビールジョッキ15杯くらいは軽くいきました。もしくはワイン2〜3本という日があったり、ウイスキーをストレートで一気飲みするなど、無茶な飲み方をしていましたね」

「お酒を飲むと心が解放される気分になるうえ、みんなの気持ちがハイになる飲み会の雰囲気が好きなんです」と大輔さんは話します。とはいえ、ひと晩でこれほど大量に飲んでいるため、お酒での失敗は数多く経験しています。

「電車で寝過ごして終点まで行き、漫画喫茶で一夜を明かすことが月2〜3回ありました。警察にお世話になったのは2回くらい。一度目は32歳のころ、深夜に道端で寝てしまい、警察に保護されて妻に迎えに来てもらいました。二度目は、冒頭で話した年末ゴルフのときです」

妻に促されてさくらの木クリニック秋葉原を受診したとき、大輔さんは医師にこう主張したそうです。

「僕は、お酒のことを四六時中考えているわけではないし、毎日飲みたいわけでもありません。お酒は、友だちとの楽しい食事をするための材料という位置づけですから、アルコール依存症ではないと思います」

それに対する医師の返答はこうでした。「アルコール依存症は、いつも飲んでいる人のことではないんです。飲むと止まらなくなる人のことを指すのです。『ブレーキの壊れた車』のようなものです。ですから習慣飲酒をしない依存症の人もいるのですよ」

大輔さんは、その言葉が胸にストンと落ちたと話します。

「それに加え、妻から減酒に関する本を2冊渡されて、『読んだ感想を報告しなさい』と言われたんです。壮絶なアルコール依存症の体験談を読みながら、行き着くところまで行くと、心と体の両方を壊すんだと怖くなって。当時37歳で、そろそろ健康にも不安が出てくる年齢だし、子どもも生まれるので、お酒をもう少しコントロールしたほうがいいのかなと、減酒に前向きに取り組むことに決めました」

1杯飲んだら水を1杯飲むルール

大輔さんは、次のようなマイルールで減酒を進めています。

・休肝日はとくに決めない
・1杯お酒を飲んだら、必ず水を1杯飲む
・2カ月に1回の通院をして、減酒アプリの結果を医師に報告する

「お酒と水を交互に飲むルールは、ユニークですよね。アルコール分が水で薄められるし、胃の容量がすぐいっぱいになるので、お酒をたくさん飲めなくなります。急速に酔わなくなる効果もあります。

また、便利だなと思ったのは減酒アプリです。自分が何杯飲んだかを数値で認識できるので、客観的に把握しやすい。飲み会のテーブルで減酒アプリに入力しているので、『飲みすぎだから、今日はやめておこうかな』とブレーキになります。最初は同僚には、『アプリで管理しているんだ』と話のネタのつもりで見せてたんです。でも、アプリに入力しながら飲んでいる僕の姿を見て、誰もしつこくすすめてこなくなりました」

そんな日々が続いたのち、コロナ禍で飲み会がすっかりなくなり、自宅にいることが多くなった大輔さん。この機会にワインを試してみようと思い立ったことが大きな転機となりました。ワインにすっかり魅了され、結果的に減酒につながったのです。

「ワインは口に含むタイミングや温度などによって、同じ1本でも味わいが変わるんです。食事と一緒に飲むときと、単体でいただくときとでも違います。鼻から抜ける香りも上品で、気持ちがやわらぐのも魅力。食事をしながら、ワインをチビチビ飲んではうっとり堪能しているので、食事時間は1〜2時間かかってしまうほどです。

よく考えたら、人生で飲める量は限られているでしょう。以前は、飲めるお酒なら何でもよかったんですが、今は、どうせ飲むなら、安いお酒よりもおいしいワインがいいと思うようになりました。飲み会に誘われてもビールと水を適当に飲んで1次会で帰り、家でワインを楽しんでいます。結果的に、以前と比べて飲酒量は半分以下になったと思います」

ワインの購入は、ソムリエが選んだワイン4本が毎月1万円で届く通販を利用しています。以前はワイン2〜3本を1日で軽く飲み切る大輔さんでしたが、現在は、ワイン1本を3〜4日かけて味わいながら飲んでいるそうです。

「僕にとって、ワインが減酒の支えになっています。ワインのおかげで、ほかの種類のお酒への興味がなくなったこともよかった。

子どもの存在も大きいですね。父親として、健康に気をつけなくてはいけません。大量飲酒していたころ、翌日は二日酔いで頭痛が続き、倦怠感もあってフルパワーで仕事をできずにいました。週末も、午前中までダラダラと寝ていたんです。でも減酒を始めてから早起きが苦にならなくなり、気持ちよく1日のスタートが切れます。それに、父親がその辺の道端で寝てちゃマズイでしょう(笑)。子どもに醜態は見せられないという気持ちで、減酒と向き合っています」

自分ひとりの意志で減酒はできなかった

さくらの木クリニック秋葉原も支えです。受診するたびに、「自分ひとりの意志の力は弱い」ことを認識させられたといいます。以前は、「がんばって飲まないようにしよう」と思っても、お酒が進むと気が大きくなったり楽しくなったりしてとことん飲んでいました。今、減酒ルールを決めて減酒アプリを利用し、成果を見せて医師にアドバイスをもらえる方法は、大輔さんにピッタリだったようです。


「自分ひとりでがんばるのはしんどいから、第三者に客観的にジャッジしてもらう機会が必要でした。受診したことは、とても有意義だったと感じています。先生だけでなく、受診を促し寄り添ってくれた妻にも感謝しています」

大輔さんは断酒を希望せず、このまま減酒を続けたいと強調します。大輔さんにとって、お酒はどのようなものなのでしょうか。

「うまく付き合えば、食事をおいしくしてくれたり、楽しい会話を引き出してくれたりするツールです。しかし一方で、飲みすぎると心や体へのダメージが大きいことも理解しています。気をつけて付き合わなければ諸刃の剣になります。体を壊すまで飲んだら、お酒は凶器です。そこを見極めて、いかにコントロールして飲むかが大切だと思っています。

正直、ビールや焼酎はもう飲みたくありません。ワインの奥深さを知り、ワインエキスパートの資格を取得して知識を深めたいと思っています。お酒のがぶ飲みは卒業して、丁寧にワインを味わいたい気持ちを大切に、減酒を続けていきたいです」

(倉持 穣 : さくらの木クリニック秋葉原・院長)