※この記事は2021年09月01日にBLOGOSで公開されたものです

コーヒーといえば、海外の産地から輸入されるものだというイメージが強いかもしれません。しかし実は、日本国内でもコーヒーの生産はおこなわれてきました。

一般的にコーヒーの実をつけるコーヒーノキは、その気候条件から、赤道より南北緯それぞれ25度の「コーヒーベルト」と呼ばれる地域が栽培に適しているとされています。国内での栽培も、沖縄県など北緯25度に近い地域が中心でした。

そんな中、コーヒーベルトからは遠く外れた北緯35度に位置する茨城県利根町で40年にわたりコーヒーを自家栽培してきたコーヒー店があります。店名は「珈琲とむとむ」。店主の小池康隆さんは77歳です。


小池さんに、なぜ自分でコーヒーを栽培しようと思ったのか、そしてどのように実現できたのか話を聞きました。

目指したコーヒーの味は「海外と遜色のないレベル」

焙煎前/小池康隆さん提供

――40年前から始められたということですが、最初から美味しいコーヒーはできたのでしょうか?

最初は正直不味かったです。これは私の勉強不足でしたが、収穫後に豆の周りを覆っている層を取り除く「精製」の作業が上手くいかず、最初の3年ほどは発酵臭の強い豆になってしまったんです。

また気候の難点もあります。花をつけてから収穫できるまで8カ月~1年ほどかかるのですが、日本では必ず暑すぎる夏や寒すぎる冬の時期を迎えてしまいます。そのため育ちが悪く、実が小さくなってしまうのです。

コーヒーは「実が大きければ美味しい」という単純な話ではありませんが、私のは育ちが悪くて小さい豆ですから当然味はよくないわけです。

――改善はできたのでしょうか?

適温の時期に集中して肥料を増やして一気に成長させるなど工夫してある程度はよくなりましたが、他の生産地に比べると豆は小さいです。

それでも申し上げた通り、大きさが全てではありませんので、栽培、精製と試行錯誤して、今では海外のスペシャルティコーヒー(※)と比べても遜色のないレベルになっています。

※生産地で品質管理が適正になされ、欠点豆の混入が少ない生豆

――日本産、あるいは茨城県産特有の味わいみたいなものはあるのでしょうか。

よく聞かれることですが、期待されるほどの個性はないかもしれません。

コーヒーの美味しさを決める最大の要素は豆自体の特性です。栽培でできるのは、その特性をどれだけ引き出してあげられるか。海外では栽培に適した環境でコーヒーをのびのびと育てて、よさを最大限に引き出しています。

条件が違うわけですから、私は「海外の高品質の豆と比べて遜色のないレベル」を目指してやってきました。そして、そこまでは到達できたと考えています。

きっかけはハワイで見た“真っ赤な”コーヒー農園の光景

――それでは実際のコーヒー栽培について教えてください。農園の規模はどのくらいですか?

1000万円ほどかけて環境を整えた広さ30坪、高さ6メートルの温室の中で、30本程度の木を栽培しています。

収穫できるコーヒーベリーは、年間に重さ50キロほど。乾燥させるなど処理をして、焙煎まですると約15キロのコーヒー豆になります。コーヒーにすると1000杯くらいです。

――喫茶店を1977年に開業して、翌年にはコーヒー栽培に着手されたとのことですが、自分で栽培してみようと思ったきっかけは何だったんですか?

サラリーマンを辞めてコーヒー屋を始めたので、一生続けたいという思いがあったんですね。それで栽培の土作りから知りたいという思いがありました。

そんなときにたまたまゴルフ旅行で行ったハワイで、コーヒーの有名なコナまで足を延ばしたんです。コーヒー屋だから一応…という気持ちでしたが、そこで一面に真っ赤な実が生っているコーヒー農園の美しく情熱的な光景を目にしました。

今はインターネットで調べれば出てきますが、当時の日本ではコーヒーの実や花なんて見たことのある人も少なかったものですから、この景色をお店のお客さんにも見せてあげたい、と。

――「お店のお客さんに見せたい」という動機だったから茨城県でやる以外の選択肢はなかったんですね。

そうですね。店の隣の敷地で始めました。

温度を管理する温室だけ整えて、あとはやりながら環境整備

――どのようなことから始めたんですか?

当時は国内でコーヒーノキなんてまだ大して流通していませんでしたから、入手することが最初の難関でした。

コーヒー大手のUCCの研究所や、つくばの熱帯農業研究センターから実を譲ってもらうなどして1年ほどかけてやっと30本分が揃いました。

――クリックひとつで何でも買える時代ではないですもんね。続いて、環境はどのように整えたんですか?

コーヒー栽培の環境としてポイントになるのは、気温、湿度、日照、水はけ、土壌、病虫害、風、塩害など様々です。

私はその中でもまず、温室を建てることから着手しました。温度を管理して、それから起こる問題はその都度解決していけばいいという考えでした。

――実際どのように温度管理したんですか?

温度は、コーヒー栽培に適する15℃以上に維持する必要があります。

10℃を下回ると木が成長しなくなって、5℃以下になると弱ってしまいます。2台のボイラーを温度センサーで稼働するように設定して、温度が下がりすぎないようにしました。

――冬場なんて15℃以上に維持しようとしたらフル稼働ですね。

次に問題になったのは、土壌でした。幸いpHは問題なかったのですが、困ったのは水はけです。コーヒーで有名なキリマンジャロ、ブルーマウンテンなどは山の名前ですが、多くのコーヒー生産地は土壌が火山灰土で傾斜のある山地なので非常に水はけがいいんです。

一方で私の農園は、もともと畑をやったり田んぼをやったりする「陸田」。これはぬかるみのようになる土質なので、水を吐いてくれませんでした。

――水はけにはまったく向かない土地だったんですね…。

様々試しましたが、結局地下に穴の空いたパイプを埋めて排水をおこなう「暗渠(あんきょ)」の工事をしました。畑や学校の校庭などで排水に使われる設備です。

栽培環境は大きく手を加えた部分もあれば、そのままでよかった部分もあります。ひとつひとつ、問題が起きるたびに修正しました。

直射日光を避けるシャドーツリーのバナナ。「植えたらグングン育ったので、バナナも
お客さんに出した」/小池康隆さん提供

2度経験した“全滅”

――環境が整ってからは毎年安定して収穫できているんですか?

大体安定していますが、実は2度採れなかった年があります。2回とも原因は凍傷です。

1度は天窓の閉め忘れ、2度目は灯油を入れ替えた際の操作ミスでボイラーが作動せず、冬の寒さにやられました。1回のミスでその年はまったく収穫できなくなってしまいます。

――収穫したコーヒーはどうされるんですか?

毎年10月1日の「コーヒーの日」に合わせて解禁して、お店で提供します。1杯1000円というとちょっと高く感じるかもしれませんが、1カ月経たないうちに完売します。

ちゃんと計算すると本当は1杯4000~5000円にしたいところです。でもこれは宣伝用の投資だと思っています。

ビジネスとしての国産コーヒー ネックは人件費

約30年前、やっとたわわに実ったコーヒー/小池康隆さん提供

――最近では広島県や和歌山県でもコーヒー生産が始まるなど国産コーヒーが盛り上がりそうですが、どうしても値段は高くついてしまいますよね。ビジネスとしての可能性はどうご覧になりますか?

現実に自分がやってきた感覚では、採算的に事業としては難しいだろうという気がします。

一つ目の課題は人件費。5年前にベトナムに視察へ行きましたが、そこでのコーヒー豆の収穫は時給40円でした。日本ではその20倍以上の人件費がコストとして跳ね返ってくるわけですから、普通に飲めるコーヒーの値段にはなりませんよね。

生産地を含む価格の構造がそれでいいのかというのはまた別の話ですが、現実として今はそうなっています。

――簡単には超えられない価格の壁があるんですね。

それから二つ目は、台風。国内でコーヒーの栽培が盛んな沖縄や奄美大島、小笠原諸島などでは被害が無視できません。

難しいとは思いますが、それらの地域では生産組合を作ってコーヒー栽培を本当によく進めていらっしゃって、頑張ってほしいという思いもあります。

「損して得とれ」の精神

――採算が合わないコーヒー栽培をなぜ続けてこられたんですか?

コーヒー栽培自体では利益はとれていませんが、「自家栽培」というのがネームバリューになって喫茶の売上につながっています。コーヒー農園は広告塔のようなものですね。

「店舗を増やすことはいつでもできる」と言い続けて農園に随分投資して、土台を築いてきたつもりでしたが、一所懸命やっているうちにこんな歳になってしまいました(笑)。もうそういう展開はできませんね。

――もっと多店舗展開したかった思いもありますか?

後悔はまったくありません。農園に挑戦したおかげでコーヒーを深く勉強できたし、コーヒー業界のお付き合いも広がりました。「損して得とれ」といいますか、結果的にコーヒーを追求することができました。

――最後に、コーヒー栽培のどんなところがお好きですか?

コーヒーの花が咲いたときです。1週間くらい見ごろがある桜と違って、コーヒーの場合見ごろは1日だけで、2日目にはしおれてきてしまうんです。

真っ白な小さな花がてってってってっと咲いて、レモンの皮をこすったような香りが広がる。生命力を感じるというか、派手さはないけどとても綺麗で、そのときにコーヒー栽培をしていてよかったと感じます。