※この記事は2021年08月20日にBLOGOSで公開されたものです

[ロンドン発]英南西部プリマスで8月12日、実習生ジェイク・デイヴィソン容疑者(22)が散弾銃で母親を殺害、そのあと自宅を飛び出し通りがかった父娘を射殺、さらに2人を殺害、2人を負傷させて自殺した。銃規制が厳しいイギリスで銃乱射事件が起きるのは11年ぶりだ。

デイヴィソン容疑者はユーチューブなどへの投稿で「私は童貞だ。社会的に孤立し、交際相手の女性を見つけるのに苦労している」と告白。性的経験がないのは女性やモテる男性に原因があると攻撃する非モテ男子のオンライン・サブカルチャー「インセル」に注目が集まった。

日本でも同月6日、東京・世田谷区を走行中の小田急線車内で男が刃物を振り回して乗客に切りつけ、10人にケガを負わせた。殺人未遂の疑いで逮捕された職業不詳の容疑者(36)は「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」と供述した。

「インセル」によるミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)無差別テロはネットを通じてアメリカから欧州、そして世界へと拡散している。

「ブラックピル」と「レッドピル」

英キングス・カレッジ・ロンドン大学過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)でミソジニーや「インセル」などオンライン・サブカルチャーを研究するフローレンス・キーン氏は連続ツイートで次のような見方を示す。

「容疑者のユーチューブ投稿のいくつかは禁欲主義への関心を示している。外見とお金に基づいて男性を選択する女性を悪魔化している。重要なことは彼が『ブラックピル(黒い錠剤)』に言及していることだ」

ブラックピルとは「インセル」コミュニティーで使われる用語で、遺伝学に基づき社会階層の最下部にいることは仕方がないと受け止める。米映画『マトリックス』で主人公が幻想世界にとどまるか(青い錠剤)、現実世界を見るか(赤い錠剤)の選択を迫られることに由来する。

一方、レッドピルはフェミニズム運動が女性に過度の力を与え、男性であることの特権が存在しない世界に目覚めることを意味する。これに対してブラックピルの信奉者は遺伝学による「性のヒエラルキー」が存在するという宿命論を受け入れているという。

ICSRはツイッターやFacebook、インスタグラム、ユーチューブなどSNSへの投稿を量と質の両面から分析し、イスラム過激派や極右によるテロ対策や脱過激化、ヘイトクライム(嫌悪犯罪)対策に役立てている。

デイヴィソン容疑者はオンラインフォーラムに多くの動画やテキストを投稿し、「インセル」に触れるだけでなく、ミソジニー的な見解をぶちまけていた。「インセル」は「インボランタリー・セリベイト(不本意な禁欲主義者)」を意味し、性的関係を望んでも得られない人を指す。

悪の「インセルのヒーロー」

2014年5月、エリオット・ロジャー容疑者(当時22歳)が米カリフォルニア州アイラビスタのカリフォルニア大学サンタバーバラ校近くで銃や刃物を使って6人を殺害、14人を負傷させたのち自殺。この事件でそれまで非暴力だった「インセル」コミュニティーは暴力を伴う危険な過激イデオロギーとみなされるようになる。

ロジャー容疑者は『ハンガー・ゲーム』などハリウッド映画製作者の息子で、自分が童貞であることの欲求不満や女性への嫌悪を隠さず、自分への愛とセックスを否定した社会への「復讐以外に選択肢はない」と141ページのマニフェスト(犯行声明)を残して凶行に及んでいた。

15年10月、米オレゴン州のアムクワ・コミュニティー・カレッジでクリストファー・ハーパー・マーサー容疑者(当時26歳)が准教授と8人の学生を射殺、8人を負傷させ自殺。「友だちも仕事も彼女もいない童貞だ」と公表。「インセル」に触れ、ロジャー容疑者を称賛していた。

18年4月、カナダのトロントでアレク・ミナシアン容疑者(28)の運転するバンが10人をはね殺害、16人を負傷させた。Facebookに「インセルの反乱はすでに始まっている。われわれはみな最高の男性であるエリオット・ロジャーを歓迎する!」と投稿していた。

同年11月、米フロリダ州のヨガ・スタジオでスコット・ベイエル容疑者(当時40歳)が女性2人を射殺、5人を負傷させたあと自殺。ユーチューブの動画でミソジニー的かつ人種差別的な言葉を吐き、自分は「インセル」と位置付け、ロジャー容疑者への共感を示していた。

ロジャー容疑者の影響はネットを通じて大西洋を越え広がった。17年、スコットランドのエジンバラ大学でガブリエル・フリエル容疑者が警官を刺し、強力なクロスボウとナタを用意していたとして今年1月、テロ対策法に基づいて10年の刑を宣告された。

フリエル容疑者は米コロンバイン高校の銃乱射事件に取り憑かれていることは認めたものの、妄想に過ぎず計画はしていないと否認。自分は「インセル」ではないと否定する一方で、ロジャー容疑者との「つながり」を感じたと屈折した心境を精神科医に吐露していた。

「性の市場は遺伝学によって完全に支配されている」

ICSRのキーン氏の解説は続く。「ブラックピル信奉者の世界では性の市場は遺伝学によって排他的に支配されている。男性は異性にとって魅力的であるかそうでないかのどちらかであり、いくら自己改善に取り組んでもこの宿命を変えることはできない」

「デイヴィソン容疑者は動画で、ブラックピルは『インセル』だけに当てはまるのではなく、多くの男性がセックスをせずに何カ月も何年も過ごしていると主張。彼は女性を『非常に気難しい』存在で『(筆者注:男を)選択するしか能がない』と表現している」

この言葉は女性が「性の市場」を支配しているという一般的な信念をデイヴィソン容疑者が持っていた可能性を示している。80:20の法則(パレートの法則)と呼ばれ、女性の80%が男性の中でも最も魅力的な20%とセックスすることを求めているという考え方だ。

「これは、しばしばハイパガミー(女性が自分の属する階級よりも高い社会的地位にある男性との結婚を指向すること)と呼ばれる。デイヴィソン容疑者が投稿した動画は『インセル』サブカルチャーの一部に共通する深い被害者意識とミソジニーの世界観を示している」

自動火器と陰謀論に強い関心

デイヴィソン容疑者のユーチューブを分析した結果、自動火器と陰謀論に強い関心を持っているように見えたという。警察はデイヴィソン容疑者が銃所有の免許を持っていることを明らかにしたものの、許可された銃が犯行に使用されたかどうかは確認しなかった。

動画でデイヴィソン容疑者はジムで自分自身の体を誇示している。これは「インセル」ウィキ(ボランティアの書き込みによるインターネット上の百科事典)で自らの外観を改善する試みとして説明される「ルックスマックシング」への潜在的な関心を示している。

「彼は自分の人生が変わることを期待してジムで定期的に運動していたと述べているが、そうはならなかったことを嘆き、潜在的なうつで、10代で愛を逃したことに失望していると述べている。自分自身について人間関係を築くことができない被害者とみなしていた」

幅広い「インセル」コミュニティーでロジャー容疑者は「聖エリオット」「最高紳士」と称賛され、ロジャー容疑者が20人を殺傷した日は「聖エリオット」と呼ばれるなど、聖人に祭り上げられた。

「インセル」によるとみられる攻撃が起きた場合、フォーラム参加者は実行犯を「ゴーイングER(エリオット・ロジャー)」と呼ぶ。今回の乱射事件でもいくつかの「インセル」フォーラムでデイヴィソン容疑者は「ゴーイングER」と呼ばれた。

「サブカルチャーの一部参加者は暴力が実行に移されるのを楽しみたいと望んでいる。デイヴィソン容疑者はミソジニー的な見解を持っていた。レトリックの多くは『インセル』サブカルチャーの影響を強く受けていたことがうかがえる」とキーン氏は分析した。

ミソジニー主義者の歪んだ中核的信念

オランダのシンクタンク「テロ対策国際センター(ICCT)」のサイトに寄稿されたアレックス・ディブランコ氏の論考によると、男性至上主義者コミュニティー内におけるテロ攻撃の動機は主に2つのミソジニー主義者の歪んだ中核的信念から生じているという。

(1)男性は女性に性的にアクセスする権利があり、セックスを拒否されたことに対する報復として大規模な暴力は正当化される。
(2)フェミニストは男性を貶めて社会を支配する悪意ある力だ。ユダヤ人エリートが世界を支配しているという反ユダヤ主義陰謀論に似た考えだ。

ディブランコ氏によると、2011年にノルウェーで77人を殺害した極右アンネシュ・ベーリング・ブレイビク受刑者(42)のように、反フェミニズムの陰謀論は極右イデオロギーと組み合わされている。

ブレイビク受刑者は「文化的マルクス主義」「政治的正しさ」を、欧州の伝統と文化を破壊する脅威とみなし、「フェミニズムは支配的な要素」と位置付けていた。

2019年、米連邦捜査局(FBI)は、米映画『ジョーカー』が「インセル過激主義」に関連する暴力の恐れについて警告を発した。この映画は「インセル・トレーニング・マニュアル」というレッテルが貼られ、大量殺戮者の過激主義への共感を描写していると批判された。

「性の市場」にもたらされた格差

08年の世界金融危機によって世界中で大量の「負け組男子」が生み出され、「性の市場」でも格差が拡大された。その性的なフラストレーションが白人至上主義や外国人排斥、男性至上主義、反フェミニズム、ミソジニーにつながり、極右やテロの温床になっている恐れがある。

女性に不自由しない男性「チャド(インセルの用語)」や魅力的な女性「ステイシー(同)」に嫌悪や憎悪、怒りがサイバー空間で無制限に増幅されている。

「インセルのヒーロー」となったロジャー容疑者はこう記している。

「私が一生否定され続けている間に他の人がセックスを体験できるというのは公平ではないと結論付けた。性的に活発なすべての人を罰したいという願望によってすべてが刺激された」

「私は殺傷力のある武器で武装し、すべての女性と彼女らが魅了されている男性との戦いを繰り広げる」「第1段階は、私が苦しんでいる間に楽しいセックスライフを過ごしたすべての男性に対する復讐だ。第2段階は女性との戦争だ。セックスを奪う罪ですべての女性を罰する」

日本では人間の尊厳を踏みにじる差別発言が相次いでいる。政治や世相の右傾化、人権や人間教育の後退もあるが、背景に格差拡大による性の歪みがあるように思えてならない。