浅草の商店街に区が立ち退き要求 不法占拠を見逃す時代は終わった - 毒蝮三太夫
※この記事は2021年06月29日にBLOGOSで公開されたものです
浅草での立ち退き問題が話題になってるな。俺はガキの時分に浅草竜泉寺で育ったから、浅草は地元だし、今となっては台東区から「たいとう観光大使」を任命されてたり、前に「浅草芸能大賞奨励賞」なんてのも頂いてるよ。
伝法院通りの商店街 「公道の不法占拠」だとし立ち退き要求
そうそう、浅草公会堂の前に色んなスターの手形が嵌め込まれているの見たことある? あの中に俺の手形もあるんだよ。どうせ地元のガキが人の見てないところで「誰だこいつ」なんて踏んづけたりしてんだろ、ロクなもんじゃないよ(笑)。でも、浅草の問題は身近に気になるね。ちょっと改めてどうなってるの?
編集部)これは要約しますと、一部の商店街が公道の不法占拠であるということで台東区から立ち退きを求められてまして、商店街側、台東区側、それぞれに平行線の状態になっていると。該当するのが浅草寺の境内に隣接している「伝法院通り」の一角です。
ああ、あのあたりな。公会堂の裏側のほうだ。仲見世が早いうちから観光客を意識して整っていったのに比べて、伝法院通りなんか昔は露店が軒を並べて、良くも悪くも浅草の素顔みたいな感じだった。今は店構えも統一してズラーッと並んでるけどね。
編集部)立ち退きを求められているのが、仲見世通りの西側にある32店舗です。事の次第を追っていきますと、この場所で終戦直後から色んな露天商が簡易のバラック小屋を建てて、ずっと商売をしてきたと。それから1970年代に浅草公会堂の建設があり、周辺地域の区画整理が行われ、台東区との交渉で露天商たちはいったん立ち退くのを条件に、当時の内山区長から公会堂完成後に同場所での店舗建設が認められたと。
内山さんか、知ってるよ。お亡くなりになったけど、生前に何度か会ったことあるよ。今は新しい区長になって、内山さんの時代から状況が変わったってことだろ。
編集部)そうですね、この区画に対して台東区側の見直しがあり、内山区長時代に建築を許可したということですが、その許可を記録した公文書や図面などの書類も残っておらず、結局、今の状態は公道の不法占拠であるということで、2014年から区による説明会などが行われているそうです。で、今年になって改めて台東区が商店側に立ち退きを求め、商店側は営業継続の為に署名活動を始めたと。
その経緯を聞く限り、公会堂建設で立ち退きが必要だったから、内山区長が事を進める為に口約束をしたってことだよな。その時に交わした約束が公的なものではなく、ツケが後の時代に残されたってことか。
商店街側「浅草の発展を支え所得税など納めてきた」
編集部)商店側が集う「浅草伝法院通り商栄会」の会長によると、「この場所は(当時の)区長さんが恩恵で用意していただいて、建物(建設費)自体は我々が個人的に出しました」「商店街の一員として浅草の発展を支え、個人事業主としても所得税などを納めてきた。店がなくなれば生活の糧を失ってしまう」と。また、他の店主たちによると、場所の使用に関して区の許可はとれているという解釈で、とくに土地代・賃料などは支払ってないそうです。
つまり、戦後も内山さんの判断のあとも、長きにわたってグレー状態のままその地べたで商いをしていたわけだ。内山さんも戦後からの既得権益を認める形で、新たな建物の建設を認めた・・・というか、自治体としてのジャッジを避けて見て見ぬフリをした。台東区が公式に土地を提供したわけでもないし、貸し出したわけでもない。だから公文書もない。土地の使用料も徴収しようがない。なんだか起きてることはアサクサでドサクサだ(苦笑)。
俺はどっちの肩を持つわけじゃないけど、もう終戦直後ではないし、内山区長のやり方をこのままにしておく時代でもない。内山区長はボタンを掛け違えたんだ。それによって台東区のお役人も「あれは仕方ない」「手を突っ込めない」というふうに先送りするしかなかった。その心情もわかる。内山さんの顔もあったわけだからね。
でももう、内山さんも亡くなって、当時の判断を墓場まで持っていく話でもないよ。日本は法治国家なんだから、法を守って普通に商売をしている人たちから見て、「あれは不公平だよな」なんて思われることを野放しにしちゃならない。
俺は「正直者がバカを見る」社会にならないでほしいと常々思っている人間だ。だから、今までは今まで、これからはこれからで、話を進めるべきだと思う。
終戦直後から通算したら75年以上、公道で商売が出来た。それはここらで一区切りして、20年後30年後の浅草を考えていかなくちゃ。多くの市民が納得する着地に向かっていくべきだよ。台東区と商店側で現実的な話が進むことを望むよ。
庭園が美しい伝法院 浅草で見たい”水のある風景”
伝法院通りには伝法院があるんだけど、そこに庭園があってさ、これが本当にすばらしい庭園なんだよ。知ってた? あれは東京を代表するような名勝だよ。普段は閉じてて一般公開してないんだよな。俺は以前、伝法院でテレビドラマのロケをしたことがあってじっくり見たことがあるけど、池をぐるっと回る形の作りで本当にすばらしいんだ。
なになに、例年3月~5月の時期に期間限定で公開があるけど、公開するしないは年によって未定・・・。いやあ、ぜひ一般公開してほしい場所だよね。なになに、中世期に小堀遠州が作って、江戸時代には徳川将軍が使う御膳所で大名でもめったに見られなかった・・・、うんうん、そうだろうね。浅草ってにぎにぎしい観光地になってるけど、伝法院の庭園を見たらこんな静かで美しい風景があるんだなって思うよ。
伝法院の池もすばらしいけど、俺がこれからの浅草にあったらいいなって思うのが水のある風景だね。俺がガキの頃は「瓢箪池(ひょうたんいけ)」があって、場所は今の場外馬券売り場があるあたり。この瓢箪池が昭和26年に埋められちゃったんだ。元々は歓楽街に人を集めようって田んぼを掘って池にしたんだけど、戦後の土地整備で埋めたんだな。
池があると景色の風通しがいいけど、建物ばかりになると景色が遮られちゃう。瓢箪池がなくなった時、浅草はもうダメだなって子どもながらに思ったっけ。
浅草にまた水のある風景を見てみたいね。考えるとさ、池のある風景って贅沢なんだよな。そこを埋めて更地にしてビルを建てて・・・って、経済としてはそのほうが優先するんだろうけど、浅草には長い目で歴史を感じる街にもっともっとなってほしい。
コロナで店じまいの話も聞くけどさ、昔ながらの老舗には何とか乗り切ってほしいね。「アロマ」って古い喫茶店があってさ、カウンターだけの小さな店なの。コーヒーとかトーストとか手頃で美味いんだよ。漫才のあした順子さんがよく行ってたな。なになに、昭和39年創業か、いい老舗だね。
そういう今ある老舗だって昔は若い店主が新しい店を構えたってことだろ。だから、今から何十年も先の未来の浅草に残るような、いいお店を若い人が出せるようにするのも、大事なことなんだろうね。
浅草のこと好きだからさ、未来に向けて、いい街づくりをしてほしいな。
(取材構成:松田健次)