「差別が見えていなかった」ジョージ・フロイド氏の死で日本人に届いた黒人市民の声 事件から1年 - 小林恭子
※この記事は2021年05月25日にBLOGOSで公開されたものです
米ミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官による拘束が原因で死亡した事件から、5月25日でちょうど1年。この事件をきっかけに、アメリカはもとより世界中で人種差別と警察暴力に反対する「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)=BLM」と呼ばれる抗議活動が広がった。
筆者が住むイギリスでも、新型コロナウイルス感染の影響でロックダウン体制が敷かれるなか、各地で多くの人がマスク姿で抗議デモに参加。黒人市民をはじめとした様々な人々が声をあげ、人々の生活や文化に大きな影響を与えた。
フロイドさんの死から1年でどんな変化があったのかを伝えたい。
差別が「見えていなかった」筆者に届いた黒人市民の声
事件以前に、もし筆者が「イギリスに人種差別はあるの?」と聞かれたら、「差別意識を持つ人はどこの社会にでもいるものだが、有色人種だからと言って特別視されることは現代のイギリスにおける日常生活ではほとんどない」と答えただろう。
というのも、長年ロンドン近辺に住んでいると、インド系、パキスタン系、アフリカ系有色人種の市民を至る所で見かける。イギリスで生まれた人もいて、十分に融合が進んでいるように思えたからだ。
しかし、それは、単に「見えていなかった」だけだったとフロイドさんの死亡事件を機に気づかされた。
これは筆者だけの感触ではない。フロイドさんの事件やBLM運動に関するイギリスメディアの記事やポッドキャストを見聞きすると、情報発信者が白人市民の場合、「人種差別があるということを意識していなかった」と語る人が少なくなかった。
事件直後には、ナイジェリア人の母親を持つレニ・エッドロッジさんが、白人市民が持つ黒人への無意識の差別感情について綴ったノンフィクション『なぜ私は人種について白人と話すのを止めたか(Why I'm No Longer Talking to White People About Race)』がベストセラーになった。差別を受けてきた側の気持ちを知ろうという変化が起きはじめていた。
「あそこに自分がいる」 フロイドさんの死亡事件をめぐり友人が流した涙
フロイドさん事件の数日後、筆者の友人で音楽教師のアミーナさんが、フェイスブック・ストリーミングで動画を流していた。タイトルは「私は疲れている」もしくは「飽き飽きした」とも取れる「I'm tired」。
ロンドン生まれでフィリピン人の母親とケニア人の父親を持ち、いつも笑顔を絶やさない彼女が投稿したこの動画は、BLM運動のなかで筆者に最も衝撃を与えた告白となった。
クリックしてみると、音が出ない。
ワンピース姿のアミーナさんはカメラに目をやり、じっとこちらを見ているだけだ。胸のあたりが上下するので、呼吸をしていることは分かる。「疲れている」というメッセージを伝えるための一種のアートなのだろうか?
10分ほどの沈黙の後、「ジョージ・フロイドさんについて話したいんだけどね」と彼女は口を開いたが、少し間が開いて、「あの…」と言ったきり、次の言葉が出ない。泣き顔になって、一旦、ストリーミングは停止された。
しばらくして、再開されたストリーミングで彼女は泣きはらした顔で語った。
「どうして気にかけているのかって? それはね、フロイドさんの首に白人警官の膝がずっと置かれていた時、もう見ているのが苦しくて苦しくて。どう表現したらいいか分からないけど、あれは自分だ、って思えたの。あそこに自分がいる、ってね」。
白人市民や私のようなアジア系住民がフロイドさんの動画を見る時、痛みや息苦しさを感じるものの、「あそこに自分がいる」とは必ずしも思わない。しかし、アミーナさんは自分ごととして痛みを体験していたのだ。
奴隷商人の銅像がデモで破壊 「歴史を消す行為」との声も
アミーナさんのように、フロイドさん死亡事件をきっかけに、差別的言動にさらされ続けてきた日常を黒人市民たちが表明するようになった。
例えば、英ファッション雑誌「ヴォーグ」の黒人編集長は編集室がある建物に入ろうとしたところ、配送スタッフに間違われたという。法廷弁護士として働く黒人男性や女性は「被告の一人と思われる」のが日常茶飯事だという声もあがった。
黒人市民の現在の生きづらさを知り、改善しようというイギリスのBLM運動は、黒人市民のルーツをたどり、奴隷貿易や植民地支配を行った歴史への批判につながっていった。
象徴的なのは昨年6月7日、BLMデモが発生していたイギリス南西部の港町ブリストルで、起きた事件だ。17世紀の奴隷商人エドワード・コルストン(1636-1721年)の銅像がデモ参加者によって倒され、ブリストル湾に投げ込まれたのである。その様子はソーシャルメディアで共有された。
コルストンは1680年、アフリカ西部の奴隷貿易市場を独占していた王立アフリカ会社(RAC)に入り、巨万の富を築いた人物だ。後に、慈善家として学校や病院を支援したコルストンの名前は、奴隷貿易の拠点の1つだったブリストルの通りや建物、記念碑に多く残っている。
銅像や記念碑をなくす動きを「歴史を消す行為」と考える人もいる。しかし、ロンドンを含む複数の自治体では、奴隷貿易や植民地支配に関連した銅像・記念碑、通りの名称などを見直す作業が始まっている。
黒人を描くドラマやドキュメンタリーが次々と制作
文化の面でも変化は起きた。
フロイドさん事件以降、イギリスのテレビは黒人市民の現状や奴隷貿易の過去を伝える番組を制作・放送し続けている。
BBCは昨年、黒人監督スティーヴ・マックイーンが英国に住む黒人市民を描いた長編ドラマ「スモール・アクス(「小さな斧)」を公開した。マックイーン監督は奴隷として売られた黒人男性の実話を映像化した『それでも夜は明ける』(2013年)で第86回アカデミー賞3部門に輝いたことなどで知られる。
また、かつての奴隷貿易の歴史をたどる番組や、「自分は何人なのか」とアイデンティティに悩む若者たちの告白、現在も続く差別の現状を語るドキュメンタリー番組など、この1年で様々な番組が制作・放送された。
キャスティング面では、ドラマでの黒人俳優の出演が目立つようになってきた。
視聴者の意識の変化に伴い、「黒人」や「女性」など、「白人男性」以外の人々をしっかりと描かなければ「現代を反映している作品」だと認められなくなったのだ。
優先されてこなかったテレビ制作での多様性 映画界にも変化が
これまでにも、有色人種の俳優らは「テレビ制作にもっと多様性を」と訴えてきた。だが、その実現は遠かった。多様性の確保は「政治的に正しい」という認識はあるものの、「是が非でも実現する」優先事項に至るまでにはなっていなかったのだ。
しかし、今や、「黒人や女性が重要な役に配置されないと、おかしい」という見方が一般化してきた。
例えば英国アカデミー賞(BAFTA)である。昨年、ノミネート作品や受賞者のほとんどが白人であったことから大きな批判が起こったことから、多様性を反映する構成になるよう新たな会員を募り、投票ルールも同様の方針で大きく変更した。
結果として、今年は4つの俳優部門すべてにおいて候補者6人のなかで4人が非白人、監督賞候補も6人のうち4人が女性になった。「黒人に関する歴史教育が不十分」 変化するイギリスが抱く課題
こういった変化のなかで、詩人のジョージ・ザ・ポエット氏は「黒人の歴史と大英帝国についての教育が不十分だ」とイギリスの課題を指摘する(昨年6月、BBCの番組)。
直近の国勢調査(2011年)によると、イギリスに住む「黒人(Black)」市民は約190万人で、総人口の約3%にあたる。多くがアフリカ大陸あるいは西インド諸島出身者の子孫で、イングランド地方に住む。
国内には何世紀も昔から黒人市民の姿はあったが、イギリスは1940年代後半、第2次世界大戦後の労働力不足を補うため、当時英領だったジャマイカなどの西インド諸島から多くの人々を移住させた。
西インド諸島に黒人住民がいたのは、元をたどれば17-18世紀に欧州諸国が展開した「大西洋貿易」による。イギリスの場合は、ロンドン、リバプール、ブリストルから工業製品を積んだ船をアフリカ大陸に運び、現地住民を奴隷としてアメリカや西インド諸島に連れて行った。帰路ではこうした人々が労働力となって生産されたたばこ、綿花、砂糖などを積んで戻った。
イギリスが奴隷貿易廃止法案を可決した1807年までに、イギリスは300万人を超えるアフリカ住民を奴隷として移動させたという(英国国立公文書館調べ)。
ジョージ・ザ・ポエット氏はこうした歴史に関する教育が不十分であることが、「国内の人種差別や、人種差別に関する対話に影響を及ぼしている」と指摘している。
差別されている人の痛みを共有する。歴史を知る。多様性を広げる。同じ社会を共に作り上げる構成員同士として何をするべきかを考えるための認識が深まった、1年だったと言えよう。