放送事故級のエンディングを迎えたアカデミー賞 作品賞『ノマドランド』は非政治的? - 辰巳JUNK
※この記事は2021年05月01日にBLOGOSで公開されたものです
「放送事故」的エンディングを筆頭にサプライズも起きた第93回アカデミー賞。
アメリカ政治混乱を反映するいわゆる「オスカー」的な作品よりも、コロナ禍の疲弊を癒やしていくような非政治的な性善説、さらには日本に住む者にも重くのしかかる「高齢」問題といった側面が目立つ受賞ラインナップとなったかもしれない。刺激的なストリーミング配信作もまじえて、今回のウィナーを見てみよう。
政治性のなさと普遍的な性善説:作品賞・監督賞・主演女優賞『ノマドランド』
「人之初 性本善(生まれた時、人は善なる存在である)」。監督賞受賞スピーチにてクロエ・ジャオ監督が引用した『三字経』の一節だ。
中国に生まれて英国へ留学し、のちにアメリカへ移住した彼女は「世界中どこでも、出会った人々の善き部分を見つけてきた」旨を説いた。作品賞と主演女優賞をふくむ3部門に輝いた彼女の『ノマドランド』も、そうした性善説をまとっている。
世界金融危機によって増加した車上生活を送る高齢ノマドを描く「放浪」ものでもある本作は、伝統的アメリカ映画の美徳も携える一方、近年の「オスカー作品」らしからぬ側面も際立つ。
今日的な政治性が薄いどころか、意図的にそれらの要素が排除されているのだ。たとえば、年齢がネックとなって定職に就けない主人公が冬季限定で働くAmazon配送センターの場面でも、近年批判が増している同社の労働問題に切り込む気配はない。
トランプ政権時代の映画だからこそ「非政治化」に努めたというジャオ監督は、このように語っている。「私がフォーカスしたかったものは、人間の経験、そして、愛する人の喪失や故郷探しといった、政治的主張を超えた普遍的なものです」。
夫を失った主人公が車上生活でさまざまな人々と出会っては離れる本作は「人のいとなみ」が詩的につらなるような趣で、個々人を人間讃歌で包むような美しさがある。
アメリカ西部の自然を雄大に映すエモーショナルな画面もあいまって「瞑想的」とすら評された『ノマドランド』。ある意味、政治混乱とパンデミック危機に見舞われ、多くの人々が疲弊させられた年度と呼応するような「政治性のなさ」と「普遍的な性善説」の映画だったのかもしれない。
放送事故級のサプライズ:主演男優賞・脚色賞『ファーザー』アンソニー・ホプキンス
今回最大のサプライズは主演男優賞だ。
前哨戦アワードの成績より、2020年に逝去した『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンの受賞が「鉄板」とされていたカテゴリであったため、授賞式中継番組は「大トリ」を作品賞ではなく主演部門に回す構成になっていた。
つまり番組側が「英雄的存在の追悼」フィナーレを計画したわけだが、結果はなんと、二番手候補とされた『ファーザー』アンソニー・ホプキンスのサプライズ受賞。
Zoom式のオンライン参加を拒否されたホプキンスは欠席していたため、会場が静寂に包まれるなか放送が終了する異様な結末となった(のちに放送局ABCの幹部が「故意のリスクテイクだった」と認めている)。
この「放送事故」的騒動で着目すべきひとつは、多くの映画ファンが番組側の構成を批判し、ホプキンスに関してはその受賞価値を認めていることだろう。『羊たちの沈黙』、『日の名残り』等の名演で知られる80代の名優は、『ファーザー』にて妻に先立たれた認知症の男性を演じている。
その凄まじさは、西田敏行いわく「神の領域」。観客は、彼の演技を通して記憶が蝕まれる恐怖と不安、怒りを追体験していくことになるため、サスペンスのような没入感も与えられるという。予想を破って脚色賞にも輝いた同作の日本公開は5月14日に予定されている。
ブラピに痛烈な一言を食わせた大人気トリックスター:助演女優賞『ミナリ』ユン・ヨジョン
助演女優賞は、アメリカの韓国系移民一家を描く『ミナリ』に出演した韓国の大俳優ユン・ヨジョンが受賞。
作品賞、主演部門と並んでベテラン勢が目立つ主要部門となったわけだが、とりわけ、今回のアワードシーズンでヨジョンは人気を博していた。韓国人として様々な記録を打ち立てながら英米の前哨戦を席巻していた彼女だが、貫禄あるトリックスター的なユーモアで映画界をわかせつづけたのだ。
英国アカデミー賞では「お高くとまっていることで知られる英国の人々に良い役者と認められてとりわけ嬉しいです」とスピーチ。
英国での体感をもとにした表現だったようで、同国を代表する映画監督エドガー・ライトから「たった一言でアワードシーズンを完勝してみせた」と讃えられるほどの話題をかっさらった。
アカデミー賞でもヨジョン節は健在で、プレゼンターを務めた『ミナリ』製作総指揮ブラッド・ピットに対して「ようやくお会いできましたが、私たちが(『ミナリ』舞台の)タルサで撮影していたころ、どこにいらっしゃったのでしょう?」と一言。
ハリウッドにおいて「名ばかりのプロデューサー」は珍しくないとされるが、現地のスーパースター相手にいっぱい食わせる大俳優のジャブだったというわけだ。
「英米の権威をものともしないユーモラスな偉人」然としたアティテュードで海外ファンを増やしたヨジョンだが、『ミナリ』においても、チャーミングなトリックスター的役割を担っている。
「(一家で過ごす時間が多くなった)コロナ禍に観るべき作品」と絶賛された家族劇『ミナリ』だが、移民一家の苦難や衝突も描きながらも牧歌的な評判を保ったことは、やはりヨジョン演じる祖母と幼い孫の交流、その「癒やし要素」が大きいだろう。もちろん、授賞式スピーチからしてわかるように、劇中でも「癒やし」だけでは終わらせない凄みが披露されるわけだが。
聴力を失う様を感じる新境地の映画体験:編集・音響賞『サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-』
パンデミック危機により劇場映画の公開延期がつづいた第93回アカデミー賞において、ひとつの注目点はストリーミングサービス製作作品の躍進だった。
結論から言えば、業界大手Netflixによる『マ・レイニーのブラックボトム』、『シカゴ7裁判』が有望視された主要部門を逃したため、オスカー会員と劇場文化の強い絆、そしてNetflix忌避を感じさせる布陣と見ることができる。
しかし、激しい競争に耐え抜いたストリーミング受賞作には、画期的な映画が多い。たとえば、編集賞と音響賞をW受賞したAmazon Studios『サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-』。
突然聴力を失うリスクに晒されたミュージシャンを描くドラマだが、物凄いのは、ハイクオリティな音響を通して、視聴者が主人公と同じ聴覚の変容を味わえることだ。どんどん音が聴こえなくなる追体験はリアリスティックで、ホラーですらある。日本では劇場公開されずAmazon Prime配信となってしまったが、良いヘッドホンやイヤホンで視聴すれば、新境地の映画体験となるだろう。
Netflixが描いたBlack Lives Matter×ループもの:短編実写映画賞『隔たる世界の2人』
Netflixも、タコと人間の友情をダイナミックに映す長編ドキュメンタリー映画賞受賞作『オクトパスの神秘: 海の賢者は語る』、喪失を抱える夫婦に何が起こったのか明かされていく短編アニメーション賞受賞作『愛してるって言っておくね』など、チャレンジングな作品が並ぶ。
短編実写映画賞に輝いた『隔たる世界の2人』も、バイラルヒットによって本命候補『The Letter Room』を打ち破った注目作である。
これは、日本アニメにも定着している「ループもの」、つまり同じ時間を何度も繰り返すことになるSF作品だが、かくも「今日の現実社会」を感じさせる内容なのだ。
劇中、女性と一夜を過ごしたのち家に帰ろうとする主人公の黒人青年は、白人警官に何度も殺されてしまうタイムループにとらわれる。
その生命の落とし方にはバリエーションがあり、たとえば、警官に組み伏せられて「息ができない」とつぶやき訴えて息絶える、誤認によって無関係の女性のアパートに突入した警官たちが銃弾を浴びせていく……。勘の良い読者ならもうおわかりだろう。これらは、エリック・ガーナー氏、ジョージ・フロイド氏、ブリオナ・テイラー氏ら実際の黒人被害者たちをリファレンスするBlack Lives Matter志向の「ループもの」なのだ。
流行りのSFジャンルに「現実世界でループする(終わりの見えない)凄惨な事件」を組み込んで強烈なステートメントを食らわせる本作は、30分の短尺で、アメリカ映画的な「人情ドラマ」を欲する視聴者の期待すらも打ち砕く。
日本で今後公開予定の作品も
日本では一部地域の映画館の営業制限、それに伴う公開延期も見込まれる緊急事態宣言下での開催となった第93回アカデミー賞シーズンだが、ストリーミング配信を筆頭にしたオンラインにも個性的なオスカー作品が揃っている。
ブラックパンサー党をドラマティックに描き助演男優賞と歌曲賞を獲得した『Judas and the Black Messiah』も夏にレンタルリリース予定だ。また、前述『ファーザー』につづき、スリラーやコメディがないまぜとなった脚本賞受賞フェミニズム・リベンジ映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』は7月に劇場公開予定。刺激的かつ情熱的な作品を観ながら、映画館に舞い戻る英気を養おう。