※この記事は2010年03月23日にBLOGOSで公開されたものです

 3月19日の衆議院外務委員会において密約問題に関する参考人招致が行われた。参考人として意見を述べた元外務省条約局長の東郷和彦氏(現京都産業大学客員教授)が、密約文書が破棄された可能性について証言し、激震が走った。東郷氏は、条約局長在任中、1960年の日米安全保障条約改定時の核搭載艦船寄港をめぐる密約に関する文書など58点を箱形の赤いファイル5つに整理し、文書リスト、意見書とともに、後任の谷内正太郎氏に引き継いだ。この58点中、16点に東郷氏は「最重要文書」として二重丸をつけていた。しかし、この「最重要文書」のうち、3月9日に外務省が公開した関連文書に見いだせないものがある。外務委員会の参考人招致で、東郷氏は、「外務省の内情をよく知る人から(2001年4月の)情報公開法の施行前に破棄されたと聞いた」と証言した。

 外交の世界で、時の政権を担う政治家と外交官が国益のために真実の全てを国民に対して明らかにすることができない場合がある。密約はその一例だ。その場合も、なぜ密約を結んだかについて、記録を残し、将来、国民が真実を検証できるようにしておくことが、外交官としての最低限の良心だ。それにもかかわらず、外務官僚が自己保身のために密約に関する文書を破棄したとすれば、国民に対する犯罪であるとともに歴史に対する冒涜だ。

 この東郷証言を受け、すべての新聞がこの問題を大きく報じている。そのほとんどが、事態の本質を衝いた内容だ。しかし、1件だけ、頓珍漢な社説がある。3月20日付東京新聞朝刊に掲載された「密約文書破棄 国民と歴史への背任だ」と題する社説だ。この社説の末尾で、次のように記されている。

<ただ、参考人質疑を聞いて、気になったことがある。鈴木氏が東郷氏に対し、文書を破棄したのは谷内氏ではないかとして、執拗に質問していたことである。
 谷内氏は次官当時、部下に鈴木氏との会食を制限する文書(引用者註*いわゆる「鈴木宗男対応マニュアル」のこと)を作成して鈴木氏が反発したり、北方領土の返還方法をめぐり見解が食い違うなど、両氏は反目してきた。
 谷内氏の参考人招致は破棄問題解明に不可欠だが、意趣返しであってはならない。密約検証は大局的見地から取り組むべきで、個人感情を挟む余地はないのである。>(3月20日東京新聞社説)

 筆者も国会テレビで参考人招致の様子をリアルタイムで見ていた。鈴木氏が、東郷氏に対して、誰が文書を破棄したかということに関する情報を質すのは国民の知る権利を担保するために不可欠だ。鈴木氏の姿勢が「執拗」というふうには見えなかった。東京新聞以外のメディアでは、「執拗」という認識に基づく鈴木批判はない。これは、受け止めの問題なので、筆者と東京新聞の認識に差があっても仕方ない。

 しかし、東京新聞は以下の二点において、間違っている。

 第一は、東郷氏と谷内氏の関係についての事実認識だ。社説は、<谷内氏は次官当時、部下に鈴木氏との会食を制限する文書を作成して鈴木氏が反発したり、北方領土の返還方法をめぐり見解が食い違うなど、両氏は反目してきた。>とする。これは、事実と異なる。鈴木氏自身は、谷内氏についてこう述べている。
<「鈴木宗男対応マニュアル」が出た後、谷内正太郎事務次官から、私の親しいある有力政治家を通じてメッセージが届いた。それは、
「一部の人間の判断でしたことに対して、先生が不愉快な思いをされているのではないかと心配しております」
 という内容だった。このメッセージから今の外務省内部の様子をうかがい知ることができる。

 私のところに外務省内部から入ってきた複数の情報を総合すると、このマニュアルは高橋礼一郎官房総務課長が塩尻孝二郎官房長に相談して作ったものだが、谷内次官はこれに関わっていなかったようだ。おそらく、官房長と官房総務課長が、出来上がったものを持っていったのだろう。

 官房長から事前に相談されたならば、谷内次官は「止めておけ」とストップさせていたはずだ。しかし、役所では一度出来上がったものを「止めろ」などといったらたいへんなことになる。事務次官といえども止めることはできない。これが官僚の掟なのだ。

 いま外務省では、裏技を使って生き残っていこうとする官僚と「普通」の外務省に立て直そうとする官僚の間で綱引きが行われているようだ。いい換えれば、国民の目線に経って特権に安住することを廃そうとする感覚の人たちと、あくまで特権にしがみつき甘い汁をすすり続けたいと思う人たちの戦いだ。

 「普通」の外務省というのは、足の引っ張り合いや怪文書が横行する組織ではないということだ。

 高橋総務課長が「寝業師」であるのは疑いない。谷内次官は「普通」の官僚なのであろう。塩尻官房長はその中間で動揺しているようだ。>(鈴木宗男『闇権力の執行人』講談社+α文庫、2007年、92~94頁)

 鈴木氏の谷内氏に対する評価は高い。それは以下の記述からも明らかだ。

<もっとも希望はある。谷内正太郎事務次官を筆頭にした「普通の外務官僚」たちが、川口元外相(引用者註*川口順子現参議院議員)-竹内前事務次官(引用者註*竹内行夫現最高裁判所裁判官)時代の「負の遺産」を除去するために懸命に努力しているからだ。外からは見えにくいが、現在外務省内ではたいへんな綱引きが行われている。>(前掲書401頁)

 鈴木氏の谷内氏に対する評価は今も変わっていない。「意趣返し」とか「個人的感情」というのは、この頓珍漢な社説を書いた東京新聞論説委員の頭の中で作られた観念だ。そうでないというならば、この論説委員は、鈴木氏が述べていることを実証的に反証した上で、自らの見解を述べるべきだ。ちなみに谷内氏は鈴木氏に対してどういう評価をしているか。

<北方領土問題をめぐっては、鈴木宗男衆議院議員が「外務省を支配している」といった批判もあったが、私は鈴木氏を異能の政治家だと思っている。多くの国会議員が外交に興味を持たなかった中で、鈴木氏は外交に一生懸命に取り組んだ。その中でもとくに米国ではなくて、ロシアやアフリカといった、ほとんどの政治家が取り組まなかった問題で努力をされた。ただ、中央政界という厳しい世界の中で駆け上がっていくには、いろいろ無理をしなければいけないところもあって、さまざまな批判も出たのではないかと思う。しかし、鈴木氏の考え方と能力が、ときの政治状況と合致すれば大きな力になったと思う。

 鈴木氏と私自身の関係について言えば、基本的に良好な関係だった。鈴木氏の主張が「二島返還論ではないか」と批判されたときも、私は鈴木氏と会食した際、率直に「まさか二島返還で手を打とうということではないですよね」と聞いた。鈴木氏は「私はそんなことは言っていない。要するに四島の日本への帰属を明確にしたうえで、二島を先に返してもらうということだ」と答えられた。それで、私が「それなら『段階的返還論』と言わないと誤解を招きますよ」と申し上げた。私の意見が取り入れられたのかどうか分からないが、鈴木氏はその後は「段階的返還論」という言葉を使われるようになった。>(谷内正太郎/高橋昌行[聞き書き]『外交の戦略と志 前外務事務次官 谷内正太郎は語る』産経新聞出版、2009年、92~93頁)

 鈴木氏と谷内氏の関係が悪いという前提の社説を東京新聞が掲載した真意がわからない。結果として、この社説は、衆議院外務委員会が行っている密約問題に関する真相究明を「私怨にもとづくもの」と矮小化することで、外務官僚を手助けする機能を果たしている。

 筆者がこの社説を問題と考える第二の理由は、マスメディアの性格をめぐるより根源的観点からだ。仮に「意趣返し」や「私怨」が動機であっても、それによって真実が明らかになることをマスメディアは歓迎すべきではないか?

 断片的情報や歪曲された見解を矯正し、大局的見地から、真実を報道するのが新聞の仕事ではないか。そのために編集権がある。

 社説が無署名であるのは、社論を示すものだからだ。この社説から判断する限り、東京新聞は、動機によってニュースを評価する新聞社ということになる。それでいいのだろうか?(2010年3月21日脱稿)

プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・元外交官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
近著に「はじめての宗教論 右巻~見えない世界の逆襲 (生活人新書) (生活人新書 308)」、「日本国家の真髄」など。