【赤木智弘の眼光紙背】忘れ去られる事件たち - 赤木智弘
※この記事は2010年01月28日にBLOGOSで公開されたものです
みなさんは、大阪府羽曳野市で発生した、猟銃発砲事件を覚えているだろうか。大阪市職員の男性(49)が、離婚調停中であった妻の母親(66)と、居酒屋の店員(23)と大家(49)を立て続けに猟銃で殺害し、自殺した事件である。(*1)
発生直後は注目されたが、最近はニュースを見ればどこも小沢献金問題ばかりで、その他のニュースは添え物扱いの現状。そうした中で、こうしたニュースはすぐに忘れ去られていく。
事件としては3人を殺して自らも自殺、すなわち4人もの人間を殺害した凶悪事件である。
まず、制度の問題として、2007年12月に長崎県佐世保市で発生した、スポーツクラブでの散弾銃乱射事件を機に厳格化されたはずの猟銃所持許可の規定が、今回の件ではあまり効果的に働かなかった事が問題として挙げられる。特に妻が「夫の暴力に悩んでいた」「何かあったら撃たれる」などと親族に漏らしていたらしいこともあり、こうした事が猟銃所持の抑止につながらなかったことについて、しっかりと考える必要があるだろう。
さらに、根源的な問題として、夫婦という状態を必要以上に翼賛し、一人親や単身者を卑下する傾向の大きい日本では、「結婚」という制度自体が人間の自尊心と強く結ばれてしまっている。最近は熟年離婚などがめずらしくなくなり、離婚に対する障壁が薄れているとはいえ、それでも離婚が双方の自尊心を大きく傷つける人生の大問題であることに変わりはない。だからこそ、感情はこじれ、その解消にとてつもない労力を費やさざるを得ない。
今回の事件についても、男にしてみれば、妻に離婚され男の沽券を失うよりも、周りの人間を殺して自らも自殺をする無理心中の方が、自尊心を傷つけることが無いと判断したのだろう。
だが、私はこうして犯人の心理を想像しながら、同時にそのことによってこの殺人の事情を汲んで、納得してしまうことに、違和感を感じてしまう。
「男は無理心中をしようとして、殺人を犯したのだ」そう理解した途端に、私の中でこの殺人は了承されてしまう。4人の人命が失われたこの事件が、小沢献金問題を機に報じられなくなり、忘れ去られてしまうのも、世間の人の大半が、私と同じようにこの事件の背景を理解し、了承したからなのだろう。
こうした事件が了承され、忘れ去られる一方で、無差別殺人などの事件の背景が解りにくい事件は、いつまでもメディアで取り上げられ、幾度となく犯人の顔や名前、そしてその残忍な犯行が報じられる。
了承され忘れ去られる事件と、了承されず思い返される事件。同じ死者の出た陰惨な事件にも関わらず、ことの重大さがまったく違うように感じられてしまう。
もちろん「全ての死者を平等に悼むべきだ」などという理想論を言う気はない。しかし、私たちが殺人事件を見る時に、今回の事件のように、殺意の向う範囲がハッキリとした事件を、自分とは関係のないこととして見聞きする。その一方で無差別殺人のような「私にも殺意が向くかも知れない」事件に対しては、どうしても強い関心を寄せてしまう。それは人間的な防衛反応なのだろう。
そうした感情は事件の重大さを錯覚させる。そして、防犯の方法を見誤らせたり、犯罪の意味を変質させてしまったり、被害者を貶める可能性すらある。私たちはそのことにもっと自覚的であるべきではないかと、私は思う。
*1:日ごろから迷彩色の服、妻にDVも 羽曳野猟銃殺人(ZAKZAK)http://news.livedoor.com/article/detail/4546349/
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。