※この記事は2009年12月31日にBLOGOSで公開されたものです

 2009年も様々なことがあったが、やはりこの一年で象徴的なのは政権交代だろう。
 自民党を中心とした連立政権から、民主党を中心とした連立政権に交代し、戦後長らく続いた自民党支配からはっきりと転換した。
 だが、私が疑問だったのは、果たして国民が何を考えて政権交代を望んだのか。という点である。それは決して民主党政権に望むことではなく、何を望んで政権交代という選択をしたのかということである。
 今回は2009年の締めくくりとして、いくつかのキーとなる出来事から、この点を考えてみたい。

 まずは、民主党政権の目玉政策と言われた、子ども手当。
 一見、国民に優しそうなこの政策は、それと引換に扶養・配偶者控除の廃止を要求している。
 そうしたことから、子ども手当対象の子供を持たない家庭では、大幅な増税になるとして反発する人たちがいる。また、所得制限などを設けるべきだという話もでていた。
 しかし、私は扶養・配偶者控除の廃止は必然だと考えている。特に配偶者控除は「103万円の壁」のために、パートタイマーの要である主婦から、賃金アップへのインセンティブを奪い、結果としてパートタイム労働の待遇を低く押しとどめてきた。その結果、パートタイマーの労働価値は正しく均衡せず、現在の格差問題の原因の1つとなった。
 また、扶養・配偶者控除のいずれも、大黒柱である「お父さん」からの控除であり、主たる稼ぎ主であるお父さんと、補助労働者たるパートタイマーであるお母さん、そして子供という、画一的な家族形態にとってのみ都合のいい制度であり、片親家庭や一人暮らし世帯に対して不平等である。
 中には「扶養・配偶者控除は家族の解体だ!」として反発している人もいる。なるほど、扶養・配偶者控除の存在は「家族を養う立派な夫と、家計のために働く立派な主婦」という家族形態を推奨モデルとするために維持されてきたともいえよう。

 次に、民主党政権発足直後に話題となった八ッ場ダムの問題。
 ダムが必要か不要かが話題になったが、私が気になったのは、住民たちが要求する「生活再建計画の代替案」である。
 元になる生活再建計画は1985年に合意した計画であり、常識で考えればそのような右肩上がりの経済成長期に建てられた計画が、2009年の今になっても達成できるとは、とても考えることができない。
 彼らが1980年代の再建計画を言質に相応の代替案を国に要求するのであれば、私たちのような団塊ジュニア世代も1980年代にあたり前だった待遇を得る権利があるはずだ。
 しかし、それでも団塊ジュニア世代の多くがそんな要求をしないのは、結局は現状に合わせた、しかし必要十分なささやかな要求を積み重ねて行くことだけが、今の社会での正しい要求のあり方であることを理解しているからだ。
 それと比べれば、1980年代の再建計画相応の代替案を国に要求するのは、極めて不躾で無責任な大声だけの要求である。いくら昔にそれを約束したからといって、今の現状を無視することなど、できないはずである。

 最後に民主党の問題ではないが、JALOBへの企業年金の問題を取り上げたい。
 JALに対する公的支援の声まであがり、大幅なコスト削減を余儀なくされ、現役労働者や下請け会社への支払がカットされる中、JALのOBたちは約束通りの企業年金を支払えと言う。
 確かに、既に労働市場から撤退し、新たな収入手段を得にくいOBたちの年金がカットされるということは、彼らの生活にとって、大きな不安となるだろう。
 しかし、OBの企業年金をカットできないのでは、現役労働者たちの労働は、既に働いていないOBの年金を拠出するためだけに存在するかのように思えてしまう。そんな状況下で現役世代は労働のためのモチベーションを保つことは可能であろうか?
 確かに確定給付企業年金という約束は大切ではある。しかし、その約束を守るために、現役社員や下請け会社、そして今後入社するはずの学生たちの未来が閉ざされるのであれば、そのような約束を守ることは果たして妥当だろうか?

 こうした問題を並べた中で、私が「国民は何を望んでいるのか」ということを考えた時に、その核となるのは
「過去の約束」だろう。過去に当たり前であった、核家族を前提とした家族形態や、過去に提示された生活再建計画の遵守、そして年利4.5%という高利回りの確定給付企業年金。多くの人たちがこうした過去にかわした約束や暗黙の合意の遵守を求めている。2009年において、日本人のほとんどは、これまでの自らの生活、家族で揃って生活し、自分の仕事が安定し、老いては安心して年金がもらえる。そんな社会が再び達成されることを望んでいるのだろう。
 しかし、そのことが日本社会に大きなダメージを与えている。既に既存の労働者の生活を守るために、一部の団塊ジュニア世代の未来は閉ざされた。だが、多くの人々はそのことに気付いていないし、気づいたとしても他人事として何ら良心の呵責も感じていない。
 社会の大きな変化が生じたにも関わらず、多くの人は変化を望まない。けれどもその変化は誰かが受け入れなければならない。だからこそ、日本人はそれを立場の弱い人間にすべて押し付けた。過去の人間が自らの幸福のために、未来の人間を食いつぶした。
 過去のために未来が食いつぶされる。私は、これほどまでに社会にとって醜悪なことはないと考えている。

 多くの人たちは、民主党政権に対して、「失われた過去」を取り戻すことを求めているのだろう。
 しかし、過去を取り戻すことは不可能だ。私たちはいつでも現在を見つめて生きていく他はない。
 そうした現実から目を背け、景気が良くなれば全てが良くなる。政権交代すれば全てが良くなる。一生懸命働けば全てが良くなる。twitterなどでみんなが繋がれば全てが良くなる。そのような、子供じみた思い込みを来年こそ捨てて、2010年こそは日本人全てが現状に目を向け、過去に酔いしれるのではなく、現在を少しずつ、より良い方向に変えていく。そうした意識を持つようになることを、私は望んでいる。

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。