【赤木智弘の眼光紙背】子育てだって立派な労働である - 赤木智弘
※この記事は2009年12月17日にBLOGOSで公開されたものです
生活保護を受給している母子家庭の母親の7割が体調不良を訴えており、通院理由の3割が「うつ病やその他心の病気」を抱えていることが、厚生労働省の調査でわかったという。(*1)生活保護を受給している母子家庭という、貧しく、かつ子育てに忙しい世帯の親が、精神を病むことは、極めて当たり前のことである。
同じような境遇の人間が周囲にたくさんいればまだしも、周囲が幸福そうにしている中で、自分ひとりだけが苦労を抱え込んでいると実感すれば精神が蝕まれる。さらに生活保護に対する世間の偏見や本人の負い目を感じる心が追い打ちをかける。
貧困が精神を蝕むというのは、誰でも同じである。ホームレス支援をしている人に話などを聞くと、ほとんどのホームレスは精神疾患を抱えているのだという。
戦争に行った兵士が精神疾患を患いがちなことは知られているが、貨幣経済で成り立つ社会において、十分なお金を持たないことは、戦争状態と同じような生命の危機といえよう。そうした生命の危機に長時間晒されて精神に異常をきたさないとすれば、それは人間ではなくロボットかなにかだろう。
ただ、一国の政治だけではなかなか解決できない戦争と違い、お金の問題は、国がちゃんとした再配分を行うことで、明確に解決できる問題である。
安心して生活できる環境を国民に提供することは、国の義務であるのだから、ちゃんと対応しなければならないのだ。
ところが、貧しい人達に対する再配分を「バラマキ」「甘やかし」と考え、「生活できるお金をばらまけば、彼らはこれまで以上に働かなくなる」などと非難する人たちがいる。
しかし、少なくとも今回の対象である「生活保護を受給している母子家庭の母親」たちは、「子供を育てる」という労働を行っている。少子化が問題になっている今の時代に、子育てというものを労働として認めない理由はどこにもない。彼女たちに「働いていない」などという批判はあたらない。
今の日本が年金制度をベースとした社会保障制度を採用している以上、子供が育つ環境を整備することは、国の重要な役割である。母子家庭という形でその一端を担う母親が精神を患う状況というのは、国の体として、やはり明確におかしいのである。
これまで日本では、会社などで賃金を得るために働く「賃労働」ばかりを労働とみなし、「働かざるもの食うべからず」とばかりに、賃労働に就かない人間を見下してきた。「子育ては母親の義務だから、労働ではない」そのような考え方がはびこっている。
しかし、子供を育てるなどの、社会的な活動も「労働」として考えることができれば、母子家庭の人たちに対する、ちゃんとした再分配は当然であると考えられるようになるだろう。複雑な社会においては、多くの「賃労働にはそぐわないけれど、社会には必要な行為」というものがあるのである。
しかし、そのうちでも最も社会に深く根づいており、重大だと思われる子育てを行う人ですら、社会にとっては生活を保証される労働者であるとみなされず、非難を受ける。
こうした現状が、曲りなりにも「先進国」と呼ばれる国の、あるべき姿ではないはずだと、私は考えている。
*1:生活保護の母子世帯、母の7割が体調不良(読売新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091211-00001382-yom-soci
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。