※この記事は2009年12月03日にBLOGOSで公開されたものです

 経済産業省は、子供のライター使用による火災などを防ぐために、ライターを消費生活用製品安全法の特定製品とするための検討をはじめたという。(*1)
 報道を見聞きするに、欧米ではライターから安易に火がでないように工夫されており、日本でも今後は、そうした技術的な工夫を加え安全性を高めた製品にPSマークを認定していくということらしい。
 私としては「子供の」という文言が気になるものの、ライターという火がでる物自体の安全性を高めることは必要だろうから、こうした動きに賛同する。
 ところがどうもおかしいのは、こうした問題が「子供のライター使用」という一点で論じられてしまっているために、ネット上ではこれを「親の教育の問題だろう」とする意見が多くを占めてしまっていることだ。中には「タバコがあるから悪いのだ」などという極論まで見受けられる。

 ライターの危険性は、決して子供だけのものではない。
 たとえ大人であっても、車のシートの隙間に落ちたライターが気付かぬ間に点火し、車火災に繋がるような例もある。この手の、放置されたライターから出火する類の火災を防ぐためにも、点火機構を複雑化して、火がつきにくくすることは、万人にとって重要な安全対策である。
 こうしたことを、単純に「教育の問題」として処理をすることは、安全対策を誤った結論に導くことがある。
 今回は「点火機構の複雑化」という、万人にとっての安全性を高める、うまい着地点に落ち着きそうだ。しかし、これがもし「ライター自体の問題ではなく、最近の子供への教育がなってないから問題なのだ」という、ネットでいわれるような結論に至ってしまえば、「子供への安全リテラシー教育のために、外郭団体を作り啓蒙を行う」などという、無駄で的外れの結論に至るであろうことは想像に難くない。

 確かに子供というのは、どういう行動をとるか分からないので、子供を中心に安全性を考えることは重要である。だが、その場合に問題とされるべきは、子供ならではの突発的な行動を基準にした問題、例えばベビーカーに乗っている子供がどのように動いても手指を挟まないような安全性が中心に論じられるべきであり、教育などといった子供自身の道徳心が問題の核心であると考えられるべきではない。
 「教育さえすれば、子供はおかしな行動をしないものだ」と考えることは、精神論と同じである。精神論の大半は、問題の核心を放置してしまうために、更なる被害拡大を引き起こしかねない。
 物理的な工夫を行うことで安全性が確保できるのであれば、まずはそうした工夫を徹底する。その上で利用のために必要な危険性は、利用者の注意を喚起する。正しい安全性の確保は、この順番である方が望ましい。
 物理的、機構的な安全は、教育によって代替できるものではないということを正しく理解し、教育や精神論だけに寄るのではない政策を支援することが、結局は多くの人たちの安全安心を確保することに繋がるのである。

*1:ライター安全対策を強化へ=子ども使用の火災防げ-経産省(時事通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091127-00000205-jij-soci

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。