※この記事は2009年09月24日にBLOGOSで公開されたものです

今週のネタを探そうと、ネットでめぼしいニュースを探していると、「「疑似児童ポルノ」を全国初摘発 頒布容疑で写真家らを逮捕」というヘッドラインが目に飛び込んできた。(*1)
私はこの文字列を見て、最初に「未成年の子供が極小の水着を着て、性的な行為を想像させるようなポーズをとる、あの類の作品を売り出している連中が逮捕された」という顛末を想像した。
ところが、そうした想像とは全く違い、この事件には一切「未成年者」は関係していなかった。ニュースをよく読めば、30歳の女性を撮影した作品に、性器が写っていたとされることが逮捕の理由であり、あくまでも「わいせつ図画頒布の疑い」なのである。
にもかかわらず、このヘッドラインではまるで「疑似児童ポルノを頒布した容疑で、写真家らが逮捕された」というように読めてしまう。今回は産経新聞の記事を挙げたが、他の新聞社や通信社の記事でも、必ず「疑似児童ポルノ」という文字列が使われ、それによって逮捕されたかのような記述になってしまっている。
警察発表そのままであろう「疑似児童ポルノ」なる文字列をヘッドラインに入れ込みたいあまりに、ニュースそのものが間違って伝わってしまうようでは本末転倒である。新聞社はマスメディアとして最低限の仕事ぐらいはしなければならないだろう。猛省を促したい。

今回の「疑似児童ポルノ」なるものは、まだ刑法上での規制対象にはなっていないが、過激な反児童ポルノ団体の中には、こうした児童の関わらないポルノ的な表現をも規制せよと主張する団体がある。彼らは、様々な解釈の存在する「児童ポルノ」という文字をさらにねじ曲げ、「準児童ポルノ」や「子どもポルノ」(以下「疑似児童ポルノ」という言葉でまとめる)という、彼らが独自に定義した紛らわしい言葉を勝手に用い、それらの表現を規制せよと叫ぶ。
今回のような未成年っぽく見える30代女性のヌードも、彼らにとっては疑似児童ポルノに該当してしまう。
この国では、18歳以上の女性の裸を撮影して発表することも、18歳以上の女性が自らの裸を撮影させることも、それで生計を立てる認められている(*2)。こうした作品を疑似児童ポルノとして定義し、表現を規制することは、童顔女性の権利を奪うことにもなってしまう。それが本当に実在児童のためになることなのだろうか?

そもそも児童ポルノという問題が「実在児童からの性的搾取」に対する懸念から発生していることを考えれば、実在児童の存在しない疑似児童ポルノを、児童ポルノの問題であるかのように扱うのは、子供の権利という問題から逸脱した拡大解釈であると言えよう。
彼らがそうした拡大解釈を闇雲に行う理由は明白ではないが、私は「自らの道徳感情の社会的認知」、すなわち「自分が正しいと思うことを、社会も正しいと思うこと」を目指しているのではないかと考えている。
いわば彼らは、自らの道徳感情を流布したいという組織的な欲望のために、児童ポルノという子供の人権に関わる問題を都合良く利用している。そう私は考えている。
彼らの恣意的な疑似児童ポルノ定義によって、実在児童の児童ポルノ問題の認識に混乱が起こってしまえば、当然その解決も遅れてしまう。それは間接的に「実在児童からの搾取」を助けてしまっているのである。
だからこそ、このような恣意的な疑似児童ポルノ定義を行うような団体、そして今回のような記事を垂れ流しにするマスメディアは批判されなければならないのである。
児童ポルノの問題は、児童を性的に扱う表現そのものではなく、実在児童が性的に扱われることによって、その権利が侵されることであることを、努々忘れてはならない。

*1:「疑似児童ポルノ」を全国初摘発 頒布容疑で写真家らを逮捕(産経新聞)http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090917/crm0909171156007-n1.htm
*2:もちろん、性器を晒したものを頒布することは認められていない。


プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。