「本当に弁護士になりたいのか」またも司法試験不合格だった小室圭さんには愛想が尽きた
■「夢の仕事」と考えていた美術館勤務
小室眞子さんが小室圭さんから「2度目の試験も不合格」だったと知らされたのは、4月13日(アメリカ時間)だった。
ニューヨーク州司法試験委員会から通知があり、一般公開は翌日の14日(同)だった。
だが、“悲報”を聞いても、眞子さんは眉一つ動かさなかったのではないか。なぜなら、彼女にとって、この事態は想定内のことだったからだ。
昨年10月、3年2カ月ぶりに帰国した小室圭さんから、7月の司法試験の感触を聞いた(発表されたのは10月29日)ときも、眞子さんは冷静だったと思う。
彼の不合格が公表されることで、自分たちへの批判がさらに強まることを憂慮したのだろう、10月26日にあわただしく入籍と記者会見を開き、その後沈黙した。
そして突然、11月14日に、逃げるようにニューヨークへ渡ってしまった。
ニューヨークに着いてからは、新居への引っ越しや買い物、小室圭さんの仕事があり、彼が2月に受ける2度目の司法試験の準備ができていないことを、側にいる眞子さんは見ていたはずである。
「このままでは生活が成り立っていかない」
意を決した眞子さんは、自分も働いて家計を助けると決意し、就職活動を始めた。
就職先は、彼女が子供の頃から「夢の仕事」と考えていた美術館勤務だった。
■働けるなら給与は「タダでもいい」
「国際基督教大で明治時代の神話画を主題にした卒論を執筆。英レスター大大学院では博物館学の修士号を取得した。
『結婚までは東京大学総合研究博物館の特任研究員として、週に三回、展示施設『インターメディアテク』で勤務しました。ここは眞子さんが自ら探してきてエントリーシートを送った職場でした』
眞子さんは就職にあたって、こんな意向を伝えたという。
『(給与は)タダでもいい』」(『週刊文春』4/21日号)
実際にはタダというわけにはいかず、月10万円程度の報酬が支払われていたというのだが、眞子さんの強い思いが伝わってくるエピソードである。
ニューヨークならメトロポリタン美術館(以下MET)。そう思い定めたのではないか。
それが、英紙「デイリー・メール」が報じた、クリスマスのキャロライン・ケネディ元駐日大使邸訪問だったと思われる。
ケネディ氏はMETで働いていたこともあり、強いつながりがある。
だが、METの学芸員になるには、博士号を取得していなくてはいけないのだが、彼女にはない。アルバイト程度では、家計の足しにはならない。
そこで眞子さんは、ある人物を頼ったようである。
■「日本美術部門のトップ」が眞子さんを支援?
先週書いたように、METのウエブサイトに2月3日、突如、〈Mako Komuro〉という名前が登場したのである。METが所蔵している山田真心の絵画『「發心 出家』一遍聖絵の場面より』の解説文を書いている。
この日以降、ニューヨークの日本人会でも、「眞子さんがMETで仕事を始めた」と噂になり、日本の週刊誌も挙って報じた。
だが、日本からの問い合わせにMET側は、「Mako Komuroという人間はスタッフにはいない」と否定している。
この謎を、週刊文春は解き明かしてくれている。
眞子さんの解説文に「翻案」というクレジットで名を連ねているのがジョン・T・カーペンター氏である。
カーペンター氏とはどんな人物なのか。週刊文春によれば、
「METのキュレーター(管理責任者)で、日本美術部門のトップです。ワシントン大学やロンドン大学の教授として日本の美術史を教えていましたが、一一年にMETのキュレーターに転身。日本部門への来場者数を三倍に増やした実績がある“豪腕”です」(美術誌編集者)
■METとつながるための後ろ盾のような存在
彼は、皇室とも強い接点があった。三笠宮彬子さんは、英オックスフォード大で日本美術を学んでいたが、この時カーペンター氏のセミナーにも参加していたという。
「当初はアメリカ人の先生にくずし字を習うことに違和感があったのだけれど、読めないこちらが恥ずかしくなるくらいにジョンはくずし字がよく読める」(彬子さんの著書『赤と青のガウン』PHP研究所)
彼は、METに展示するために、旧皇族が所有する美術品などを購入することも多いそうだ。当時の皇太子(現天皇)がMETを訪れた際に出迎えたこともあった。
さらに2017年9月に行われた「国際陶磁器フェスティバル美濃」の審査員を務めているが、このとき名誉総裁を務めていたのが眞子さんだったのである。
眞子さんと小室圭さんが揃(そろ)って記者会見した2日後、カーペンター氏は自分のフェイスブックに、会見の模様を伝える新聞の写真を投稿し、小室圭さんが会見で述べた、「私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を、愛する人と共に過ごしたいと思っています」という“愛の言葉”を英語で引用していたそうだ。
週刊文春は1月末に電話でカーペンター氏を直撃していた。眞子さんはMETに就職したのかと聞くと、
「(就職内定は)事実ではない。なぜ彼女を放っておいてあげないんだ!」
といったという。
眞子さんにとってMETとつながるための強い後ろ盾のような存在なのだろう。METの関係者はこう話す。
■また「皇族利用」と批判されかねない
「眞子さんがMETで働いているのは間違いない。ただし正規職員ではなく、一般の雇用契約を介さない形で働いている。カーペンター氏のアシスタントとして、業務委託のような契約になっているのでは」
週刊文春によれば、眞子さんの就職の調整は、在NY総領事館も交えて行われたという。先の関係者もこう語る。
「いまはフルタイムではない契約ですが、眞子さんが将来的に、常勤の正規職員を目指す可能性は大いにあります」
皇室総がかりで、眞子さんの生活の面倒を見るという構図になっているようだ。
そこに秋篠宮家の“ご意向”があるのかどうかは分からない。秋篠宮は、
「眞子さんは博士号も持っておらず、世界中から優秀な人材が集まるMETで、いきなり正規職員として働けるほどのキャリアは無い。だからこそ、もし眞子さんが正規職員として採用されたら、国民から『元皇族という立場を利用して就職した』と見られかねない。秋篠宮さまは、そう危ぶまれているのです」(秋篠宮に近い人物)
気持ちは分かるが、眞子さんがなにをやっても、そういわれることは間違いないのだから、ここは黙って見ていたほうがいいと思う。
父親の思いはどうあれ、眞子さんにとって、生活ができなければ、帰国しなければならなくなる。その瀬戸際にまで追い込まれているのだ。使えるツテはすべて使って、何としてでもニューヨークで生きていってみせる。そんな“覚悟”を決めたのではないか。
■「5点足りず」と表現した小室圭さんの弱さ
さて、そんな切羽詰まった心境に眞子さんを追い込んだ“元凶”である夫はというと、彼女に比べると何とも心もとないのである。
米国留学などを支援してきた奥野善彦弁護士に小室さんから電話連絡があり、「残念ながら落ちました。合格点に5点足りずとても無念です」「次は7月に挑戦します。しっかりと頑張ります」(NHK 4月15日)と伝えたというのだ。
この「5点足りず」というところに、彼の弱さが表れていると、私は思う。
1点でも合格点に達していなければ不合格なのだ。未練たらしく、「もう一息だったんですよ。運が悪かっただけなんだ」といわんばかりではないか。「潔さ」というものがこの人間にはやや欠けるようだ。
それに何度でも試験を受けられるからといって、7月まで仕事はどうするのだろう。続けながら受験勉強もし、眞子さんと新婚生活も楽しむというのでは、甘いというしかない。
私の知り合いの弁護士の中にも、司法試験に合格するまで、妻に食べさせてもらっていた、ヒモ状態だったというのが何人もいる。
小室圭さんは、次も落ちたら、もう一度大学へ入りなおすなどといい出すのではないか。
■そもそもなぜ弁護士になりたいのだろう
そもそも、小室圭さんがなぜ弁護士を目指したのか、彼はその仕事に向いているのだろうかという、根本的な疑問が私にはある。
彼は国際基督教大学だから法学部はない。教養学部卒である。在学中に眞子さんにプロポーズして、結婚を約している。卒業後に三菱UFJ銀行に入っているから、弁護士、検察官などの司法にそれほどの関心があったとは考えにくい。
それが突然、銀行を辞めて法律事務所に入り、パラリーガルとして働き始める。金融から法務への大転換をしたのである。
この転職の意味は、結婚会見で眞子さんがいった、「海外に拠点をつくってほしいと私が頼みました」ということに結び付くと、私は考えている。
結婚して海外で生活するためには、それ相応のおカネがいる。銀行にいては、もし海外支店に転勤があったとしても、いつになるか分からないし、そうなったとしても銀行員の給与だけでは、元皇族としての体面を保つ生活は難しいかもしれない。
2人はさまざまな選択肢を考えたのであろう。その中から、弁護士という職種が出てきたのではないか。
ニューヨーク州の弁護士といえばかっこいい。そのためには働きながら法律を学べるところがいい。パラリーガルとして仕事をしながら、留学できる方策を考えよう。
最初から、日本で司法試験に受かってから国際弁護士を目指そうという選択肢はなかったようだ。
■優雅な生活のために稼ぐ目的はあるようだが…
唐突に見えたニューヨーク州のロースクール留学も、“綿密な計画”に基づいて着々と進められてきたのだろう。
そこまでは、多少の行き違いはあっても、順調だったのではないか。だが、私には、弁護士という選択が間違いだったのではないかと思っている。
たしかに、教養学部卒でも、私のような商学部卒でも、弁護士になる人間はいる。だが多くは、法学部を目指すのではないか。中には、カネが稼げるという動機で選ぶ者もいるが、一方で、世の不正を正すという高邁(こうまい)な理想を掲げて目指す者もわずかだがいる。
小室圭さんは、眞子さんとの優雅な生活を送るためにカネを稼ぐという目的はあるが、高邁な理想はなさそうである。
それは彼が、弁護士になったら、大企業のM&Aなどの分野をやってみたいといっていることからも窺うことができる。巨額なカネが動くだけに、弁護士の取り分も半端ではないのだろう。
彼は、学生時代に「海の王子」になったり、皇族の女性に近づいたり、目立つことが好きな性格のようである。弁護士になっても、カネにならない刑事弁護などする気はハナからないようだ。
自分に向いているかどうか分からないが、かっこよくて、カネが儲かればいい。そうした安易な考えから、弁護士という仕事を選んだのだとすれば、この先、モチベーションを持続できるのだろうか。
■7月の試験がダメだったとしても帰国はない
万が一、7月の試験に合格したとしても、ニューヨーク州の弁護士で食べていくのはなかなか大変なようだ。
4月15日に放送された『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ系)によると、州の弁護士は18万5076人(2021年)いるという。日本は4万3206人。
ニューヨーク州の弁護士資格を持つ村尾卓哉氏は番組の中で、「自分の専門分野を見つけ実績を残さないと勝ち抜いていけない」と話している。
晴れて弁護士になれたとしても、まだまだ続きそうな「髪結いの亭主」生活だが、眞子さんがそれで夫を見捨てることは、当分はないだろう。
多くの週刊誌は、7月の試験に落ちれば、2人はしおしおと日本へ帰ってくると推測しているが、私はそうは思わない。
時々、夫に「やれやれ」と思いながらも、せっかく手に入れたニューヨークでの自由な生活を手放さないために、眞子さんは「特権」といわれようとも、自分が培ってきた人脈や秋篠宮家の“御威光”を駆使しながら、たくましく生きていくのではないか。
眞子さんから愛想を尽かされないように、気を付けたほうがいいよ、小室圭さん!
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)