犬と似ているようで似ていない彼との再会。胸躍ったある二日間のこと
ペットの柴犬の写真をツイッターに投稿し続け、その自然体のかわいさが人気となっている@inu_10kg。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。第43回は、親戚のお家にいる”彼”と過ごした二日間についてです。
“彼”との再会に胸躍った、ある二日間のこと
今回はinubot回覧板第29回にも登場してくれた、「親戚のお家にやってきた“彼”」と過ごした二日間のお話し。
●お守りで見つけた「犬と彼」の共通点
ある日の午前9時。親戚のお家を訪ねると親戚家族と“彼”が迎えてくれた。“彼”はおおらかで人懐っこい性格をしていて、遊びに行くといつでも歓迎してくれる。「おはよう〜」と声を掛けて名前を呼べば「遊ぼう!」と言わんばかりに突進してくる。
この日は朝から翌日の夜まで約二日間、おじさんとおばさんがお家を空けなければいけなくて、“彼”のお守りを預かった。とはいえ、家には犬がいて連れて帰れないため私が泊まることにした。
遊んでいた“彼”もしだいにみんなが出掛ける雰囲気になると、おやおや? と表情が少し変わった。家族が出掛けて私が居座っている状況なんて不思議で仕方ないだろう。
みんなが“彼”に行ってきますと挨拶をして玄関に向かった。“彼”は動揺せず泣きもせずとても静かな見送りだった。
ふたりきりになった途端ぐずったらどうしようなんて思ったが「今日明日とお留守番よろしくね」と撫でると、心配無用すっかり“彼”は落ち着いていた。
ふたたび私の腕にじゃれ始めたので、本当に肝が据わっている子だと感心した。
親戚が「自由に過ごしてね」とお菓子やジュースをいっぱい用意してくれていたので、ごちそうになりながら、またとない機会なので“彼”をじっくりと観察してみた。
うちの犬も“彼”も柴犬である。年齢差はあれど同じ犬種でもこんなに顔の造形や体つき、毛並みまでも違う。それが当然で、おもしろい。
しかしお昼寝をする“彼”の姿から共通点を見つけた。
日頃から犬はちょうどいい快適な陽当たりで眠る天才だと思っていたが、“彼”も同じように陽の向きに合わせて場所を選びながら昼寝をしていた。
ふたりの共通点というか生き物の習性なのだろうか。
陽が当たりすぎれば日陰に移動していたり、このお家にも眠る天才がいた。
そして、時々だが犬は「どうしてそこにはさまっているの?」というような場所で寝ている。これも同じく、“彼”もまた数度の移動のあと柱と扉の狭間で落ち着いていた。
動物がおへそを天井に向けて仰向けに寝る体勢を「へそ天」と呼ぶのだが、“彼”はへそ天で気持ちよさそうに寝息を立てていた。これだけは犬にあまり見られない。
へそ天で眠るあまりに無防備な仕草がかわいらしかった。
“彼”に倣ってとなりで仰向けになって目を閉じてみた。大きな窓から陽が差し込んできて気持ちがいい。ふたりしてへそ天で寝転び、光合成。
夕方頃に“彼”と散歩に行って、様子を写真に撮っておばさんにLINEすると既読がすぐついた。犬の散歩にも行かないといけないから、“彼”を置いて一旦帰宅する。
うちに着くと庭にいた犬と目が合った。私を見た途端に柴ドリル、散歩に行く準備運動である。
「ただいま!」と犬の頭を撫でれば、私から“彼”の匂いが香ったのだろう。
犬が私の手のひらやら背中やらをスンスンスンスンとせわしなく鼻を利かしては、くまなく調べられた。なんだかすまない。
親戚宅に戻って、“彼”が見えるところに布団を敷いてひとつの空間で就寝した。一日なにごともなくて一安心でした。おやすみなさい。
翌朝になり起きれば、私の物音で今起きた“彼”と目が合った。日常的な朝の光景に私がいるのに驚いて動揺したように見えた。
しかしその動揺もほんの数秒で落ち着き、「今日の夜になれば、帰ってくるからね」と伝えれば、返事の代わりにグゥ〜と伸びてくれた。本当になんてかしこいのか。
この日は土曜日で、両親に加え兄も家にいるし犬は大丈夫だろう。朝は河川敷、夕方は町内をのんびりと散歩をした。
それ以外の時間はごろごろしたりと脱力した一日を過ごした。そして“彼”はユニークなので、たくさん笑わせてくれた。
視線を感じるなと思ったら、ひょっこり覗かれていたりね。
夜になり親戚家族が帰ってきたら、耳がピンと立ちあがり、顔に喜びが溢れていた。おばさんの両手にほほを包まれたら、安堵したように表情を緩ませた。二日間で一番いい表情だった。楽しい時間をありがとう、また遊んでね。
●inubot 小噺
先日、母が畑で剪定した柿の木を燃やしていて、その焚き火で焼きイモをつくってくれた。犬も干しイモのおやつを好んだり大好物なので、喜んで食べていた。焚き火の暖かさと焼き芋の甘さが沁みた。
真冬に突入し、散歩に行くのにも気合がいる。とくに朝だ。もしも犬がいなかったら霜が降りた道を30分も40分も歩いていないと思う。そしたら冬の朝日の眩さにも気づかないままだった。