国体冬季大会 氷上のレジェンドたち アイスホッケー入江淳夫さん
シリーズでお伝えしている「氷上のレジェンドたち」です。
今回はアイスホッケーでオリンピックに2度出場し、現役引退後は県内で後進の指導に力を尽くす入江淳夫さんです。
日光市で開かれる冬季国体でアイスホッケーは今月26日から始まります。この競技に人生を捧げた入江さんに当時の思い出やこれからを語ってもらいました。
入江さん:「アイスホッケーは私にとって人生。それしかないですから俺には。努力しましたから悔いはないですね」
日光市に住む入江淳夫さん84歳。現在は県アイスホッケー連盟の顧問を務めています。
その迫力から氷上の格闘技とも呼ばれるアイスホッケー。
目まぐるしく攻守が入れ替わるプレースピードはさることながらパックを奪い合う際のタックルの激しさはリンクを熱くさせます。
入江さんはアジアリーグに所属するH.C.栃木日光アイスバックスの前身日本最古のアイスホッケーチームといわれる古河電工アイスホッケー部に所属しフォワードとして活躍しました。
1960年、アメリカのスコーバレー大会、その4年後のオーストリア・インスブルック大会と冬季オリンピックに2大会連続で出場し、その時の思いをこう語ります。
入江さん:「一番思い出に残ってるのはやっぱりオリンピックに選ばれて横浜まで行って船で行くのがね長かったんだよ」
スコーバレーオリンピックには横浜港から船で向かいました。
海なし県、栃木の日光で育った入江さん。
慣れない船の上で14日間、船酔いに襲われながらも船の上で練習に励みました。
入江さん:「スティック持って甲板かけずり回すんですよ。スティック振ったりとかさせられた覚えがある」
そして迎えた大会本番。初戦はアイスホッケーが国技の強豪カナダでした。
入江さん:「多少は期待したんですよ。日本のホッケーを。だけどいざ行ってみたらカナダってのはさすがだなって思いましたね。怖くてゴール前に入っていけない体で飛ばされちゃうから。小さいでしょ」
当時の入江さんの身長は162センチでした。
体が大きなカナダの選手には歯が立ちません。
そんな時、入江さんにチャンスが訪れました。
入江さん:「縦に入ったんですよそこをパカってきたんで。それ取ったらノーマークになったんですよ。どこやろうかと思ったら足元しか空いてない。そこにやったら入ったんです。観衆が小さい体で入れたもんだからニクソン副大統領が来てんのは知ってた。それも手ばたきしてたけど」
結果は19対1で完敗。それでも入江さんは、日本代表、唯一の得点を入れ強豪相手に一矢報いました。
この経験を生かすべく乗り込んだ東京オリンピックと同じ年、4年後のインスブルック大会。
しかし、残ったのはただ出場したという記憶だけでした。
入江さん:「インスブルック行ったんです。今度は飛行機だった。第2フォワードか何かだと思ったな。インスブルックのときはどうだったろう。あまり覚えてないんだよな」
入江さんがあまり多くを語ろうとしないのは当時の日本アイスホッケーの限界を悟ったからでした。
スコーバレーでは9チーム中8位。インスブルックでは16チーム中11位で世界との差を痛感し失意の中で大会を終えました。
入江さん:「それから帰ってきてアイスホッケー辞めようと思ったら、今度は古河で『行ってきてそのまま辞めるのか』なんて言われてね。コーチやれ監督やれと」
入江さんは1968年に現役を引退後、指導者に転身。
古河電工をはじめ国体の県代表の監督も務めました。
そして1988年、群馬県伊香保町で開かれた冬季国体のアイスホッケー少年の部でチームを率い快挙を成し遂げます。
決勝の相手はこの時点で26連覇中の強豪・北海道でした。
入江さん「初めパタパタって3点とったんですようちが。それで向こうが同点にしたんだけどさらに3点とって6対5で最後追いつかれるかなと思ったらなんとか逃げきってそれで優勝。いい思い出ですね。北海道に勝てなかったのやっと破ったんで」
27年ぶりとなる念願の単独優勝を飾り入江さんにはアイスホッケーに対するある思いが湧き上がりました。
入江さん:「たまたま国体で優勝したもんだから会社の社長がそろそろホッケーを辞めたらどうですかと。俺は辞められないと子どもを育てたかった自分なりに何人か育ててみたいなと思った。自分で好きにならないとダメですね教えられてやるんじゃ」
子どもたちにアイスホッケーを好きになってほしい。
そんな思いで入江さんは母校である日光中学校にオリンピックのユニフォームなどを寄贈しました。
3階の教室にはユニフォームのほか、冬季スポーツで活躍した卒業生の写真などが展示されています。
日光中学校の50周年を記念して1998年に展示室が作られて以来、入江さんが訪れたのはこれが初めてでした。
入江さん:「若い時の(写真)22ですよ。スコーバレーのとき。若かったね頭なんかハゲてないもんね。この頃は自信があったから足は速いと思ってたの自分で。でも向こういっても足だけ直線だけは勝ったけどあとはダメだったな。体が小さいから162しかないんだからダメだよね。あーこれね。スゴバレーの(ユニフォーム)これがインスブルックかな?これ着て行くときはうれしかったですよ。これがカナダ戦で1点とったユニフォームですよ。いやーそうだよな6番、懐かしいね。日の丸のために頑張ったんだよなま、どっちも思い出あるよね。なかなか行けないことだから」
ホッケータウン、日光の礎を築いた入江さん。競技に打ち込む後輩たちの未来を明るいものにしたいという思いは変わらず、こうメッセージを残してくれました。
入江さん:「子ども教えるのは大変。腐んないようにチームを盛り上げる。栃木県がアイスホッケーで強くなることを願っているほかないね」