シリーズでお伝えしている「氷上のレジェンドたち」です。

3回目はアイスホッケー競技でかつてインターハイを制し、指導者としても中学生を全国制覇に導いた山本久男さんを取り上げます。

日光、ひいては栃木県のアイスホッケー界を切り開いてきた山本さんに思い出を語ってもらい、後進へのメッセージをもらいました。

アイスホッケー王国・日光。

日光を舞台にしたアニメ「プラオレ!」のヒットでアジアリーグに所属するプロチームH.C.栃木日光アイスバックスもにわかに注目を浴びるようになり、日光を訪れるファンも数多くいるといいます。

日光のスポーツといえばアイスホッケー、アイスホッケーといえば日光というイメージを持つ人も多いと思いますが、全国的に見れば今も昔も北海道に地の利があります。

しかし、高度経済成長期真っただ中の1959年、日光の名を全国にとどろかせる快挙がありました。

栃木県アイスホッケー連盟の顧問を務める山本久男さんです。

 

当時の日光高校でアイスホッケーに打ち込み、栃木県に初めてインターハイ優勝の栄冠をもたらした一人です。

現在の日光明峰高校の一室には山本さんが当時の県体育協会から授与されたメダルが光ります。

山本さん:「後輩がこういうメダルをもらえるように頑張ってもらえればと寄贈した。2日がかりで帯広に向かって北海道の雄大さを列車から見まして本当に広いなあと」

その年のインターハイの舞台は北海道帯広市。

並みいる強豪のホームに乗り込んでいった当時のことを振り返り、アイスホッケー部の50年記念誌にこう記しています。

「はじめて北海道に行ける楽しさと、試合の不安がいっぱいである。打倒北海道を目標に練習の成果を出す時が来た」

その言葉の通り日光は苫小牧東、苫小牧工業という並みいる北海道勢を次々に打ち破ると決勝の相手は前年準決勝で敗れ、その年の優勝を飾った釧路湖陵。

相手にとって不足なし。ふたを開けてみれば11対2という圧倒的な点差で初めて頂を制しました。

山本さん:「初めて優勝旗が連絡船で(本州に)わたったという新聞記事を見て涙も出ました」

同じく記念誌には「初めて内地に覇権」の見出しが躍る新聞記事が引用されていて当時の喜びようがうかがい知れます。

山本さんはその後、古河電工に入社し全日本選手権で優勝するなど輝かしい成績を残しました。

また、1976年に旧日光市・旧今市市で開かれた冬季国体では選手としてこの上ない経験をしました。

山本さん:「宣誓 我々選手一同はスポーツマンシップにのっとり正々堂々競技することを誓います。栃木県成年山本久男と」

常陸宮ご夫妻がお見えになる中、選手宣誓の大役を務めました。

その国体は大阪にまさかの敗退を喫し、失意に打ちひしがれたといいますが、その後、現役を退いた山本さんは後進の育成に熱を上げていくことになります。

日光市立東中学校。過去3回、全国制覇を成し遂げた名門校です。

この歴史の始まりをつくったのが他でもない山本さんでした。

昭和も終わりに差し掛かった1987年2月の第7回大会、山本さんはコーチとしてチームをまとめ上げました。

山本さん:「北海道に勝てるとは思っていませんでしたから本当にうれしいうれしい優勝でしたよね」

この大会には10のチームが参加。中学生のチームも北海道勢はやはり強敵ぞろい。

過去6回の大会を制したチームは本州より南にありませんでした。

東中は初制覇に向けて並々ならぬ練習を重ねていたといいますが、試合の会場だった霊峰・富士山のふもとの地は縁起のいい場所だと話します。

山本さん:「高校のコーチを2年ほどやったときにも山梨、ここの場所。試合中にゲンのいいところだからと声をかけた」

東中の前にコーチを務めた母校・日光高校を3回目のインターハイ優勝に導いたときの会場が富士のふもと。

そのようなゆかりも後押ししたのか、過去苦杯をなめた苫小牧明倫を4対2で破ると勢いに乗り軽井沢にも快勝。決勝では北海道の雄、釧路大楽毛と激しくぶつかりました。

結果は3対2。山本さんは指導者としても高く立ちはだかる北海道の壁を崩し。教え子たちに頂からの眺めをもたらしました。

山本さん:「大金星なんてもんじゃない。子どもたちも夢のよう。勝てると思っていなかったから。本当にうれしかった。DF3人、FW6人、選手層が薄い中の勝利はいい自信になったと思う」

選手、そして指導者として日光の、ひいては栃木のアイスホッケー界をけん引してきた山本さん。

地元開催の国体に向け選手たちにエールを送ります。

山本さん:「天皇杯優勝目指してぜひ頑張っていただきたいと思います」

前回2014年の地元開催では成年が2位、少年が3位、優勝にはあと一歩届きませんでした。

これまで紡いできた栄光の歴史にさらに新しい一ページを切り開いていくために。

 

栃木のアイスホッケーの発展のために。

  

山本さんは後進たちの活躍を心から願っています。