定番となった「家飲み」。ビールや酒の飲み方、家飲みにピッタリなつまみなど、家飲みが極上の時間になる方法をご紹介します(写真:zak/PIXTA)

年末年始でお酒を飲む機会が増えてきたが、今年はまだ外食三昧というより「控えめにいこう」という人も少なくないだろう。そうした中、密ではない「この時間」を、気ままに贅沢に、誰に気を使うことなく楽しめる「家飲み」はもはや定番となっている。

一方で家飲みが続き、やや「マンネリ化している」と感じる人がいるかもしれない。そこで本稿では、居酒屋探訪家として30年以上活動している太田和彦氏の新著『家飲み大全』より、ビールや酒の飲み方、家飲みにピッタリなつまみなど、家飲みが極上の時間になる方法について一部抜粋・再構成して紹介する。

家飲みと外飲みの違い

夜10時。人のざわめきも、威勢のよい店の声も、仲間や女将との語らいも、温かな雰囲気も、何もない。今あるのはオレ1人。

――これがいい。

家飲みとは、世間も、他人もすべて遮断し、自分1人に沈潜するところに意味、醍醐味がある。パジャマで飲もうが、いすにあぐらをかこうが、だらしなくしようが、誰の目も気にせず、緊張のかけらもなく、何もしないでぼおっと飲んでいる。

酒なら家で飲めるのに、わざわざお金を払って「外飲み」をするのは「世間」に身をおくこと、他人の中に自分を放り込むことが目的だからだ。それゆえ、入った店に客は自分1人だったらつまらなく、ある程度混んでいるほうがよい。人との「密」が必要だ。そこには自分が「人好き」の要素もある。注文した、家では食べられない料理もまた世間。酔っぱらうのが目的ではなく「世間との絆を確認する」ことでもある。

家飲みはその真逆だ。「世間との関係を断って」1人で飲む。「密」ではない「個」の世界。酒も料理も注文はできない、いつも同じもの。しているのは、世間の観察、世間との連帯ではなく、自分の観察、自分との連帯。普段は忘れている「自分との絆を確認する」営為だ。

社会も、人間も、何か考えることも、すべてを断ち切った「無の時間」こそが、家飲みの神髄。ここでは次第に定まってきた太田流家飲みの作法を紹介しよう。

基本中の基本は、専用のお盆を用意すること。私のは、ある露天市でたしか500円で買った、35センチ×25センチほどの長方形木製。投げ売りの安物だが、浅く縁が囲んでおさまりがよく、もう7、8年、毎晩愛用している。

ここに置くのは「グラス・箸・さかな1品」の3点のみ。それ以外のビール缶や皿は盆外に置いて、外様と譜代に分ける。箸置きは使わず、箸先を盆の手前左縁にのせるのは、茶道の作法だ。

この盆内を「結界」とする。たとえ食卓は、新聞だのティッシュ箱だの、いろんなものが乱雑に置かれていようとも、盆内だけは、精神を浄化して集中する神聖な別世界にする。そこには美意識がある。そう、私は家飲みに「美学」をもちたいのである。大げさだと笑ってくれ。

ビールを注ぐときは「泡で味を起こし、泡でふた」

ビールは注ぎ方で味が決まる。


(写真:米谷享)

缶でも、瓶でも、グラスに向け、できるだけ細い一条の流れを作り、次第に缶を30センチほどまで持ち上げる。そのとき流れを垂直1本に保つのが肝心で、ふらついてはいけない。心の動揺が流れに表れるので、精神集中が必要だ。

するとグラスの中は高くから注がれた勢いで白い泡がむくむく生まれて上がり、グラスの縁を越え、あふれこぼれると見た瞬間にぴたりと注ぎを止める。このとき、泡対ビールは8対2くらい。

そこで缶を置いてしばらく待つ。グラス内の水面が次第に上昇し、泡対ビールが4対6ほどになると、今度は缶をグラスの縁に当て、グラス内側をすべらすようにそっと注ぎ足すと、時間をおいたことで固くなった泡は塊のままぐぐーっと持ち上がり、グラスをはみ出してかなり盛り上がる。ここにマッチ棒をさすと立つ。それも落ち着いて、泡対ビールが3対7になったら飲みどきだ。


(写真:米谷享)

何をしているか。

それは、ビールの炭酸ガスを活性化させることで、閉じ込められていたビールの味を顕在化させる作業だ。生じた泡がビールの旨味をぐんぐん引き出す。その後の二度注ぎは、顕在化した味を今度は保つよう固い泡でふたをするため。ビールは表面が空気に触れると酸化して味が落ちる。つまり「泡で味を起こし」「泡でふたをする」。

日本酒は世界の酒にない「冷酒、常温(冷や)、お燗」の3つの飲み方をする。

古来、日本酒は温めて飲むものだった。そこから飲み方の作法も生まれてきた。映画などで男が居酒屋に入り「酒、冷やでいい」と言うのは、本来お燗だが、はやく欲しいので省略でという意味だ。

かつて居酒屋で酒といえばお燗のこと。「酒1本、いや2本もらっとこう」は温めた酒の入ったお銚子=徳利の本数だ。これを酌して盃で飲む。

冷たい汁より温かい汁、冷や飯よりも温かい飯。なんでも温かいほうが味が隅々まで発揮される。酒もまた同じ。適度に温めた酒は、香り、味、コクが全開して口内を、鼻腔を満たし、いつまでも口にとどめておきたくなる。比べると冷酒、常温はいかに無口だったことか。論より証拠、ぜひお試しを。

およそ30年前か。いわゆる地酒ブームを契機に、高級な大吟醸などが出回り始めると、いい酒は燗せず冷やで飲む風潮がおき、「この酒はお燗できません」と言い始める店も現れた。

生酒を燗してくれと言うと、びっくりした顔をする。それはここまで神経を使って冷蔵搬送、保存したのを温めるなんて、それまでの苦労が水の泡じゃないか、という気持ちだろう。そのとおり、その苦労に報いてまずは一杯、冷酒でいこう。そしてお燗も飲もう。

生酒を燗すると、醗酵中の炭酸ガスが刺激されて泡を吹き始める。中の酒はきっとびっくりしているのだろう。温度45度くらいで取り出し、ややあって盃から含むと、冷酒のキレのよいフレッシュさから、一斉に芳香が立ち、口当たりは柔らかく、味はふくらんでほんわかと、あたかも寒い冬を耐えてきた蕾が一気に花開いたか、これこそが生酒燗の快感……(表現自粛)。

火を使わない「さかな」がちょうどいい

家飲みのさかなは火を使わないものがちょうどいい。書き出せばキリがないが、私の常備3種は皿に盛るだけの<しらす・海苔・かまぼこ>だ。


まず<しらす>。生のしらすを軽く干したいわゆる「しらす干し」はまだやや残る湿り気がよく、刻み浅葱や刻み海苔と和えると風味がよい。しらす干しは生野菜サラダに加えるとか、混ぜて卵焼きとか、もちろん大根おろしもよく、もはや調味料としても必需品だ。

そして<海苔>。私は有明海産「藝州三國屋」の「焼寿司海苔」が近所で手に入り、これをそのままちょっと醤油でさかなにする。べたりでなく「海苔の醤油は縦につける」は山本益博氏の名言。何もないときに高級海苔は便利で、つねにこれがある安心感は大きい。

さらに<かまぼこ>。高級品でなくてもしっとりした歯ごたえは燗酒にはぴったり。板付きのまま盆に置き、15ミリに切りながら食べる。板一枚買えば三晩くらい飲める。上等なわさび漬けがあれば言うことなし。