わかり合えない人とは付き合わなくていい
Twitterでは心に響く“神ツイート”でフォロワー25.7万人突破と大人気、『精神科医Tomyが教える 1秒で元気が湧き出る言葉』をはじめとする「1秒シリーズ」でも幅広い読者から絶大な支持を集めている精神科医Tomy先生。2022年1月11日には、渾身の感動作で自身初の小説『精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方』の刊行も予定している。抑うつ(状態)の経験者、そしてADHD(注意欠如多動性障害)の医師としてTwitterで発信するほか、著書『発達障害、うつサバイバーのバク@精神科医が明かす 生きづらいがラクになる ゆるメンタル練習帳』に多方面から共感の声が寄せられているバク@精神科医先生。2人の精神科医には、共通点がとても多い。現役の精神科医、途中から精神科に転向した経歴の持ち主、父親を亡くした過去、抑うつ(状態)の経験者、いわゆる性的マイノリティ、そして読者の悩みに寄り添った本を書いていることも。必然に導かれるようにして実現した今回の対談では、「幸せとは何か」「父親の死を経験して思ったこと」「精神科との付き合い方」「発達障害とは」など、多岐にわたり語りあった。その内容を3回に分けてお届けする。
性的少数者への「理解」
バク:先日、ツイキャスで同性婚の話をしたんですけど、ゲイのリスナーの方が「自分たちを放っておいてほしい」とコメントされているのを見て共感しました。
選挙では一部の議員さんがLGBTQ(性的少数者)の多様性を象徴する「レインボーフラッグ」を持ったり、胸元に虹色のリボンを付けたりして、「我々は性的少数者を応援しています」みたいに言ったりしますが、「票のために自分たちを食い物にしないでおいてほしい。性的マイノリティであることは自覚しているから、無理矢理マジョリティみたいに扱うのはやめてほしい」と思うんです。
自分は「あの人はちょっと特別だから優しくしてあげよう」みたいなことを、別に求めていません。ただ、「同性が好きなんて気持ち悪い」などと否定されることなく、誰かが誰かを好きになることが「私はうどんが好き」「僕は蕎麦のほうが好きだね」というくらいに、どうでもいい話になってほしい。それが本当に受け入れられたときの姿じゃないかなと思いますね。
Tomy:確かに僕もズレを感じることはあります。ちょっと前に、スーパーマンの息子の新スーパーマンがバイセクシャルとして描かれるというのが話題になりました。新しいコミックの表紙が男性の恋人とキスしているシーンになっていましたが、「さあ、どうだ。ここまで受け入れたぞ」とアピールする感じが、これって多様性への理解なんだろうか、と。
バク:そういうことをすればするほど、受け入れていないことを表明されている感じがします。
Tomy:わざわざアピールすることがものすごく失礼であると、なぜ気づかないんだろうかと思うし、差別的であることを自覚すらしていないのが本質的な問題だと思うんです。
多様性を認める社会って?
バク:犯罪じゃないなら、誰がどんな相手を好きでもいいし、どんな人と一緒に生活してもいい。でも、若い女性が「お父さんより年上の男性にしか興味を持てない」と純粋に恋愛しているようなとき、「パパ活だ」と非難する人が絶対に出てくる。
そうやって自分が理解できないものを勝手な理屈で解釈し、否定するのがすごく嫌です。わからないなら、わからないでいいじゃないですか。なのに、どうして無理矢理自分の尺度に合わせようとするのかと思うんです。
Tomy:僕が研修医だったときは、みんなで飲み会に行くと、「誰が誰と付き合った」とか、どうでもいいような“恋バナ”で盛り上がって、なぜか意気投合するみたいな雰囲気がありました。
そんな話題に溶け込めない自分はおかしいのではないか、と悩んだこともありましたけれど、今ならわかります。そんな下世話な話題でしか盛り上がれないグループと仲良くする必要はないんです。
バク:それしか話題がないから、下世話な会話をしているだけ。だって、話題が豊富な人は、「世界であった面白い事件をみんなで1個ずつ挙げていこうよ」「私はこの事件が大好きで……」みたいな会話だってできるわけです。
そういう話題で盛り上がるほうがシンプルに楽しいし、特にネタがないなら、みんなでウィキペディアの記事から興味のあるものをピックアップして話したっていいでしょう。
恋バナは結局、その場にいない人のプライベートをほじくることになる。そうやって他人を笑いものにしたりネタにしたりしなくても、ほかに話題はあるはずなのに……。コロナ禍で唯一よかったのは、そういう話しかできない職場のグループと、飲み会で会話する機会がなくなったことです。
Tomy:職場の飲み会って、恋バナ以外に何を話しているかというと、だいたいその場にいない誰かの悪口だったりします。めちゃめちゃ不毛なんですよね。
バク:建設的な話し合いだったらいいんです。「あの人は、こういうときにこういう話し方をしてしまうから、それを防ぐために周りでフォローするのはどうかな」とかいう話になればいいのに、たいていは「あの人って、性格きついよね」「そうそう、目つきもキツイしね」なんて悪口で盛り上がったりする。
悪口は悪口を呼んでしまうので、悪口を耳に入れてくる人と付き合う利点なんてどこにもありません。患者さんにも、「悪口を言ってくる人とは、絶縁したほうがいいですよ」と言っています。
Tomy:「飲み会をすれば職場の人たちが仲よくなれる」「参加しないのはノリが悪い」みたいな同調圧力みたいなことも言いますけれど、普段から仲よくしていない人と飲み会で悪口をネタに盛り上がったところで、それって仲よくなったわけじゃないですよね。別にわざわざ全員参加の飲み会じゃなくても、仲よくしたい人とは仲よくしますって。
バク:普通にしゃべりたい人とは、一緒にランチしたりしてしゃべりますものね。
発達障害について知っておいてほしいこと
Tomy:バク先生は著書でご自身の発達障害について書かれています。実は僕も発達障害の傾向があって、ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)とADHD(注意欠如・多動症)の両方のエッセンスを内在していると思っています。
「発達障害ってどういうことですか?」と質問をされることもありますが、バク先生はどのようにお考えでしょうか。
バク:ひと言で言うと「前頭葉の機能がめちゃくちゃ弱い人がADHDです」という説明になっちゃいます。
Tomy:その通りなんですけど、「発達障害って何?」というのは結構難しい問題です。「こういう感じだよね」というのはありますが、それを言語化して定義すると何か違うものになってしまう……。
例えば、目の前にピカソの絵があったとして、その絵の特徴を説明したところで、ピカソの絵を説明したことにならないのと少し似ているように思います。
バク:自分は糖尿病でたとえることが多いです。同じ糖尿病患者であっても、食事療法さえしていたら血糖値は安定しているAさんと、薬を1日1回飲めば血糖値が安定しているBさんと、薬を複数飲まないと安定できないCさんと、インスリンを打たないとダメなDさんと、体内に埋め込んだモニターを常にチェックしながら、必要なインスリンを注射しないと生きていけないEさんが違うのは、読者の皆さんもわかると思います。
発達障害も、それと一緒です。薬がなくても普通に生きていける人もいれば、薬をめちゃくちゃ飲んでもうまくやっていけない人もいます。だから、どんな病気なのかと聞かれたときに、知識がある医者であればあるほど、答えようがないんです。
そのうえでお話しすると、発達障害は特性だし、個性でもあるから認めて受け入れようという風潮もありますが、かなり重症のASDやADHDの人を前にしたら、定型発達の人(発達障害を持たない人)はたいがい、ついていけません。「何を考えているんだ」「ふざけるな」なんて言ってしまったりすることも。でも、それは仕方がないとも思うんです。
発達障害の人に定型発達の人(発達障害でない人)が戸惑うのは正常な反応なので、戸惑ったから申し訳ないとか、差別したとか思わなくてもいいです。さっきの性的志向の話と同じで、マイノリティである発達障害の人が、マジョリティに対して「発達障害だから配慮してください」と、ことさらに主張するのは少し違うと思っています。
自分の場合は、ADHDの症状を改善させる薬「コンサータ(一般名:メチルフェニデート)」という薬を飲んでいて、薬がきいている間は少し症状が治まるので、定型発達っぽい動きができます。そうやって、薬で補えるなら薬を使えばいいんです。
ただ、副作用が強すぎるとか、薬代が払えないという理由で薬を飲めない人もいます。だから、まずは受診して自分の症状をしっかり認識して、マルチタスクができないならシングルタスクの仕事をするとか、無理そうなときはトイレに逃げるといった対処法を考えていく必要があります。
どうしても必要な場合は、周りの人に対しては自分のできること・できないことを少しオープンにして、そのうえで自分ができることを探っていく。それが発達障害の人ができる社会で生きていくための工夫の一つじゃないかと思います。