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Twitterでは心に響く“神ツイート”でフォロワー25.7万人突破と大人気、『精神科医Tomyが教える 1秒で元気が湧き出る言葉』をはじめとする「1秒シリーズ」でも幅広い読者から絶大な支持を集めている精神科医Tomy先生。2022年1月11日には、渾身の感動作となる自身初の小説『精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方』の刊行も予定している。抑うつ(状態)の経験者、そしてADHD(注意欠如多動性障害)の医師としてTwitterで発信するほか、著書『発達障害、うつサバイバーのバク@精神科医が明かす 生きづらいがラクになる ゆるメンタル練習帳』に多方面から共感の声が寄せられているバク@精神科医先生。2人の精神科医には、共通点がとても多い。現役の精神科医、途中から精神科に転向した経歴の持ち主、父親を亡くした過去、抑うつ(状態)の経験者、いわゆる性的マイノリティ、そして読者の悩みに寄り添った本を書いていることも。必然に導かれるようにして実現した今回の対談では、「幸せとは何か」「父親の死を経験して思ったこと」「精神科との付き合い方」「発達障害とは」など、多岐にわたり語りあった。その内容を3回に分けてお届けする。

幸せなのに幸せになれない人

Tomy:バク先生の本を共感しながら読ませていただきました。僕もいろんな人から「生きづらいのですが、どうすれば幸せになれますか?」みたいなことを尋ねられますが、基本的には「自分は幸せである」と思うことがスタートだと考えています。「自分は幸せじゃない」と思っている人は、後から不幸の理由をいくらでも探すことができるわけですから。

幸せっていうのは、あくまでも自分の意思であって、自分の中から幸せを見つけ出していくことが大事。そう考えていますが、バク先生はどう思いますか?

バク:最近は、いろんな人がSNSで「これを買った」「ここに行った」「あれを食べた」と発信するようになっています。その結果、幸せのハードルがすごく上がっていると思うんです。

人は自分と似た属性の人に嫉妬するものですが、SNSを経由すると嫉妬の対象を勘違いしてしまうことがあります。例えば、自分と同年代であるとか、同じような仕事をしている人が高級ステーキを食べているのをインスタで見て、「自分はもっと幸せになれるはずなのに、なんでなれないのだろう」と嫉妬して、目の前にある旬のサンマを捨ててしまうようなことがいっぱい起きています。

でも実際のところ、そこそこ幸せなのに、その幸せはSNS映えしないという理由でスルーしてしまっていたりします。それが不幸を招いているように思うんですね。

どうして自分が本のタイトルを『マックス幸せにする方法』みたいにしなかったかというと、何事も上には上がいるからです。だけど下には下の不幸もあります。人それぞれの不幸とか地獄があって、一生のうちに満点の幸せなんて1日たりとも迎えられないんです。

だから、今の時代に幸せになれる人は、「今日外に出たら、たまたまそのときだけ雨がやんでいた」とか「新しい靴を履いていったら、すごくいいねと言ってもらえた」「買うのを我慢していた服が、セールになっていて安く買えた」とか、そういう日々の何気ない出来事を幸せとしてしっかり認識できる人なんだと思います。

Tomy:バク先生の本を読むと「そこそこやっていく」というのがコンセプトになっていると感じました。僕もクリニックの中で「ぼちぼちやっていきましょう」というのを標語的に使っているんです。

インスタに上げられているフォアグラやキャビアは、本当は油っぽかったりしょっぱかったりするかもしれない。それをうらやんで、目の前の旬のさんまの美味しさを見逃していたら、それは幸せじゃないですよね。

だから、そこそこの幸せをちゃんとつかむことこそがマックスの幸せである、という逆説的な言い方も成り立つんじゃないでしょうか。

「これに手を出したら終わりだ」と思ったワケ

Tomy:バク先生が「そこそこの幸せ」に目を向けるようになったきっかけは、なんですか?

バク:自分は内科の激務に適応障害を起こして一度休職した経験があるんです。ずっと自宅で療養していて、風呂にもほとんど入れず、何を食べても美味しくないし、何を食べていいかもわからない状態になってしまいました。

同期の仲間たちも心配してくれて、仕事帰りに家を訪ねてくれたりしていましたが、そうやって来てくれる友だちがまぶしすぎてつらかった。「この人は仕事もちゃんとできているし、こうやって病人を気遣えるくらいに余裕があってうらやましい。それに比べて自分は何もできない」と。

そんなあるとき、友人の1人が有名店に並んで買った大きなバームクーヘンを持ってきました。そして「よかったら食べてよ」と置いていってくれたんです。

最初はなぜか「これに手を出したら終わりだ」と思いました。後から考えると、いただいたものを食べないのは単純に失礼ですけど、そのときは追い詰められていたんです。でも、たぶん脳みそも働かず、身体が糖質を欲していたんでしょうね。おそるおそる食べてみたところ、涙が止まらなくなって……。「普通のものを食べられるって、なんて幸せなんだ」と思えました。

その後、落ち着いて考えたら、友人が仕事帰りに様子を見に来てくれることが幸せだと思えてきました。そういう身の回りの幸せを無視して遠ざけていたことにも気づきました。

自分の場合はたまたま回復できたけど、下手したらそのまま死んでいたかもしれない。なんとか這い上がって回復できたので、患者さんにはそこまでしんどい思いをする前に幸せに気づいてほしいと思っています。

パワハラ上司に心をズタズタにされて……

Tomy:実は僕も適応障害になったことがあるんです。

そもそも僕の実家はクリニックで、風邪を引いたときも自宅で治してしまうから、病院という場所にほとんど行ったことがありませんでした。

親からは医者になるのを期待されていたし、おかげさまで学校の成績もよかったので医学部に進みましたが、研修医になってから実は病院が嫌いだと気づいたんです。しかも、医者なのに手先が不器用……一向に上手になる気配がなくて、仕事に絶望してしまいました。

そのころ初めて同性の恋人ができて、恋愛に逃避していたんですけれど、周りの研修医と飲んだときに「同性の恋人がいる」みたいな話をする気にもなれない。その後、恋人と別れそうになって、さらに落ち込んでしまいました。

しかも、当時の上司の先生が、かなりパワハラ気味な人で……。例えば、紹介状を1枚書くのも上司の先生のサインが必要なんですが、僕が書いたのを見せようとすると、「忙しい」とか言って逃げてしまう。でも、なんとか見てもらうと、面倒くさそうに「ここと、ここと、ここがおかしい」みたいに重箱の隅をつつくようなことを言う。

文章には自信があったので、ちょっと心外だったけれど、上司だから言うことを聞くしかないわけです。言われた通りに直して持っていったら、また「忙しいから」と見てくれない……。最終的には、僕が書いた紹介状を目の前でビリビリと破り捨てて、「僕ならこう書くかな」と言って、全然違う文章を書いて渡してきた。そんなこんなが重なって、「もう無理だ!」と。

バク:それはひどいですね。読者の皆さんにも伝えたいんですけど、医者ってマジでこういう人がいるんです。

Tomy:そんなわけで1週間休みをもらって、夜な夜な公園を散歩して過ごしました。研修医を辞めようとも考えたけれど、やっぱりもう少しだけ続けようと思い直して、そこから精神科に興味を持ちはじめました。「精神科なら手先が不器用でもやっていけそう」と考え、進路を変更したという感じです。

そのあと実家のクリニックを継いだり、父親が亡くなったりと、いろいろありましたけど、現在は新しく開業したクリニックで仕事をしています。クリニックを軌道に乗せることができた頃から、やっと医者として恥ずかしくないなと思え、自分に自信が持てるようになりましたね。

そこからさらに時間が経過した今では、「勤務医だったときも別に恥ずかしくなんてなかったんだ」と思えるようになりました。当時は周りの人たちがキラキラして見えてつらかったけど、ただの物の見方の問題だったんだ、と思い直せるようになったんです。

結局、幸せかどうかは自分の見方しだい

バク:自分もTomy先生と同じく父親を亡くしているんですけど、死んだときに看取ったのが内科医時代の自分なんです。よりによって自分の大学病院に親父が入院してきて、「どうしても医者をやっているお前のところで死にたい」と言われて、断れず……。

自分はいったん文系の大学に進みながらも、「早く自立したいし、確実に金を儲けるためには医者になるしかない」という身も蓋もない理由で医師の道に路線変更しました。医学部に行くと宣言したのと、同時期に父親が末期がんになり、余命半年と言われたけれど、奇跡的に生き延びた。そして、医学部に合格し、国家試験も一発で通ることができました。

父親は、ばあちゃん(父親の母親)から医者になることを期待されながら、医者にはなれずに歯医者になりました。だからずっと「歯学部しか受からなかった」と悔やんでいたし、自分が文系に進んだときも絶望していました。ただ、最終的には「医者になったお前が見られてよかった」と言っていました。

父親を看取ったのはつらい体験でしたし、今でも腑に落ちていないものがあります。もっと素直に言うことを聞いて、最初から医学部に進んでいたら、親父のストレスも少なかったかもしれない。でも、考えてみれば医学部に受からなかったり、医者になれなかったりしたほうが、よほどつらかったともいえます。

結局、人間がつらいとか幸せだと思う気持ちって、見方を変えるだけで全然変わってしまう話なんです。