マイクロソフトが採用している英文フォントのなかで、「Calibri」は過去15年近くにわたって標準フォントとして君臨してきた。書式が整えられる前のWord文書やPowerPointのプレゼンテーション、Excelのスプレッドシートには何度となく登場する。どのフォントを使うべきか決められないユーザーを“救済”するフォントでもあったわけだ。

「どれが本命? マイクロソフトが標準フォント「Calibri」の代替候補に挙げた5つの案」の写真・リンク付きの記事はこちら

ところが、「Calibri」と同じサンセリフ体のフォントが新たに登場した。しかも5種類もだ。このほどマイクロソフトが標準フォントとしてのCalibriを“引退”させ、新しい5種類のフォントのいずれかと交代させると発表したのである。

これはひとつの時代の終わりを意味する。だがCalibriの生みの親であるルーカス・デ・グルートは、自分のフォントがしばらく身を引くことをまったく気にしていない。「安心しましたよ」と、デ・グルートは言う。

デ・グルートがCalibriを生み出したのは2000年代初頭のことで、画面を読みやすくするためのフォント群のひとつという位置づけだった。「ものすごい勢いでデザインしたんです」と、彼は振り返る。「すでにスケッチはあったので、それに手を入れて角を丸くし、デザインとして整えました」

20年を経て“時代遅れ”に

あらゆるフォントを画面上で忠実に再現できるだけの画素密度を備えたディスプレイは、長らく存在していなかった。フォントの丸みを帯びた角はアーチ状ではなく、階段状のギザギザに見えていたのである。

ところが、2000年になってマイクロソフトがフォントのスムージング技術「ClearType」を導入すると、状況は変わった。液晶画面の解像度が最適化され、デ・グルートが生み出したようなフォントが読みやすくなったのである。マイクロソフトはCalibriを非常に気に入った様子で、07年には「Windows Vista」の標準搭載フォントのひとつとして採用した。

それ以降のCalibriは、絶対的な慎み深さをもって自らの義務を果たしてきた。「Helvetica」のような人気を博すことはなかったが、敵もそれほどつくらなかったのである。

「フォントはしばしば敵視の対象になるものですが、Calibriを嫌うお客さまはいないのです」と、Microsoft Office Designの主任プログラムマネージャーのサイモン・ダニエルズは言う。つまり、今回の引退はCalibriそのものに落ち度があったわけではない。採用から20年近くが経過したことで、新しいフォントを試す時期だろうとダニエルズが判断したにすぎないのだ。

「グラフィックデザイナーのロジャー・ブラックが『フォントとは基本的に自分のアイデアに着せる服のようなものである』と語っていたのですが、その言葉をしばしば思い起こします」と、ダニエルズは言う。「要するに、Calibriは時代遅れになったというわけなのです」

選択肢が5つある理由

だが、すぐに“衣替え”するわけではなく、マイクロソフトは複数の選択肢から選ぶ猶予を自らに与えている。ダニエルズは第一線のフォントデザイナーに5種類の新しいフォントのデザインを依頼しており、それぞれが標準フォントのあるべき姿について新鮮な解釈を示している。

「Tenorite」は丸みを帯びた明瞭なデザインで、句読点も丸っこい。「Bierstadt」はより控え目で、ミッドセンチュリーのスイスのフォントのオマージュとなっている。同じサンセリフ体でも「Skeena」は“人文主義的”で、「Grandview」は“産業的”な印象だ。「Seaford」はひじかけ椅子の形からインスピレーションを得ており、心地よさと人間工学的な印象を兼ね備えている。

これらの5つのフォントはすべて、クラウドに接続されたマイクロソフト製品で利用できるようになっている。マイクロソフトはユーザーに対して、どのフォントを気に入ったのかフィードバックを求めており、その意見を踏まえて今年後半に新しい標準フォントを発表する予定だ。

ダニエルズの知る限り、マイクロソフトがこうしたやり方でフォントに関する意見を募るのは初めてのことだが、よりよい決定につながると彼は信じているという。それにユーザーに選択肢を提供すれば、プレッシャーもいくらか弱まる。

「(フォントの選択肢を)ひとつしか提示しなければ、評価が分かれる可能性が高くなりますよね」と、ダニエルズは言う。「でも候補が5つあれば、ほとんどの人がどれか気に入ってくれるでしょうから」

すでに代替案について活発な議論も

確かに一般の人々は、それぞれがフォントに思うところがある。すでにTwitterでは議論が交わされており、ほぼすべての候補に対して説得力のある意見が出ている。「Grandviewの『G』は素晴らしい」「Grandviewはないと思う」「Bierstadtのカーニングはひどい」「Tenoriteはブロック体に寄せすぎ」といった具合だ。視力の弱い人や失読症の人が読みやすいかどうかについて、具体的な懸念も表明されている。

マイクロソフト製品で使われる文字の見た目について、人々が大騒ぎしていることを不思議に思うといった意見もある。「Calibriで何の問題がある? いい感じだし、何の問題もないのに」といった具合だ。

「Calibriのどこに問題があるというのでしょうか? 何の問題もありませんよね」と、ニューヨークにあるスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツのデザイナーのゲイル・アンダーソンは言う。「Calibriは派手なドレスのようなフォントではありません。要するにCalibriを使えば、家を出るときに鏡を見る必要もないのです」

アンダーソンはCalibriが気に障ると思ったことなどないというが、「真っ先に選ぶフォントではないかもしれません」とも言う。それではCalibriの代替としてどのフォントを選ぶか尋ねてみたが、対外的には公表しないとのことだった。

「Tenorite」は丸みを帯びた明瞭なデザインで、句読点も丸っこい。IMAGE BY MICROSOFT

思考を乗せる“乗り物”としてのフォント

ほかのデザイナーたちに言わせると、Calibriはデザインされた当時の環境では問題なかったが、画素密度の問題が解決したいまでは標準フォントにもっと自由度があってもいいという。「Calibriを使うと一見して密度が高い印象を与えることがあります」と、今回の代替案のひとつであるSeafordをデザインしたFrere-Jones Typeのデザインディレクターのトビアス・フレア=ジョーンズは言う。

フレア=ジョーンズがデザインしたSeafordは、スペースが広めで形状にアクセントがある。丸い文字はより丸く、角張った文字はより角張っているので、単語や文章のなかで1文字1文字が際立って見えるのだ。

「(こうしたデザインは)単語の形状を識別しやすくする上で非常に効果的です」と、フレア=ジョーンズは言う。「特に昨年になってコンピューターやスマートフォンの画面を見て過ごす時間が増えたこともあり、わたしたちの目により優しいものを生み出すことが喫緊の課題でした」

マイクロソフトが候補に挙げているフォントの一部は、デ・グルートにとって驚きだった。彼はそれらのフォントが流行を追いすぎていると考えている。「わたしのいちばんのお気に入りはSeafordです」と、彼は言う。「強い主張があるところが気に入っています。でも当然のことながら、主張の強いデザインは危険も伴います。Calibriでわたしが目指したことのひとつは、ある種の中立性だったのです」

普通の人なら、そうした“主張”には気づかないかもしれない。それどころか、標準フォントの変更にすらまったく気づかない可能性もある(実際にTwitterではマイクロソフトの発表に反応したごく一部の人々が、5種類のフォントの違いがわからないとツイートしている)。だがデザイナーたちは、入念にデザインされて正確な曲線やカーニングを備えた形状のすべてが、オンラインでのコミュニケーションに違いをもたらすのだと言う。

「わたしたちがデザインしているものは、人々の思考を乗せる“乗り物”なのです」と、フレア=ジョーンズは言う。あとは新しい5つのフォントのなかから、正しいメッセージを送れそうなものをわたしたちが選ぶだけなのだ。

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