日本社会が中年男性を見捨てつつある。ノンフィクションライターの中村淳彦氏は「中年男性が失職した場合、数少ない働き口のひとつが介護業界だ。しかしそこではやりがい搾取が常態化している」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、中村淳彦、藤井達夫『日本が壊れる前に 「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』(亜紀書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/spukkato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/spukkato

■行き場のないホワイトカラー中年男性

【中村淳彦(ノンフィクションライター)】もう一度、中年男性のこれからについて、最後に述べておきます。

コロナ前の段階で、女性の状況は限界まで悪化している。生活保護の最低生活費や相対的貧困の基準を最悪だとすると、これ以上、貧困化は進まない。

女性の貧困は完了、終了だとすると、次に貧困のターゲットになるのは中年男性となる。彼らは社会的強者として扱われるし、いままで再分配を与える側だったので風俗の道も、売春の道もないわけです。介護現場も当然いらないし。

【藤井達夫(政治学者)】いま、かろうじて残っているのはガードマンですよね。工事現場では、かなり高齢のおじいさんたちが警備員をしています。きっとすでに供給過剰状態で、今後路上にあふれる失職男性の受け皿にはならないでしょう。

【中村】融資してコンビニオーナーをさせて超長時間労働をさせるとか、配達や清掃、引っ越し屋とかですかね。僕は介護現場を眺めて国ってこういうことをやるんだ、って勉強したんですけど、リーマンショックのとき、国は介護職で雇用の調整をしていた。

厚生労働省は介護の担当省庁で、安倍政権は失業率の低さを完全に売りにしているから、とにかく介護に失業者を流すことをした。今回のコロナでは、今のところそのような動きはないですね。

【藤井】失業者を介護産業に流し込んだわけですか。

【中村】もう、露骨にそうでした。

■介護現場にあふれた「異常なポエム」

【中村】リーマンショック後に製造業の失業者があふれた。慌てた政府が重点分野雇用創造事業という政策を立ち上げて、ハローワークや都道府県が総力をあげて失業者を介護職にしたんです。実際に凄まじい人数の中年男性が介護職になりました。

国の理想としては、いらない人間を一カ所に集めて、なんとか安上がりに収めたいということで、でも、そんな本当のことは言えない。だからリーマンショック直後、介護現場にはさまざまなポエムが紡がれた。

【藤井】具体的に教えていただけますか?

【中村】「感謝感激感動の3K!」とか「ありがとうを集めよう!」とか「介護に夢と誇りをのせて」とか、いろいろ。

異常な文句を見つけるたびに発信源を調べると、だいたい厚生労働省や経済産業省、都道府県、社会福祉協議会などが主催とか協賛。経済や労働生産性で産業を発展させるのではなく、国や行政が率先してポエムで低賃金労働する介護職を統治しようとした。

2004年4月から介護保険制度がはじまって、僕はブラック化全盛期の2008年になにも知らないまま介護業界に流れ、自分自身が高齢者介護をしながら現場を間近で見るなかでネオリベの恐ろしさを体験しました。いまでもたまに思いだすと身震いするような嫌な思い出ですね。

■徹底的にネオリベ化が進んだ介護業界

【藤井】いまの中村さんの外見からは想像ができません。

グッドウィル・グループからの全介護事業引き受けについて会見後、記者団の質問に答えるワタミの渡辺美樹社長(東京・大田区のワタミ本社)=2007年6月18日(写真=時事通信フォト)

【中村】介護のネオリベ化は九〇年代から議論されてはじまった。厚生省と労働省による有名なゴールドプランという政策によって莫大な資金が動いた。

これからやってくる高齢社会には官から民へという目標をもって、民間企業が競争しながら高齢者福祉を充実させていく、というネオリベの考え方が当時輝いて見えていた。

介護はそれが徹底的に反映された分野であり、その立役者がコムスンの折口雅博氏やワタミの渡邉美樹社長なわけです。

とくに渡邉美樹社長は生き様そのものがネオリベ的でした。

【藤井】ワタミの創業者ですよね。彼は外食産業から介護教育に乗りだしました。郁文館夢学園という伝統校の理事長でもある。

【中村】ワタミも渡邉美樹社長も政界進出から下降線ですね。渡邉社長のネオリベ的な功罪は挙げていけばキリがないのですが、やはりもっとも特徴的なのは精神論的な言葉で下々を操ったことでしょう。

あらゆる手を使ってネオリベ的な労働集約型組織を実現しようと、渡邉社長は「ワタミの理念集」という社内では“聖書”と呼ばれる本を書きあげた。そこにはこの通りに生きれば、どんなに安い賃金で重労働しても幸福感が得られるというようなことが書いてある。

人の精神まで操作して利益を出そうというやり方で、それを2004年に介護産業に持ち込んだ。そうしたネオリベの鬼のようなカリスマが作りあげてきたのが、現在の介護業界なのですね。

【藤井】なるほどね。ネオリベの真の姿を見たければ、介護産業を覗いて見ろということか。そして、人を集めるためのポエム化。

■失業した中年男性と認知症高齢者が隔離される可能性

【中村】ネオリベのターゲットにされて強引に産業化された介護は、戦後に日本の社会福祉を築き上げてきた人びとのなかに、新興勢力として鬼のネオリベラリストたちが参入、さらに大企業や外資、それにやっていけなくなった飲食店や商店などの零細経営者みたいな人たちも膨大にはいってきて、もうメチャクチャ。

介護保険料は国が給料から引くシステムで、保険料の徴収率は極めて高い。40歳以上の現役世代は社会保険料として強制的に徴収されています。安定した公的な社会保障と思いきや、実際の業務は徹底的に民営化されていて、過度な競争による倒産や廃業、不正や虐待、雇用者や周辺事業者による搾取みたいなことが横行して、とても野蛮な産業です。

さらに恐ろしいことに、次にくるのが、2025年の認知症高齢者問題です。1000万人規模の人が認知症になるといわれていて、何度も言っているように認知症高齢者はネオリベ的には邪魔なわけですね。嫌な予感がします。

【藤井】じゃあ、これからコロナで失業して、あふれた中年男性はやっぱり介護産業に誘導されていくと。

【中村】国や行政には、そういう実績がある。なので、企業が定年45歳制を実行後、失業した中年男性を介護ポエムで集める。

そして、無人島とか超過疎地とか山岳地帯みたいなところに簡易的な介護施設を建てて、家族に捨てられた認知症高齢者と彼らを一緒に輸送するみたいな近未来を想像していた。

【藤井】ディストピア的ですが、ありえますね。でも中年男性はケアが下手なんでしょ? それってケアする方もケアされる方もめちゃくちゃ悲惨じゃないですか。

【中村】本当に悲惨でしょう。虐待まみれだろうし。でも無人島で起こることだから見えない。

■かつて構想されていた障がい者の隔離政策

【中村】賃金もポエムで集める段階では高額にして、無人島に輸送後になにかしら理由つけて下げちゃえばいい。介護保険制度は3年に1度改正があって、報酬を上下させて調整している。

家族に捨てられるのは認知症高齢者だけじゃない。企業に捨てられた中年男性もさらに妻や娘に捨てられるだろうから、劣悪な環境で死んじゃってもあまり問題なさそうだし。

【藤井】小説にしても怖すぎますね。「住居と職と介護施設がこの島にくれば格安で得られます」とか、きっとポエム調でいい感じで宣伝されるんでしょう。

50年前、その対象は障がい者でした。高度経済成長期の日本は障がい者政策としてコロニーを作ろうとしていた。核家族化が進むなかで、家庭で障がい者の面倒を見切れなくなってきたんです。

障がい者とその面倒を見るケアワーカーを隔離したコロニーに入れて、社会から完全に分断させるという構想が実際にあった。当時の「青い芝の会」の横田弘さん横塚晃一さんの書いたものを読んでいると、当事者たちがその構想に対して非常に怒って、猛烈に反対している。

当然のことですが。でもいまの話は、もはやこれと同じですよね。障がい者から認知症の老人に代わっただけで。

■社会から見捨てられる中年男性

【中村】使えなくなった中年男性が無人島に輸送されて、劣悪な環境で介護させられても、若者は当然、人権派も動かない気がする。本土に戻してまた偉そうにされたり、ネット上で誹謗中傷されても厄介なだけだし。

写真=iStock.com/toyoshima akiko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/toyoshima akiko

【藤井】今後増えていく子どものいない老人の面倒を誰が見るのか。

国が面倒を見るということになれば、コロニーを作って、認知症老人をどんどん入れて、ある程度体力のある、街にあふれた中年男性をケアワーカーとして入れていく。ありえますね。

しかも、60年代後半から70年代にかけては障がい者の人たち自身が当事者として反対運動を起こしたけれど、認知症の人たちは運動を起こすことさえできない。そうなると本当に悲惨ですね、いやあ、怖い。

【中村】国がやろうと思えば、ポエムや国家資格を駆使して、老人の介護に失業者を集めるのは簡単にできることだと思う。

噓に噓を重ねても、中年男性が目をキラキラさせるやりがいのあるものにして、誇り高い気持ちで無人島に行ってもらえばいい。実際に今の介護職もポエムで育成されているから、低賃金なのにすごくプライドが高い。でも、実際の介護保険制度の介護職は裁量がまったくないんです。

【藤井】介護保険が点数制だということとも関連しますね。

この点数制は医療保険もそうですね。キュア(治療)とケアはまったく違う。明治時代以降、近代化=工業化の過程で作られた医療システムをそのままケアの分野に当てはめたことが、大きなむずかしさを生んでいるのかもしれませんね。

■介護職にクリエイターは必要ない

【中村】本当にただの部品みたいに働かされている。ベストセラーになった北野唯我さんの天才・秀才・凡人理論を変形させて、介護現場をみながら「クリエイター・ビジネスマン・凡人理論」というのを作ったんです。

作ったというか、僕が言っているだけなんだけど。介護職はとにかく凡人が著しく多い。

凡人の群れにクリエイターがはいって、才能を発揮してしまうと凡人に袋叩きにあって追いだされてしまう。そして、介護職をポエムで綴るビジネスマンはリスペクトされる。

ビジネスマンはクリエイターに憧れがあって、敬意を払っているんだけど、凡人の介護職はとにかくクリエイターをイジメ抜くみたいな。実際、そんな感じです。

【藤井】ケアの天才っているみたいですからね。ケアしてもらう人の気持ちを誰に言われなくても自然と汲めるとか、もともと長けた人がいる。それはケアされる側にとってもうれしいし、とてもいいことだと思っていたのですが、叩かれるんですか。

【中村】ケアの天才は微妙ですが、どんな部門でも才能がある人は、介護職から本当に嫌われます。創造性があることはダメで、視界の範疇でも何人もイジメ抜かれている。

【藤井】でもケアワークって、相手によって求めるものが違うので、発想の自由、裁量がむしろ必要な仕事ですよね。むしろマニュアル化できない。

■「介護にかける時間は無駄」と割り切ったほうがいい

【中村】一方で上野千鶴子さんなどは、ケアワークを社会化しなくてはいけないと主張されている。

【藤井】昭和の時代の日本女性は、家に縛られ続けるという苦難を負わされてきた。夫が企業戦士として働いている間、妻は子どものケア、夫のケア、さらに夫の両親のケアと、ずっとケアワークをして歳をとるわけです。

これではいけないと高齢者のケアも子どものケアも、なるべく社会で負担していきましょう、と。この発想自体はとても大事ですが、制度設計に問題があったのかもしれません。

【中村】社会で負担しようといっても、介護職って、やるとわかりますが、高齢者の介護、生活の手伝いをしている時間は無駄な時間。当事者からは反論があるでしょうが、なんの生産性もないし、人間的な成長もしない。

国は人生の先輩を手伝うことで自分も成長するといったポエム的な文脈に仕立てて、そのポエムが一般にも普及している。けど、実際はババ抜きでババを引くみたいな仕事。大局的にみたら、国の損失になるので若い人にはやらせないほうがいい。

【藤井】ケアといっても、先ほども触れましたが、高齢者の介護は子育てとはまたちょっと意味合いが違うのは理解できます。

【中村】高齢者を介護する無駄な時間を、誰が背負うのか。みんな本当のことを言おうとしませんが、「これは無駄な時間なんだ」とはっきり言えば、余計な部分は切り捨てて必要最低限に絞ることができる。生産性は高まるし、好転すると思う。噓をつくからトラブルが起こるし、人が潰される。

■「敬老」の名のもとに若者の成長が阻害されてきた

【藤井】余計な部分って、たとえばどういうことですか。

写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AH86

【中村】たとえば歩けない高齢者が「トイレに行きたい」と言えばトイレに連れていってあげるとか、人が一人、老人の生活をつぶさに見ながら手伝ってあげる。高齢者は助かるし、ありがたいけど、援助者側にはそこには何もないでしょう。

儲かりもしないし、汎用性もない。家族なら仕方がない部分もあるけど、若い他人にやらせるのはあまりに残酷な気がする。だから若者を介護職から解放して、四〇代後半の男性がやれば丸く収まるなと思っていたところですね。

【藤井】コロナで命の選別、トリアージなどということも言われましたが、平時においては、生命の平等が大前提。老人であろうが子どもであろうが、命は平等に扱いましょう。

それが世界の基本的な人権意識で、これについては揺るがしがたい。ただ、中村さんとしては、高齢者のケアワークは従事してもスキルアップがあるわけじゃないし、従事者の創意や工夫を評価しない点を問題視しているんですね。

【中村】いままではそうした部分を「人権」とか「敬老」の名の下に、噓で塗り固めて乗り切ろうとしてきただけです。介護は公務の市場化でネオリベの代表格。問題視しないほうがおかしい。

■「ケアの社会化」は失敗し、幸せそうなのは人材業界だけ

【藤井】ケアワークを社会化すること自体の発想はよかったと思うし、何より必然的なことだったと思いますね。

中村淳彦、藤井達夫『日本が壊れる前に 「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』(亜紀書房)

でも中村さんの話を聞いていると、制度的に破綻しつつあるようにも思います。急速に進む高齢化と少子化を目の前にして、労働力は今後ますます不足するので、社会としては、女性にも働いてもらいたい。

家のなかで夫や親のケアをしているだけでは、なんの価値も生まないのだから、老人介護を社会全体で共有し、その介護から解放された女性たちを家庭の外で労働力として活用する。

こんな、生産中心主義の発想もケアの社会化に賛同した官僚たちの側には当然あったとは思います。

他方で、フェミニストを中心にケアの社会化を推し進めようとした人たちのなかには、もっと崇高な理念もあったはずです。社会連帯の強化とか、ケアの脱シャドウ・ワーク化とか、女性の自由の増進とか。

【中村】介護に価値を見出そうとしたのは、この二〇年間でやり切ったでしょう。

結局、失敗だと思う。また、一部の才能がある人が地域をつくることに創造性を見出しても、凡人と行政が足を引っ張る。儲かって幸せそうなのは人手不足の隙間をついた人材会社だけで、かなり厳しい結果となっていますね。

----------
中村 淳彦(なかむら・あつひこ)
ノンフィクションライター
1972年生まれ。主著に『名前のない女たち』『ワタミ渡邉美樹 日本を崩壊させるブラックモンスター』など。新潮新書『日本の風俗嬢』は1位書店が続出してベストセラーに。
----------

----------
藤井 達夫(ふじい・たつお)
政治学者
1973年岐阜県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻博士後期課程退学(単位取得)。現在、同大学院ほかで非常勤講師として教鞭をとる。近年の研究の関心は、現代民主主義理論。共著に『公共性の政治理論』(ナカニシヤ出版)、共訳に『熟議民主主義ハンドブック』(現代人文社)など。
----------

(ノンフィクションライター 中村 淳彦、政治学者 藤井 達夫)