弘兼憲史氏(左)と松本すみ子氏に、人生100年と言われる昨今、団塊の世代はどう生きるべきかを伺いました

ほとんどすべてのサラリーマンに待ち受ける「定年後」という課題。かつてない長寿化により、第2の人生をいかに充実して過ごすべきか、多くの人々が頭を悩ませている。

近著『定年後も働きたい。──人生100年時代の仕事の考え方と見つけ方』で定年後の生き方やセカンドキャリアの見つけ方を実践的に紹介した松本すみ子氏と、同じく近著『俺たちの老いじたく 50代で始めて70代でわかったこと』で50代から待ち受けるさまざまな困難への向き合い方を指南する漫画家の弘兼憲史氏。2人の対談が2020年3月に実現した。その模様をお届けする。

「目の上のたんこぶ」扱いされる団塊の世代

松本すみ子(以下、松本):今日は、シニアの生き方について著書などで積極的に発信なさっている弘兼さんとともに、団塊世代をめぐる状況を振り返りながら、これからどう生きるべきかを考えてみたいと思います。

私自身は普段シニアライフアドバイザーとして、セカンドライフをどう考え、プランしていくかについて発信したり、相談に応じたりする活動をしています。

昨年11月には、これまでの活動で得た知見を元に、人生100年時代の定年後の生き方・働き方についてアドバイスする『定年後も働きたい。──人生100年時代の仕事の考え方と見つけ方』という本を出版しました。

弘兼さんを筆頭に、定年後の生き方については多くの著名な方々が発言されているので、私は同じようなことを書くのではなく、では具体的にどうしたらいいのかについて述べようとしたのがこの本です。

弘兼憲史(以下、弘兼):読ませていただいたんですが、僕が書いてきたことにも近くて共感できるし、データがたくさん入っているので、これは本当に役に立つなと思いましたね。

松本:ありがとうございます。具体的な方法については、みなさん意外と知らないんです。頭では「どう生きるべきか」なんてことはわかっていても、なかなか動き出せない。私も、弘兼さんの『俺たちの老いじたく』(祥伝社)を読ませていただいて、「そうそう、そういうことよね」と膝を打ちました。弘兼さんはいま70代ですが、この本は50代で書いたんですよね。

弘兼:そうです。ただ、50代の自分が言ったことと今の自分が思っていることが随分と違っていて、改めて読み直すと「俺、こんなこと言ってたんだ」とびっくりした(笑)。

若かりし頃に想像していたのとは随分違う

松本:わかります(笑)。弘兼さんといえば代表作「島耕作」シリーズ。島は1947年生まれだから、弘兼さんご自身の世代である団塊の世代のことを描かれてきたわけですよね。


松本 すみ子(まつもと すみこ)/アリア代表、「NPO法人シニアわーくすRyoma21」理事長。キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、シニアライフアドバイザー。早稲田大学第一文学部卒業。IT企業に二十数年勤務後、2000年に起業。2007年には同世代が集うNPOを設立。行政・自治体・市民団体などにおいて、セカンドライフや地域デビューに関する講座の企画・運営・講師を担当、当事者目線での提言に特徴がある。企業や研究機関に向けてはシニア市場に関するアドバイスとコンサル、メディアなどではシニア世代の取材や執筆活動を行う。東京都主催「東京セカンドキャリア塾」講師

ところが今、その団塊の世代が厳しい状況に置かれています。定年退職してもまた働かなきゃいけないし、年金の問題もある。私たちが若かりし頃に想像していたのとは随分と違う人生になっているんじゃないかなと思うんです。

弘兼:厳しいのは確かですね。僕自身は若い頃に松下電器という大きな会社に入って、当時は終身雇用の時代だったから普通に働いていれば定年までそのままいって、あとは年金も退職金もあって楽勝、のはずでした。ところが現実にはそうはならず、僕と同世代の人々は下の世代から目の上のたんこぶみたいに言われています。

松本:弘兼さんが「島耕作」を描き出した頃は、この状況を想定できましたか?

弘兼:ある程度はできましたよ。とくに年金は絶対だめだなってみんな思っていましたから。例えば僕はいま社長をやっているので、結構な額の企業年金を払っていて。そうなると、中小企業の経営者はみんな正社員を雇いたくなくなるんですよね。

松本:目の上のたんこぶ扱いされる一方で、60歳の定年退職後に65歳まで希望すれば誰でも働けるという制度も始まっています。

弘兼:厚生年金をもらえる人は別として、生活に困っていて定年後も働かなきゃいけない人は、現実には結構多いんですよね。半分以上の会社では退職金は出ないですし。そう考えると、定年後のことを前向きに考えられるのは、ある程度余裕のある人だけかもしれないなと思います。

松本:もう1つ、団塊の世代が50歳になったあたりでリストラの波が来ました。今までは順風満帆だったのに、そこで肩たたきに遭って辞める人が出たり、自分が対象にならなかったとしても友達や周囲がそんな状況だったり。そこでかなり傷ついたという経験も、団塊の世代にはあると思うんです。

弘兼:「島耕作」でもそれは描いていますね。これは実話なんですが、僕の松下電器の同期がテイチクレコードに出向になって、「近いうちにテイチクがビクターに身売りするから、その前にきれいにしとけ」と仰せつかった。つまり、リストラしてこいということです。

松本:それはつらいですね。

独立の道を選ぶ人も

弘兼:つらかったと思いますね。それまで一緒に仕事をしてきた仲間に対して、「明日から会社に来なくていい」って言わなきゃいけないわけですから。彼は、リストラを言い渡す前日の夜に居ても立ってもいられなくなって、リストラの対象になった同僚が住んでいるマンションの前まで行ったそうです。

そして、下からその人間の部屋を見上げて、「あいつは今あそこに家族といるんだな、幸せそうな灯りがついているな」なんて思いながら、すごく苦しかったという話を聞きました。

松本:私の知り合いの大手企業の人事部長も切るほうだったんですが、耐えられなくなって自分も辞めたと言っていましたね。

私の友人が勤めていた商社にもリストラの波が来たことがあって、その後カレー屋になったりラーメン屋になったりした人たちがいました。数百人規模のリストラをするので、不安になって、早めに身の振り方を考えようという気になって独立する人もいました。


弘兼 憲史(ひろかね けんし)/1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に勤務。退職後、1974年に『風薫る』で漫画家デビュー。『人間交差点』で小学館漫画賞(1984年)、『課長島耕作』で講談社漫画賞(1991年)、講談社漫画賞特別賞(2019年)を受賞。『黄昏流星群』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(2000年)、日本漫画家協会賞大賞(2003年)を受賞。2007年、紫綬褒章を受章。『俺たちの老いじたく』『ひるむな! 上司』(ともに祥伝社黄金文庫)ほか、著書多数

弘兼:「とりあえずラーメン屋」は絶対間違えますね。ラーメン屋をやりたい人はラーメン愛のすごく強い、言わば「変態」が多いですから(笑)。新しくできるラーメンって本当にうまい店が多いんですよ。だから「片手間にラーメン屋でも」というのはまず失敗します。

50歳ぐらいから肩たたきが始まるのは、大手銀行が今でもそうですね。支店長までいって、そこから本店に戻れる人間はかなり少ない。大体が52、53歳で「そろそろ出向してくれ」と言われるんです。

そして出向したらしたで、ろくなことがない。例えば出向先が繊維会社だったら、給料は半分でポジションは部長か専務ぐらいになる。その会社の社長には、大手銀行出身だからと期待されるけど、結局は何もできず「無能じゃないか!」とののしられる。僕の知り合いの銀行の支店長もそれで悩んで、自殺せんばかりの手紙を僕に書いてきたことがあります。

松本:銀行内の争いが激しかったんでしょうね。

弘兼:本当にできる数少ない人間だけが本店に残されるけど、それ以外は50歳ぐらいが定年だと思ったほうがいいと言われていますから。

松本:2013年に高年齢者雇用安定法が改正されて、定年退職した後に再雇用を選ぶ人がほとんどですよね。初めのうちは5年間雇用延長されるのでラッキーだと思うのですが、実際には思っていた働き方や待遇とは全然違って、腐ってしまう人がたくさんいる。正社員の頃と比べて給料は大幅に下がるし、そもそも周りから当てにされないわけです。

弘兼:人手不足だからといって今までの人を残すと、それによって新しい人が入ってこられないという弊害もありますしね。

松本:ええ。人手不足だったら会社もしっかり使えばいいのにと思うんですが、そういうわけでもなく、ただ会社にいさせて給料だけ与えるようなところが多い。雇われるほうも「妖精さん」(再雇用されたもののあまり業務がない「働かない中高年」のこと)なんて冷やかされて。

『定年後も働きたい。』にも書いたんですが、希望すれば誰でも定年後に5年間、そのまま同じ会社で働き続けられるなんて、そんな国がほかにあるだろうか、と。やっぱり、その人の業績とか資質をきちんと見極めて、雇う雇わないを決めていかないと、結局だめにしてしまうだけです。

この仕組みを変えない限りは、誰も幸せになっていないような気がするんですね。雇われるほうも、このことに気がつくべきではないかと。

昔の夢や思い出から逃げられない人

弘兼:確かに、大企業に勤めていた知り合いが定年になって「俺、フリーでやるからちょっと使ってくれよ」と言ってくるから使ってみたら、これが全然使い物にならなかった、という話はよく聞きますね。今まで肩書で勝負してきただけだったと。

松本:私は「東京セカンドキャリア塾」や、各地の自治体の講座でリタイア世代に向けて生き方と働き方のアドバイスをしているんですが、そこでも昔の夢とか思い出から逃れられない人は結構います。

弘兼:過去に固執するかどうかは、男女でも違いが出ますね。定年になったらどんなに偉い人も平地に下りて町内会とかマンションの管理組合に出るようになるんですが、社会的地位が高かった男性ほど大変だと聞きます。なにせ共通の話題がないし、誰も自分の意見を譲りませんから。

ところが女性は男性と違って、社会的地位とか経済力が違う相手とも世間話ができるんですよね。うちのかみさんなんかがごみ出しに行くと、近所のおばさんとずっと話し込んでいて。夫の悪口とか子育てとか、共通の話題がいろいろあるんだと思いますが、僕からすると「いったい何話してるんだ?」と不思議でならない(笑)。

男性は子育てもしなければ妻の悪口も別に言わないから、近所のおっさんが3、4人集まったってまあ話はしないですよ。

松本団塊世代の女性たちに対しては、弘兼さんはどういうふうに見ていますか。結構高い学歴の人でも働く機会がなくて、ほとんどが専業主婦になった世代です。銀行に入っても25歳ぐらいでみんな辞めて、誰かのお嫁さんになっていった。

弘兼:当時は雇用機会均等法ができる前で、確かに女性の労働条件が悪かったですね。僕がいた松下電器なんて、あんな大企業なのに四大卒の女性を採らなかったですから。採るとしても高卒か短大で。

松本:25、26歳で結婚して辞めると思っているからですよね。22歳で大学を卒業して就職したら、辞めるまでたった3年しかない。それが短大だと5年は勤められる。そういう計算があったんでしょうね。

弘兼:しかも、女性がするのは軽い仕事というイメージがあるから、なおさら四大卒の女性はいらないということになってしまう。ひどい時代でした。

松本:私はたまたま、外資系と日本の商社が合弁で設立したコンピューターの会社に入ったからそういう考え方があまりなくてずっと勤められたんですが、団塊世代の女性の多くはそうではなかった。みんな能力があるのにもったいなかったなと思っています。

ただその分、今になって反動が来ていて、ご主人が定年退職した後に奥さんが働きに行くというケースが最近増えてきたんですよ。能力もそれなりにあるし、ご主人が定年退職して家にいるからずっと一緒にいるのも嫌だということで(笑)。

何より、世代的に若いときからいろんな社会的・文化的経験をしていますから、やりたいことが結構あるみたいなんですね。

50代向けのウエディング!?

弘兼:それはあるでしょうね。女性は夫から離れられるならこれ幸いとばかりに外にわっと働きに出ますから。男性はストレスの塊みたいなもので、いなくなるとある意味せいせいする。

松本:それに、女性は歳をとっても意外と元気ですから。

弘兼:僕のところにいま、80歳過ぎのおばあちゃんにお手伝いに来てもらってるんですよ。彼女が先日、「先生、来週休ましてください」と言ってくるから「いいですよ。何かあるんですか?」って聞いてみたら、みんなで伊豆の旅館に泊まり込んでマージャン大会をやるんですって(笑)。

松本:マージャンがはやっているらしいですね。楽しくみんなでおしゃべりするのがいいみたいで。要はコミュニケーションですね。


弘兼:僕は、自分が70歳になってみてわかるんだけど、同世代でも元気な人はすごく元気なんですよ。彼女がいっぱいいる人もいますから(笑)。

松本:私も、今まで普通だった人が、70、80歳になって突然ブレイクする人が出てくるんじゃないかなと思っているんですよ。すでに、そういう兆候があります。

これからそういうシニア世代がいろいろ動きだすことで、新しいマーケットもできると思うんです。例えばウエディングだって、今は若い人ばかりを狙っているけれど、例えば、50代の人たちにはもっとふさわしいスタイルがあるはず。

そういう、日本が高齢化しているがゆえの新しいマーケットがこれから生まれてくる可能性もあるんじゃないかなと思うんです。

弘兼:幸い、みんな元気で長生きしていますから、50代といわず、60、70代のマーケットもこれから注目されていいと思いますね。平均寿命までは14、15年あるじゃないですか。

松本:シニア向けのファッションとか化粧品とか、すごく売れているらしいですよ。しかも結構いい値段のものが。銀座なんか歩いていると、そこそこのお年寄りなんだけどすごくおしゃれな人をたくさん見かけます。

弘兼:だから、老人が増えて大変な時代が来る、というふうにマイナスに考えないで、そこに経済が動くところがあるんだ、と考えたほうがいいですね。

松本:私は、少子高齢社会になったから60歳過ぎても働けるようになったんですよ、とよく言います。人手不足だから、コンビニでもファストフードでも60代だったら喜んで受け入れてくれる。昔は60歳を過ぎた人を雇うことなんてなかったじゃないですか。でも今は、とくに女性だと喜んで雇ってもらえますから。

定年後に20年以上は生きることになる

弘兼:日本人の平均寿命はいま男81歳、女87歳ですが、それがこれからさらに延びていくとなると、定年後に20年以上は確実に生きることになるわけです。その20年をどう生きるかが、僕らには問われていると思います。

最終的なゴールはもちろん死ぬことですが、そのゴールテープを笑って切れるかどうか。経済的に豊かだったら笑って死ねるかというと、そんなことは決してない。いかに死ぬ瞬間に「自分の人生、これでよかったな」と思えるか。そのためにできることはたくさんあると思います。

松本:定年後のことを50歳になってから考えるのでは遅いとよく言っているんですが、現実には考えようとする人は多くないですね。


弘兼:僕もいろんな本に書いているのは、普通のサラリーマンだったら50歳の時点でそれ以上昇進できるかできないかが何となくわかるわけです。そこで「これで終わりだろうな」と思ったら、それ以上会社のために粉骨砕身することはない。60歳からの人生をどう生きるかという青写真を持って、土日の休みのうち半分はそれに従って行動する。

例えば蕎麦打ちをやりたかったとしたら、土日は全国の蕎麦の名店を歩いて回ってみる。蕎麦を1杯食べるために名古屋まで行って戻ってくる。今のうちにそうやって勉強していくと、後でいろんなところで役に立つんです。

だから、50歳って早いかもしれないけど、せめて定年までの5年か10年は、人生後半のために時間を費やしてほしいと思います。