年の瀬は一段とにぎわう、上野アメ横の人出(筆者撮影)

あと数日で2019年が終わる。テレビでは「年の瀬」の象徴となる映像を多くの番組が放送するだろう。

その代表格が東京・上野の「アメ横商店街」だ。JR東日本(東日本旅客鉄道)の上野駅(不忍口)と御徒町駅(北口)をつなぐ線路沿いを中心に約390の店が立ち並ぶ。正月用の食材を求める買い物客が訪れるシーンは、昭和時代も平成時代も年末の風物詩だった。

だが、近年はその光景が変化してきた。まず日本人の買物客よりも外国人観光客が増えた。加えてアメ横はかつて物品販売の街だったが、食べ物屋が増え、大型チェーン店も目立つのだ。

筆者は学生時代(1980年代)に当地でアルバイトをし、当時のアメ横の息吹も肌で感じた。社会人になってからは何度も取材し、ビジネス視点の一般記事にしてきた。

アメ横はどう変わってきたのか。令和時代最初の年末に、その現状を取材した。

年末の5日間で150万〜200万人が訪れる

「まだ、これからじゃないの。世の中も、年の瀬(が押し詰まった)気分になっていないし」

12月20日に話を聞いた、「石山商店」のベテラン店員はこう話した。半世紀以上、アメ横に店を構え、カニや魚介類で有名な店だ。「昨年は完売したけど、今年は手頃なカニが不漁で、総じて高いのが気がかりだね」とつぶやく。話を聞く間にも、別のベテラン店員がお客と応対する。


アメ横の名物店「石山商店」の接客風景(筆者撮影)

当日は天気がよく、人出が多かったが、前を歩く日本人客からは「まだ(年末の)アメ横にしては歩けるね」という声も聞こえてきた。

この街が一段とにぎわうのは、年末の最後の5日間だ。過去12月27日から31日までの来客数を抜き出すと、次のようになっている。


アメ横センタービル」のようなビル内に入る店以外、アーケードがないアメ横は、天候や寒さなどに人出が左右される。

「2004年に150万人を割ったのは、天候不順の年だったからです。書き入れ時の29日に東京でも雪が降り、31日も氷雨で最高気温が低かったと記憶しています」

上野観光連盟会長の二木(ふたつぎ)忠男氏(二木(にき)商会社長)は、こう説明する。かつてはアメ横問屋街連合会会長も歴任し、現在は上野地区を束ねる同観光連盟トップを長年勤める。テレビの情報番組にも登場し、アメ横を最も知る人物のひとりだ。

「アメ屋横丁」と「亜米利加横丁」

アメ横の由来は、戦後に駐留した米軍の横流し品である払下げ衣料などを扱うようになった『亜米利加(アメリカ)横丁』と、戦火で焼け出され、食糧難のなかで甘いものを欲していた庶民に、芋飴などを売った『アメ屋横丁』の両方に由来しています」

二木氏はこう話し、続ける。

アメ横にはJR上野駅側から入っても、御徒町駅側から入ってもよいのですが、街の色合いは異なります。上野駅に近い側は伝統的に食料品店が多く、御徒町駅に近い側は化粧品やジーンズのような衣料品など、昔で言う舶来品を売る店が多いのです」

太平洋戦争後に東京都内に出現したのが「ヤミ市」(非合法の物品販売場所)だ。怪しさもあったが当時の庶民の生活を支えた。新宿や池袋、新橋などが時代とともにビルの繁華街に姿を変えた中、アメ横はいまだにヤミ市のなごりをとどめている。

外国人観光客からの人気は、こうした「日本の生活ぶりがわかる場所」も大きい。かつては食料品店が多く、店舗数も500店ほどある中、約300店が食料品店だったという。前述の「石山商店」や「二木の菓子」は、その象徴としてメディアによく登場する。

また、衣料品店も商店街の看板の一つだった。

戦後すぐに米軍の放出品を売り始めた亜米利加横丁のDNAを受け継ぎ、ここからブームが始まった衣料品も多い。例えば「MA-1」と呼ばれる米軍のフライトジャケットだ。ミリタリーショップとして有名な「中田商店」が売り出し、1980年代以降、人気に火がついた。

だが、近年はそんな雰囲気も変わっている。商店街の一角に食べ物屋が出現し、年々拡大している。ドラッグストアやスポーツ用品など、全国に展開するチェーン店も増えた。

もちろん商店街が時代とともに姿を変えるのは珍しくないが、長年にわたり昔ながらの雰囲気を残していたアメ横にも、変化の波が押し寄せたのだ。

「ウチに来るお客さんが、すっかり変わったよ。日によっては6〜7割が外国人のお客さんじゃないか」

こう話すのは、「二木の菓子」ビック館で働く酒井照明氏だ。


御徒町駅近くにある「二木の菓子」。すぐ横には、たこ焼き店もある(筆者撮影)

70代となった現在は週3日の勤務だが、かつては常務取締役を務めた。初代アメ横問屋街連合会会長で「二木の菓子」「二木ゴルフ」を創業した二木源治氏(故人)からアメ横商人道を叩きこまれた“名物店員”だ。NHKの番組「新日本紀行」が、アメ横を取り上げた「ガード下の商魂」で登場したこともある。

「以前は『菓子食品現金問屋』を掲げて、ほとんどが日本人客の中で商売をしてきたけど、これだけ外国人客が増えると、免税対応やスマホの支払い対応もしなければならない。その分、機器の導入や従業員教育も必要になるからね」


かつては常務取締役も務めた酒井照明氏(筆者撮影)

筆者とは長年の顔見知りなので、こんな話し方だが、アメ横商人に共通する口調だ。二木の菓子がある一角は、昔ながらの“のぼり”も立つが、通行客は確かに変わった。

再び上野駅側に戻り、御徒町駅方面に向かって歩いた。アメ横センタービルの「ロングス」も名物店だ。ふだんはウォーキング用を取り扱う靴店だが、年末の時期は食料品店に変身。シャッターを下ろした店の前で「かまぼこセット」も売る。紅白のかまぼこ、伊達巻き、なると巻きが入った1000円のセットは人気だ。

食べ物屋が増え、街の雰囲気が一変

この近くには簡易食堂のような店も増えた。古くからの店以外で出店した最初は「モーゼスさんのケバブ」だと聞く。お客の人気を呼び、上野中通り側にも店がある。

食べ物屋が増えて以降、「アメ横は、夜が早く閉まって面白くない」という声は減ったが、お客のマナー悪化に眉をひそめる物販店の話も聞く。例えば「食べ歩きで汚れた手のまま、商品の衣料を触られ、展示できなくなった」という声だ。

近くの上野公園で行われる春の人気イベント「うえの桜フェスタ」の際も、花見客のマナー悪化を耳にしたが、完全な対応策はなく、地道な啓発活動を続けるしかないだろう。


以前はなかった簡易飲食店も増えた(筆者撮影)

ところで、本稿を執筆中に「サクラエビの産地偽装」のニュースが飛び込んできた。

それによれば、台湾産サクラエビや小エビを「駿河湾産サクラエビ」として販売したり、駿河湾産と誤認させる不当販売が行われ、その中にアメ横の店も入っていたという。

現時点では、報道で知る限りの情報しか得ていないが、前述した「ヤミ市の雰囲気を残す」が、怪しい商品の販売につながってはアメ横の未来はない。

かつて二木氏は、アメ横人気が続いた理由を、「いい商品を仕入れて安く売るという商売が、お客さんに支持されてきたことが第一です」と話していた。いまこそ、アメ横の原点である「いい商品を安く売る」を周知徹底する時期だ。

「正月は店を休む」風潮はアメ横に追い風

時代の変化という意味では、別の追い風も吹いてきた。

大手小売業や外食チェーン店で、元日営業をやめたり、年末年始の営業時間を短縮したりする動きが広がったのだ。利用したいお客には不便だが、昔のように「正月は店を休む」風潮に戻れば、「正月用品の買い出し」が看板のアメ横には有利だ。

ただし、それも誠実な商売があってこそ。時代の変化という風には順風も逆風もある。その風とどう向き合うかに、アメ横の未来がかかっている。