デサントは6月開催予定の株主総会をもって、石本雅敏社長が退任することになった(撮影:尾形文繁)

大企業同士がお互いの対話を欠いたままで自社の言い分を世間に主張しあう、前代未聞の「劇場型TOB(株式公開買い付け)」は、あっけない幕切れを迎えた。

スポーツウェア大手のデサントは3月25日、石本雅敏社長が6月開催予定の株主総会をもって退任し、代わって伊藤忠商事の繊維カンパニーでトップを務めていた小関秀一氏が新社長に就任すると発表した。伊藤忠の岡藤正広会長の最側近として知られる人物だ。一方のデサントでは、石本氏以外も生え抜きの取締役は総退陣する。

デサント出身の取締役として残るのは金勲道氏と小川典利大氏。いずれも中途入社組である。金氏は2000年に韓国デサントに入社し、デサントの韓国事業を大きく成長させた功労者だ。もう一人の小川氏はアディダスジャパン副社長などを経て2016年にデサントに入社した。経営手腕への評価は高く、石本氏退任後の社長候補としても名が挙がった。

鮮明になった“伊藤忠色”

6月からの新体制では現在10人の取締役を6人に減らし、デサント出身2人、伊藤忠出身2人、社外2人とする。人数の印象以上に強まるのが“伊藤忠色”だ。伊藤忠からは小関氏のほか、同社執行役員で監査部長を務めていた土橋晃氏が取締役となる。土橋氏はCFO(最高財務責任者)に就任する予定だ。社外取締役には佐山展生・スカイマーク会長、高岡浩三・ネスレ社長を据えた。いずれも伊藤忠とゆかりのある著名経営者だ。

取締役以外のキーパーソンにも要注目だ。デサントの専務執行役員として伊藤忠から派遣される久保洋三氏である。現在は伊藤忠商事の常務執行役員で食料カンパニープレジデントを務めるが、本籍は繊維部門。伊藤忠が完全子会社化したジーンズ大手のエドウィンで会長を務めた経験もある。食料部門出身の伊藤忠元役員は「彼は岡藤会長に見込まれてエドウィンの再建に当たった。現場を見る目が確かで、繊維出身ながら食料ビジネスでも存在感を発揮してきた」と、久保氏の力量に太鼓判を押す。

実は久保氏は、十数年前には伊藤忠でデサントとの窓口役を務めていた。まだ両社の関係が円満な時期で、デサント社内にも知己は多い。そのため、久保氏は新体制で営業面の統括役になることが確実視されている。エース級の人材を投入して社長に加え営業トップとCFOを押さえたことで、今後は伊藤忠がデサントの経営一切を仕切ることになるだろう。

伊藤忠がデサントへの敵対的TOBに踏み切ったのは今年1月末のことだ。買い付け期限は3月14日までで、デサントの直近株価に約50%ものプレミアムをつけてデサント株の最大40%を買い付けることとした。当時の伊藤忠の出資比率は30.44%で、これが33.4%を超えることで株主総会における特別決議での拒否権を、すなわち事実上の経営支配権を持つことになる。

2月7日にデサントはこのTOBへの反対意見を表明。「劇場型」の構図がいよいよ鮮明になったが、実は両社はその直後から水面下の話し合いを始めた。伊藤忠の代表は小関氏。デサント側は石本氏自身が2月中旬に4回にわたって面談に臨んだ。交渉のポイントは新体制での取締役数で、伊藤忠は「デサントから2人、伊藤忠2人、社外2人」を主張。デサントは「デサント1人、社外4人」を求めた。

伊藤忠の影響力縮小にこだわるデサントに、いったんは伊藤忠が譲歩し、取締役会を「デサントから2人、伊藤忠1人、社外2人」とする案がまとまった。2月27日にデサントが取締役会を開いて和解案を議決し、翌28日に公表する段取りまで決まっていたが、合意の直後に石本氏が翻意。これを受けて伊藤忠は2月22日に交渉打ち切りを決め、その後は「資本の論理」でデサントの現経営陣を排除する方針を貫徹した。

石本氏は早くから自らの退任は覚悟していたようだが、土俵際に追い詰められて、なお絶望的な戦いを挑んだ真意は不明だ。それほどまでに、同氏とデサント社員の伊藤忠への反感が強かったということだろうか。この段階で、伊藤忠からさらに譲歩を引き出せるだけの材料があったとは思えない。

デサントの未来に責任を負う伊藤忠

TOBの直接的なきっかけは、昨年6月に決算報告のため伊藤忠本社を石本氏が訪れた際、伊藤忠の岡藤会長との話し合いが決裂したことだ。デサントは1984年と1998年に2回、経営危機に陥ったが伊藤忠の支援で再生した経緯がある。1994年以降は社長も伊藤忠から派遣されてきた。だが、デサントによれば、2011年ごろから伊藤忠は自社との取引拡大を強要するようになった。

それに不満を高めたデサント生え抜きによるクーデターによって、2013年に就任したのが創業家の3代目である石本氏だ。石本氏は就任早々に「取引強要」の経緯をまとめた報告書を伊藤忠側に渡して改善を迫った。しかし、伊藤忠側が動かなかったことでデサント側には伊藤忠への根深い不信が生まれた。石本氏たちにとって、今回のTOBを通じて伊藤忠に対する不満を世の中に発信できたことは1つの成果ではあるだろう。


伊藤忠商事にとってはデサント社員からの信頼獲得が大きな課題となる(撮影:梅谷秀司)

伊藤忠がかつての取引強要問題を自ら検証するかは疑問だが、もう同じことはできない。さらに同社はデサントの未来に対して大きな責任を背負うことになる。伊藤忠は現在のデサントの収益構造が韓国事業に依存していると指摘し、国内の立て直しや中国事業を拡大する必要性を強調してきた。今後は2020年の東京五輪や2022年の北京五輪といったスポーツイベントを控える中でデサントがどのように成長するのかを示す必要がある。

伊藤忠は今回のTOBに200億円を投じ、かつ経営に全面的にコミットする。伊藤忠によるTOBにはデサントの労組やOB会まで反対の意向を表明しており、社員からの信頼獲得が何よりの課題だ。それには伊藤忠のグローバルな調達網や資金力を活かして、デサントを大きく成長させるビジョンを描き出すことが欠かせない。それができなければ、劇場型TOBはシナリオがないまま経営者同士が感情的対立をつのらせた「激情型」でしかなかったことになる。こんなに不毛なことはない。