[となりのテレ金ちゃん-テレビ金沢]2018年4月23日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、金沢市大野で作られている醤油の話題がでていました。

大野は、醤油の町として知られていますが、なぜ大野で醤油が栄えたのでしょうか?


画像は「大野醤油醸造協業組合」のホームページより

人口が多く一大消費地で水運も発展していた

金沢市大野町は、醤油蔵が並ぶ歴史を感じる町並みが今でも残っています。

20軒の醤油屋がありますが、江戸時代後半は60軒以上もあり、町の半分以上が醤油関連の仕事に就いていたといいます。

千葉県の野田と銚子、兵庫県の龍野、小豆島と並んで醤油の五大産地ともいわれていました。

大野での醤油づくりは、加賀藩前田家三代藩主・前田利常の時代に、加賀藩が町人の直江屋伊兵衛に命じて醸造技術を習得させたことから始まりました。

当時、近畿圏にしかない醸造技術をいち早く取り入れたことで、五大産地にまで発展しました。また、当時、全国4番目の人口を誇る金沢という大消費地があったこと、海と川が隣接していたことも発展の理由に挙げられます。

野田や銚子も近くに江戸という大消費地がありました。そして、大野は北前船で醤油の原料を調達し、犀川(さいがわ)や浅野川を利用して金沢へ醤油を運びました。

醤油はとても重く、水運の利便はとても貴重なものでした。大野醤油は、梅雨がなく発酵食品には向いていない北海道でもとても評判だったそうです。

しかし、時代の流れで、陸上運輸が発達し、北前船が衰退していくと、その業者が醤油屋になるというケースが多く見られたそうです。(ライター:りえ160)